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パンドラ-collapse-  作者: 兼明叶多
WITCH HUNT
65/86

ATONEMENT#2 /1

 ――五月十六日午後三時。ロトス島イヴァノフカ。

 コンビナートからほど近い工業市街は、普段とは異なる物々しい緊張感に包まれていた。

 幹線道路の一部はNPCIによって封鎖され、テープの内側では捜査官達が怒りと焦燥に支配された表情を浮かべている。

 エドワード・オランジュもそのうちの一人だ。

「……これで十三人目か。ふざけやがって」

 傍らのパトリック・ハリスが忌々しげに呟く。堅物のエディとは対照的にいつでも楽観的で飄々としているのがパットという男だが、さすがに今ばかりは冗談を口にする余裕もないようだ。

 一時間前、ロトス島の物流会社倉庫内で男性の死体が発見された。

 男性の名前はアレックス・ポペスク。島首都ダリアンカの大学に通う東欧系の学生で、物流会社とは何の関係もないただの若者だ。

 被害者は窓を叩き破って倉庫内に侵入すると、警報が鳴り響く中ひとりで暴れ回って壁や荷物に頭を叩きつけ続けたらしい。警備の人間が到着した頃には頭がスイカのように潰れて死んでおり、監視カメラには「助けてくれ」と叫びながら暴れる被害者の姿が五分間も記録されていた。

(助けてくれ、か……)

 エディは現場から運び出されていく〝死体袋〟をじっと眺める。

 体の自由の一切を奪われ、苦痛を与えられ続けるなど、どれほどの恐怖だっただろう。耳の奥には今もなお被害者の悲痛な断末魔がこびりついて離れない。

「この二日間だけでも六人だ。傀儡師の野郎、どうせ捕まらねえと思って調子に乗ってやがるのか」

 パットは怒りが収まらないようで、忌々しげにそう吐き捨てる。

「乗ってるんだろ。これだけの人員を投入してもNPCIは一向に奴を捕まえられないでいる。喉元までは手が届いているのに」

 相棒とは対照的に、エディは度を超した怒りにかえって冷静になっていた。

 現場にはロトス島警だけではなく凶悪犯罪捜査課の別班や組織犯罪捜査課も臨場している。人員補充の話を聞かされた時は己の無力感に多少は打ちひしがれもしたが、それよりも被害者をこれ以上増やしたくないという思いの方が大きく、エディは捜査拡大の話を二つ返事で受け入れた。

 NPCIが総力を挙げて捜査に当たるのであれば容疑者はすぐに捕まえられる。そもそも容疑者の素性は割れているのだから、捜査はさほど難航しない――はず、だったのだが。

「やあ、ご苦労様」

 人の間をすり抜けて、小柄なアジア系男性がひょこりと顔を出す。

 場の空気にそぐわない朗らかな声と共に現れたのはフレッド・マスダだ。

 だが普段の彼を思えば、これでも相当にテンションが低い方だと言える。サイコパスの深層心理を分析することに熱を上げるフレッドも、十三人もの被害者が出ているとあっては真面目にならざるを得ないらしい。

「被害者のSNSの分析が一通り済んだよ。やっぱり魔法使い差別主義思想の持ち主だったみたいだね」

「そうか。……まあ、そうだろうとは思ってた」

「迫害されたことに対する復讐のつもりなら、やってることは〈アルケーの火〉のテロとあまり変わらないけど、単独犯っていうのが不気味だね。NPCIに喧嘩を売ってきたのもよく分からないし……。〈アルケーの火〉から追放されたとか?」

「フレッドが分からないなら俺達は余計に分からないさ。ハッキリしてるのは、チェルミの傀儡師は人殺しのクソ野草だってことだけだ」

 ――チェルミの傀儡師。

 十三人を殺害した魔法使いはいつしかそう呼称されるようになっていた。

 最初の犯行は四月二十六日。場所はロトス島ノヴォヴィチキ地区。路地裏で男女二名が死亡しており、男性の方は自分で自分の首を折った。

 二度目の犯行は一週間以上が空いた五月五日。ロトス島内でトラック運転手の男性がバス停の電光掲示板に頭から突っ込んで死亡。この時、被害者のハンドヘルドデバイスは持ち去られ、数日後に海に捨てられたようだった。

