SPELL OF THE SAINT#1 /2
「……どうかしたか?」
緑色の瞳に見据えられ、シャロンは分かりやすく動揺した。
だが、ここで黙っては余計に怪しまれる。諜報員ならば警官との会話くらいこなせなければ話にならない。
「NPCIの方が教会に来るなんて珍しいと思いまして。何か事件でも?」
おそらくノヴォヴィチキ地区での殺人事件を追っているのだろうが、ここは知らないふりをするのが賢明だ。
「まあ、そんなところだよ。君はこのあたりの人?」
「住んでいるのはマクセルです」
「なら、どうしてわざわざロトスの教会に? 教会ならマクセルにだって沢山あるはずだ」
「顔に布がかかっている珍しいマリア様がいると聞いて。友達がずっと探していたので、一目見たかったんです」
「その友達は?」
「死にました。つい先日」
嘘ではない。だからこそシャロンの言葉には重みがあった。
「……悪い、嫌なことを思い出させた」
「気にしないでください」
気まずい沈黙が二人の間に横たわる。
赤髪の男性は思った通り堅い性格のようだが、決して無愛想というわけではなさそうだった。
「念の為、名前を聞いてもいいか。……ああ、悪い。俺が先に名乗るべきだな」
男性は懐から身分証を取り出し、シャロンに見せる。
「凶悪犯罪捜査課のエドワード・オランジュだ。周りからはエディって呼ばれてるけど、まあ好きに呼んでくれ」
(凶悪犯罪捜査課……よりによって、パシフィカのFBIと鉢合わせるだなんて)
男性の身分は、薄れかけていた緊張を再び呼び起こした。
「あの……もしかして私、疑われてますか?」
「誰でも疑うのが仕事なんだ」
「嫌な仕事ですね」
「俺もそう思うよ」
シャロンは軽く下唇を舐めてから口を開く。
「アネットです。アネット・レンツ」
シャロンはこの名前で国民IDを取得しているので、ある意味では本名と言える。
「歳は?」
「二十歳です」
「仕事は? 学生か?」
(多分、あとで国民データベースを照会するつもりなんだろうな……)
NPCI本部の捜査官は国民の情報を照覧する権利を持つとシモンが言っていた。後から発言に矛盾がないか確認するつもりなのだろう。
自身の「個人情報」は頭に叩き込んであるので身元確認をされても特に問題はない。ただ、相手に主導権を握られたままなのは少し癪だった。
「その前に、名刺を頂戴してよろしいですか?」
「えっ」
赤髪の男性――エディは不意を突かれたかのように目を瞬く。
「構わないけど……」
エディがハンドヘルドデバイスを操作するやいなや、シャロンの懐にあるデバイスが短く震えた。電子名刺を送ってくれたのだろう。
シャロンは表情を変えず、送られてきた名刺を確認した。
「ありがとうございます。ああ、本当に本部の捜査官さんだったんですね」
「疑ってたのか?」
「ロトス島は警察官も信用できないと職場の人に言われていたので。お祈り中にあれこれと質問してくる人なんて、特に」
むっとするかと思いきや、エディは濡れた子犬のような顔で項垂れる。
「確かにちょっと不躾だったな。申し訳ない。配慮に欠けていた」
「あ、いえ……」
思ったより素直な反応に、今度はシャロンの方が面食らった。
「私の方こそ疑ってすみません。ええと……今は大学へ行くお金を貯めるために、ソフトウェアを作る会社でアルバイトをしています」
「大学へ行く資金を自分で貯めてるのか? 偉いな」
「暮らしていた養護施設から、国外の大学へ進学する場合は援助はできないと言われてしまって。それでもパシフィカに来たくて、ほとんど家出のような形で施設を出たんです」
「元々はどこに?」
「ドイツです。あんな場所、一刻も早く出たかった」
「それは、その……あれか。魔法使いの」
エディが言葉を濁しているのは、シャロンが魔法使い排斥派なのか、あるいはリベラルなのか判断しかねているからなのだろう。
