SCHISM#3 /1
静まりかえった空間に足音が遠く響き渡る。
チェルミ駅やザリャ駅と違い、クラースヌイ駅は駅としての体裁すら保っておらず、その姿は打ち捨てられたトンネルそのものだった。灰色のコンクリート壁には申し訳程度の燭台が点々と設置されているが、駅全体を照らすにはその光量はあまりに力不足だ。
シャロンは立ち並ぶコンクリート柱を横切りながら奥へと足を進めていく。
薄闇の中に見えてきたのは戦闘服に身を包んだ二人の青年の姿だ。彼らの背後には大きな鉄格子があり、溢れかえりそうな闇を閉じ込めているように見える。
「聖女様……」
シャロンの姿を認め、青年二人はますます不安げに眉をひそめる。
「本当に、おひとりで奴と話をするおつもりですか」
「大丈夫です。彼との対話はこれが初めてではありませんから」
「ですが、見張りを一切つけないというのは」
「それが相手の要求です。これ以上犠牲者を出さないためにも、従うほかありません」
二人は顔を見合わせた後、ゆっくりと鉄格子を開いた。
「……どうぞ」
「ありがとうございます」
シャロンは一切の躊躇なく鉄格子を抜け、闇の中へと足を踏み出す。
「私が戻るまでクラースヌイ駅には誰も近づけないでください。どんなことがあってもです」
「分かりました。……どうか、ご無事で」
二人は沈痛な面持ちで鉄格子を施錠し、瞬く間に姿を消した。
しばらく耳を澄ませてみるも、人の気配や物音が薄闇を伝って響いてくることはもうなかった。
(よし……)
軽く拳を握り、シャロンは闇の奥へと歩を進める。その足取りに迷いはない。
――今日、シモンチームはついにアンソニー・サーフィットの暗殺を決行する。
作戦遂行時間はおよそ十分。
誰も駅に近づくなと念を押しはしたが、おそらくヴァネッサは少しでも異変を感じればすぐにクラースヌイ駅へと飛んでくるだろう。
地下で得た情報は全てシモンに報告し、結界魔法の維持に必要とされている〝トーテム〟も撤去したが、ヤオ達が無事にクラースヌイ駅まで辿り着けるかは五分五分だ。魔法使い達に気づかれれば戦闘はまず避けられない。
(……私に出来るのは、一分一秒でも長く作戦遂行時間を確保すること)
ヤオ達が無事に辿り着いてくれることを祈りながら、シャロンは細長い牢獄を進んでいった。
元々何に使われる予定の場所だったのかは不明だが、廊下の片面には部屋めいたくぼみが等間隔に並んでいる。鉄格子は後から据え付けられたもののようだ。
自分の足音が反響する中、うっすらと浮かび上がる光を頼りに前へと進んでいく。
あの光こそが目的の場所――アンソニー・サーフィットの牢である。
「こんにちは、サーフィットさん」
唯一、光が灯る牢の前で足を止める。
鉄格子の向こうでは白衣を纏った不気味な男が椅子に腰掛けていた。
「思いの外早かったな。頼んだものは持って来てくれたかね?」
「お望みのものかは分かりませんが」
そう前置きして、ポケットから取り出した薬のボトルを鉄格子の中へと差し入れる。
「ああ、これでいい。雑用を任せてすまないな」
サーフィットは杖をついていない方の手で鉄格子越しに薬を受け取った。一瞬触れた人差し指はひどく冷たく、生きている人間のそれとは思えなかった。
薄闇から浮かび上がった顔はやはり骸骨のようだ。
顔の右半分には赤黒い痣が広がり、右目は白っぽく濁っている。頬は痩け、目は落ち窪み、髪は不揃いに伸びていて、ひどく窶れた印象だ。
しかし左目にだけはギラギラとした眼光が湛えられており、そのアンバランスさが彼の不気味な印象を一層際立たせていた。
そしてもう一つ――。
シャロンはサーフィットに対しても妙な既視感を抱いている。
欠落した部分が疼くような、形容しがたいあの感覚を。
「魔法使いどもは非文明的で困るな。鎮痛薬すら用意出来ないとは」
文句を言いながら再び椅子へと腰掛け、サーフィットは薬を一錠口にする。
もし、あれが毒だったら任務は終わっていたのだろうか――ふとそんなことを思い浮かべたけれど、残念ながら渡したのはただの鎮痛薬だ。あと十分足らずで殺されてしまうとしても、痛みから解放される権利は誰にだってある。
「君も座りたまえ。話をしに来たのだろう」
「そうですね。では……」
牢とは反対側の壁際に置いてあったパイプ椅子を広げ、シャロンはサーフィットと対峙する形で腰掛けた。
「……体調はいかがですか?」
「ククッ、そんなことを尋ねる暇があるのかね? 我々に与えられた時間はあまり長く無いように思うが」
「そうですね。では単刀直入に訊きます。あなたは以前、私の知りたいことを教えるとおっしゃいましたが、それは一体何なのですか」
サーフィットは肩を竦ませ苦笑する。
「何でもだ」
「何でも?」
「そうとも。私は物知りでね。君が知りたがっていることの答えをほとんどを持っている。だが――今から君が叶えてくれる願いは一つだからな。〝これ〟の分も含め、質問は二つつまでにしよう」
サーフィットは手にしている薬のボトルを揺らした。
「願い、というのは」
「それが質問かね?」
「いえ、違います。これはただの確認です」
「質問であることに変わりはないだろう。言葉は慎重に選びたまえよ」
シャロンはぐっと下唇を噛んでから、選び抜いた〝質問〟を口にした。
「では、ストラースチがロシアから持ち込んだ兵器について教えていただけませんか」
「ふむ……案外仕事熱心なのだな、君は」
「どういう意味ですか」
「それは質問かね?」
「……っ」
まるで、掌の上で転がされているような気分だ。
シャロンは余計なことを言うまいと唇を引き結んだ。
「例の兵器についてか。……まあ、語るほどのものでもない。そして君たちが想像しているようなものでもない。言うなれば、あれは型落ち品だ。ガタが来ているものをどうにか修理し、騙し騙し利用している。もはや満足に動きもしないというのに」
「やはり、貴方は調整のため兵器と共に入国したのです……ね」
「ククッ、学んだようだな」
「ええ。今のは質問ではなく事実確認です」
サーフィットは肩を揺すりながら愉快げに苦笑する。
「確かに私は兵器の調整のためにこの地へとやってきたが……あれは大量破壊兵器などといった大それたものではない。むしろ、特殊な条件下にのみ真価を発揮するよう調整された試作品だ。名称は確かラン――」
言いかけ、口元に手をやる。
「ああ、ストラースチの兵器について尋ねているのだったな。ならばあれは〝チーグル〟と呼ばれている。ただの弱りきった虎で、私からしてみれば哀れな存在だが……君にとってはその限りではない。気をつけたまえよ」
何故警告をしてくれるのか――そう問いたかったが、質問になってしまうため口を噤んだ。
少なくとも、サーフィットが兵器の調整のためにパシフィカへやってきたことは確かだろう。そして、持ち込まれた兵器が核ではないことも。
今はそれさえ分かれば十分だ。
「……わかりました。もう一つだけ尋ねたいことがあります」
「構わないとも」
本来であれば、サーフィット自身の狙いについて訊くべきところだ。
けれど、シャロンはどうしても、あと少しで死んでしまうこの男に尋ねたいことがあった。
ねたいことがあった。