 三度目は五月十日。工場勤務の男性が同僚二人を殺害し、自身も直後に自殺。同僚を殺害した男性は魔法使い差別主義者で、彼の過激な発言はSNS上ではそれなりの人気があったらしい。

 残りの七名は五月十四日以降――つまりこの二日間に殺された。

 犯行現場はロトス島内か、イーストヘイヴン島の北西部。

 被害者に共通しているのは〝魔法使い差別主義者であること〟、そして〝SNS上で個人が特定出来る情報を開示していること〟だ。チェルミの傀儡師はSNS上で標的を探し、接近していると見て間違いないだろう。

 ただ、一つだけ例外がある。

 昨日、ロトス島南東部の町で死体が発見され、ロトス島警とエディら凶悪犯罪捜査課が捜査にあたった。現場検証も済み、遺体を運び出そうとしたところ、突然制服警官の一人が手当たり次第に発砲し始めた。「体が勝手に」――そう叫びながら。

 周囲の警官が慌てて銃を抜き、エディも銃口を制服警官の膝へと向けた瞬間、発砲した制服警官は自分の頭を撃ち抜いて死亡した。他に死者は出なかったが、NPCIすらも狙われるという事実は皆に戦慄を与えた。

 容疑者の素性は分かっている。

 〈アルケーの火〉に所属するそばかす顔の青年――彼がチェルミの傀儡師だ。

 その呼称の通りチェルミ正教会に出入りしていることも調べはついているが、生憎ながらチェルミ正教会――いや〈アルケーの火〉のアジトは組織犯罪課の管轄である。しかも、組織犯罪課はロシアとの政治的な問題の関係でアジトへ踏み込みことに対して二の足を踏んでおり、結果としてエディ達凶悪犯罪捜査課も犯人逮捕への決定打を逃し続けていた。

 組織犯罪課は申し訳程度に人員を寄越してくれてはいるが、正直な所あまり役には立たない。瞬間移動が可能な魔法使いを逮捕するには、アジト、あるいは隠れ家へ奇襲をかけるか、現れたところを不意打ちで捕らえる以外に方法はないのだから。

「……ん?」

 エディは正面に立っていたパットを軽く押しのけ、テープの向こうにいる野次馬達へと視線を向けた。

 好奇心に頭を揺らすロトス島民に混じって見覚えのある顔が一つ浮かんでいる。皆がハンドヘルドデバイスを構える中、その少女は微動だにせず現場を見つめており、かえって目立っていた。

