SCHISM#4
電子音が断続的に鳴り響く中、一人の男が椅子に座って項垂れている。痩せ細った体には様々なチューブが繋がっており、ぴくりとも動かない男に変わり、周囲の機械が男の生命活動を維持し続けていた。
まるで邪神のようにも思えるその姿を、パヴェル・ヴォルコフは神妙な面持ちで見つめている。
――ロトス島ザルツォフカ地区ロシア軍事研究所。
ストラースチの首領であり、パシフィカ裏社会の〝皇帝〟でもあるヴォルコフが、側近も連れずに不気味な研究所へ足を運んだのは、アントニー・サーフィットが近いうちに帰還すると知らされたからだ。
ロシア本国から、サーフィットと例の兵器に関する情報は厳重に取り扱うようにと言われている。それはつまり、確実に信頼が出来る者以外には伝えるな、ということ。
側近のポローモフはここのところ怪しい動きを見せており、あまり信用できない。そもそもヴォルコフは組織内の誰も信用してはおらず、故にこうして一人でサーフィットを迎えるほかなかった。
ふいに、バイタルを示す波線が大きく上下に振れる。
「――ッカ、ハ……」
大きく息を吸い込む音が聞こえたと思えば、椅子の男は錆び付いた機械よろしくゆっくりと面を上げた。
「ああ、ヴォルコフ君か。わざわざ私が目覚めるのを待っていてくれたのかね?」
男は耳にざらりと残るかすれ声でそう口にする。
白く濁った右目と、並々ならぬ眼光を放つ左目は、獲物を捉えるかのようにヴォルコフを見据えていた。
「貴様がいなければ兵器を動かせないからな」
「ククッ、その割には不満そうな顔をしている。まるで戻ってきて欲しくなかった……そう顔に書いてあるかのようだ」
「気のせいだろう」
「そうかね? ならばそういうことにしておこう」
男――アントニー・サーフィットはは首を左右に動かしながら自身の額を押さえる。
「やはり銃殺はいいな。痛みも苦しみもない。一度水死を経験したことがあるが……あれはよろしくない。苦しみが長く続く」
「そのようなことを言えるのは貴様だけだ」
「なに、そのうち誰もがもっと気軽に死を味わえるようになる。技術自体はすでにこうして確立されているのだからな。あとは精神が転写に耐えられるかどうかだが……そこは人類の進化に期待をするとしよう」
ヴォルコフは悍ましいものを見るかのように眉を顰めた。事実、ヴォルコフにとってサーフィットはあまりにも悍ましく、恐ろしい存在だった。
今、ヴォルコフの目の前にいるサーフィットはオリジナルの存在ではない。少なくとも、その肉体は。
サーフィットは自身の体のスペアを幾つも所持し、精神を転写することが出来るらしい。つまり、死んだ瞬間に別の体で復活することが可能なのだ。
どういう理屈なのかは分からない。〝ラボ〟の研究員達もその仕組みを理解出来ていないようで、ただサーフィットに言われるがままにサーフィットのスペアの体を生かし続けていた。
以前尋ねたときは〝精神汚染の応用〟という答えが返ってきたが、未だにその意味は分からない。はっきりしているのは、サーフィットがまともではなく、普通でもないということだけだ。
そして、そんな男が調整を担っているあの兵器もまた――。
「彼は元気にしているかね?」
心を読んだかのようなタイミングで尋ねられ、ヴォルコフはかすかに肩を跳ねさせる。それでも〝皇帝〟としての矜持か、決して顔にだけは出さなかった。
「暴れていない、ということを元気というのであればな」
「なるほど、私が捕らえられたときと状況は変わってなさそうだな。暴走していないのであれば問題はない。幻覚や幻聴は避けられないものだからな」
「いつまでに稼働させられそうだ」
「数日以内には。……見ての通り、まだこの体に馴染んでいなくてな。筋肉が硬直していて歩くのもままならん。少しリハビリの時間をもらえると助かるのだがね」
「構わない。兵器の調整が可能になったら連絡を寄越せ」
「すまないね」
ヴォルコフは返事をせず、不愉快そうな顔のまま踵を返す。
「是非とも楽しみにしていてくれたまえ。……君たちストラースチが招き入れた兵器が、どれほどの厄災をもたらすのかをな」
「…………」
やはり返事はない。
その大きな背中にどろりとした視線を受けながら、ヴォルコフは部屋を後にした。扉を閉めた瞬間、眉間にはあまりにも深い縦皺が刻まれていた。




