SPELL OF THE SAINT#1 /3
誰もいなくなった聖堂にシャロン一人がぽつんと取り残される。
(……困ったな)
神父が帰ってくる待っていてもいいが、ずっとここに一人でいてはエディ達が戻ってきた時に怪しまれるかもしれない。かといって教会の中を一人で彷徨くのも――。
「こんにちは」
突然背後から聞こえてきた声に、シャロンはひゅっと短く息を吸った。
いつの間にか後ろの席に座っていたのはそばかす顔の優しげな少年だ。歳は十七、八歳くらいだろうか。シャロンに興味津々なのか、目を爛々と輝かせ、身を乗り出している。
「この教会に何か用? ああ、その、変な意味じゃないんだ。人が来るのが珍しくて。見ての通り寂れた教会だから」
少年が不安そうに何度も視線を逸らしている一方で、シャロンの瞳の奥には諜報員としての鋭さが宿っていた。
この少年は明らかに何かを隠し、その上で探りを入れようとしている。けれどそこに悪意や警戒心は感じられない。むしろ少年の表情には強い期待が滲んでいるように見える。
(確証はないけど、この人、多分――)
急いてはいけない。しかし、この機を逃すわけにもいかない。
相手の正体を見極めつつ、こちら側の素性を悟って貰う必要がある。
「あのマリア像を探していたんです」
シャロンは祭壇の方を指さした。
「顔が布で覆われているマリア像なんて、珍しいと思って」
「確かにあまり見ないよね。あの像のこと、どこで知ったの?」
「育った孤児院にあれと同じ像があったんです。私はずっとマリア様だと思っていたんですけど、シスターはおかしな名前で呼んでいました」
「……なんて名前?」
「プリンシパル様、って」
明確に、少年の目つきが変わった。
「ごめんね。さっき、NPCIの人と話をしていたのを聞いちゃったんだ。君、ドイツから逃げてきたって言ってたけど」
「ええ、あんな場所には二度と戻りたくありません」
――嘘だ。
そもそもシャロンの出身地はドイツではなくオーストリアだし、孤児院での暮らしは幸せそのものだった。許されるならあの頃に戻りたいといつも思っている。リタや友人達、シスターが側にいてくれたあの頃に。
「それは、その、どうして?」
「両親が殺されたので」
これは本当だ。故に、今シャロンの目に滲んでいる怒りも本物だった。
「村の人達に嬲り殺されました。何の罪も犯していなかったのに」
「……僕も同じだよ。僕の母さんも殺されてしまった。すごく優しい人だったのに」
少年はきゅっと下唇を噛んでから、真っ直ぐにシャロンを見た。
「アネット、君はどうしてここに来たの?」
先ほどと同じ質問だ。だが、質問の意図は全く異なっている。
「……仲間を探しに」
「仲間?」
「はい。この痛みと憎しみを理解してくれる人に会いたくて」
「…………」
少年は小さくため息をつき、立ち上がった。
「僕はロベルト。みんなからはロブって呼ばれてる」
ロブは何かを手繰るように指先を動かす。その動きに呼応するように、シャロンの手が勝手に持ち上がって聖堂の入口を指さした。
(これ、魔法……?)
「入ってきたのは、君が今指さしているあの扉だよね?」
「……そうです」
「分かった。君はドイツから来たと言っていたから、多分出来ると思うんだけど……扉に触れないでこの聖堂の外に出て欲しいんだ。僕は外で待っているから」
ロブが手を下ろすのに合わせて、シャロンの手の位置が解放されたかのようにガクっと下がった。
「ああ、扉は閉めさせて貰うよ。でもあの扉から外に出て欲しいんだ。一切手を触れずに。僕の言ってること、もし分からないんだったら全部忘れて帰って欲しい」
やや冷たさを感じる声音で言い残し、ロブは聖堂から出て行った。少しして扉が悲鳴のような音と共に閉まっていく。
またもや聖堂に一人取り残されたシャロンだったが、その表情にはもう迷いも不安もなかった。
(入る前に観察していたから、教会の周囲はイメージできる)
目をつぶり、意識を集中させる。
頭に思い描くのは外から見た教会の姿――聖堂の扉の前だ。
より深く、より具体的にイメージする。そこに存在する自分。想像した景色がこちらへと引き寄せられる感覚。
空気の臭い、空の色、地面の感触、そして自分自身。全てが一度溶け、そして世界が再構築される――。
ぐっと拳を握った刹那、シャロンの体は宙に投げ出されていた。
「……っ」
両足で地面を踏みしめる。
目を開けたとき、すぐ側にいたのは驚いている様子のロブだった。
「凄いな、こんな精度で飛べるなんて……」
シャロンが立っているのは聖堂の扉の真ん前だ。サボテンを用いての瞬間移動の訓練は、思っていた以上の効果を発揮したようである。
「ありがとう、アネット。君は間違いなく僕らの仲間だ」
ロブは花咲くような笑顔を浮かべ、シャロンに手を差し出した。
「来て。君に会わせたい人が沢山いるんだ」
一瞬、手を取ることを躊躇した。
相手は恐らくテロ組織で、自分はこれから諜報員として潜入しようとしている。組織の人達に温かく歓迎され、仲間として認められても、いずれは全てを裏切らなければならない。――同じ痛みを抱えるこの少年のことも。
(善人でいようとするな。私はアネット・レンツでも、アンドレア・アーベルでもない。……B&Bのスパイだ)
「ありがとう、ロブ。ここであなたに出会えたのはきっとプリンシパル様のお導きですね」
シャロンは満面の笑みを浮かべ、ロブの手をしっかりと握った。