 ブルネットのストレートヘアに空色の瞳、年齢の割に妙に幼く見える顔立ち。

 ――間違いない。

「あっ、おい。どこ行くんだよエディ」

 相棒の制止に耳を貸さず、エディは一直線に少女の元へと歩を進めた。

 踵を返して立ち去ろうとする少女の細腕を掴み、少し離れた場所へと連れて行く。少女は腕を掴まれた時点で逃げられないと悟ったのか、抵抗することなく付いてきた。

「――久しぶりだな、アネット」

 エディは少女に向き直り、ペリドットを思わせる瞳で真っ直ぐに見据える。

 少女――アネット・レンツは覚悟を決めるかのようにきゅっと唇を引き結んだ。

「お久しぶりです、エディさん。……また嫌なお仕事ですか」

「ああ、最悪過ぎる仕事だ」

 腕を放すも、アネットは逃げ出さずその場に留まっている。だが空色の瞳は不安げに泳いでおり、決してエディを見ようとはしなかった。

「こんなところで何をしてるんだ? まさか、変わったマリア像を探しに来たわけじゃないだろ」

 アネットは少し考えてから小さな唇を開く。

「NPCIの方々が集まっていたので、何かあったのかと思って」

「君は随分とロトス島がお気に入りなんだな。バイト先はヤルテ島じゃなかったか?」

 ようやく、アネットの瞳がエディを捉えた。――かすかな敵意と動揺を滲ませて。

「……調べたんですか」

「そういう仕事だからな」

「相変わらず嫌な仕事ですね」

「毎日転職を考えてるよ」

 軽口を叩いてはみたものの、エディの心中は穏やかではなかった。

 三週間前、チェルミ正教会でアネットと出逢った後、エディはNPCIの島民データベースを照会した。毎回、他人のプライバシーを覗いている気がして気が滅入るのだが、仕事である以上文句は言っていられない。

 ――アネット・レンツ。

 マクセル島グロームビル地区に住む二十歳の女性で、現在はヤルテ島イヅモシティにあるアプリケーション製作会社に勤務している。パシフィカへは最近渡島してきたらしく、以前はドイツのゴータに住んでいたようだ。

 以前アネットから聞いた話と何の矛盾もない。

 だからこそ妙ににおった。

 まず、アネットは二十歳にしては若すぎる。おそらく実年齢は十六、七歳くらいだろう。

 それともう一つ、彼女の態度や振る舞いが経歴と噛み合わない。鋭い眼差し、頭の回転の速さ、そして周囲を常に警戒しているような雰囲気――これらはとてもじゃないがドイツの田舎から出てきたばかりの若い女性のものとは思えなかった。

 だが、エディが一番引っかかっているのはアネットの容姿だ。

 少し緑がかったブルネットの髪に、早朝の空のような瞳、そして陶器のように白い肌。その全てが、フレッドに頼んでいたアンディの髪のDNA鑑定結果と一致する。

 〝まさか〟と何度も自分に言い聞かせた。

 その度に、〝でも〟と疑う自分がいた。

 加えて、どこかで会ったことがあるような既視感が、ますますアネット・レンツという少女の存在感を大きくさせている。まるで、こうして相まみえることを何者かに運命づけられているかのように。

「以前、君とはチェルミ正教会で会ったが……」

 エディは見えないように軽く拳を握った。

 今は余計なことを考えている場合ではない。アネットが〝アンディ〟かどうかは事件とは無関係だ。

「その時、同い年くらいの青年と話をしていなかったか?」

「……ええ。エディさんがいなくなったあとに」

「あの青年は教会の関係者?」

「近所に住んでいるそうです。教会のお手伝いをしていると」

「名前は」

 アネットはわずかに唇を噛んだ。

「――ロブ。ロベルトです」

(ロベルト……)

 アネットと話をしていた青年がチェルミの傀儡師かどうかは分からない。だが遠目に見た限りでは、監視カメラに映っていた青年と酷似していたように思えた。

「ロブとはその後も会ったのか?」

「それを聞いてどうするつもりですか。NPCIは交友関係まで監視するんですか?」

 キッと睨まれ、エディは一瞬言葉に詰まった。

 普段は誰にどんな態度を取られようとたじろぐことはないのだが、アネット相手だと何故か弱点を突かれたかのように弱ってしまう。

 だが、ここで気圧されるわけにはいかない。

「ロブは事件に関与している可能性がある」

「事件、というのは」

「魔法使いによる連続殺人事件だ。チェルミの傀儡師。さすがに聞いたことあるだろ?」

 アネットは小さくうなづく。チェルミの傀儡師という単語を耳にした瞬間、彼女の顔色が分かりやすく変わった。

「アネット。ロブの居場所を知っているのなら教えてくれないか。いそうな場所でも構わない。俺達は彼と話をする必要がある」

「ごめんなさい、分かりません」

「本当に?」

「はい」

 どうやら嘘ではなさそうだ。アネットは〝むしろこっちが知りたい〟と言わんばかりの顔をしている。

「そうか。すまないが、もしロブの居場所が分かったらすぐに連絡を――」

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