「今の欧州はおかしいです。ひどい差別が罷り通ってる。あそこで長く暮らしていたら、私まで差別主義者になりそうで」
「……まあ、気持ちはわかるよ」
エディの表情が少しだけ陰りを帯びる。
「エディさんも、もしかしてフランスから?」
「いや、俺はカナダのモントリオール出身だ。でも小さい頃にパシフィカに移り住んだから、あまりカナダ人って意識はないな」
「羨ましいです。こんな自由で新しい国に小さい頃から住んでいたなんて」
「いいことばかりじゃないさ。戦争で多くのものを失ったし、その後始末がまだ出来ていない。君がさっき言った通り警察は腐敗していて、殺し屋組織が司法機関みたいな顔をしてる。マフィア連中だってやりたい放題だ」
殺し屋組織とはB&Bのことを指しているのだろう。
エディという人間の誠実さに心を許しかけていたが相手はNPCIの捜査官だ。そして自分はB&Bの諜報員。今はこうして穏やかに話をしているが、本来は敵対関係にある。
「悪い、余計な話だったな」
エディは警察官の顔を繕い直し、再びシャロンへ緑色の瞳を向けた。
「先日、ノヴォヴィチキ地区で男女二名が殺害された。知ってるか?」
「ニュースで見ました。確か、魔法使いが犯人かもしれないって」
NPCIが報道規制を敷いているため、殺害された男が自分で自分の首を絞めたことは今のところ公にされていない。だが魔法使いの仕業という噂だけはパシフィカ中に広まっており、SNSでは事件に対する邪推やデマが飛び交っていた。
「魔法使いの仕業かどうかはさておき、容疑者がユーリエフ地区に逃げ込んだという情報を耳にしてね。それでこうして聞き込みをしているってわけさ。何かあったら、そこに連絡をくれると助かる」
そこ、と言って指さしたのはシャロンのハンドヘルドデバイスだ。名刺に記載されたアドレスか番号に連絡して欲しいということだろう。
「分かりました。何かあれば、必ず」
「ああ。頼むよ」
エディの返事を最後に、再び沈黙が両者の間に横たわった。
静謐な教会にこうして並んで座っていると、世界にたった二人取り残されたような気分になる。そして何故か、その寂しさを過去にも一度体験しているような気がした。
「あの、さ……変なことを聞くんだけど」
沈黙を破ったのは、今までとは打って変わって弱々しいエディの声だ。
彼は無意味に指を動かしながら、躊躇いがちに続きを口にした。
「どこかで一度会ったこととか……ないよな?」
思わぬ問いに心臓が跳ねた。
エディも同じことを思っているということは、やはりどこかで一度会ったことがあるのだろうか。オーストリア出身の人間とカナダ出身の人間がパシフィカ以外で顔を合わせているとは考えにくいが。
(いや、余計なことは考えるな。私は今、役を演じている最中なんだから)
シャロンは拳を軽く握って動揺を押さえ込んだ。
「ないと、思いますけど」
「そうだよな。悪い、忘れてくれ」
再び気まずい静寂が聖堂内に満ちる。
心臓の音さえ伝わってしまいそうな静けさを打ち破ったのは、二つの足音と快活な声だった。
「待たせたな、エディ。連れてきたぜ」
現れたのは先ほどの大柄な警察官と優しげな顔の神父だ。
エディは立ち上がって二人の方へと体を向ける。
「すみません、神父。少しお話を伺いたいのですが」
「ええ、もちろんです。どうぞ司祭館の方へ。大しておもてなしもできませんが」
「おかまいなく。すぐに終わります」
神父に案内され、二人の捜査官は聖堂を後にした――かと思いきや。
「アネット、最後に一つだけ個人的な質問をさせて欲しいんだが」
すっかり安堵しきっていたところへ声をかけられ、シャロンはびくっと肩を跳ねさせた。
「はい、なんでしょう」
「君はドイツの養護施設出身なんだよな? まあ、その、知らないとは思うんだが」
口元に手をやって思案してから、エディは躊躇いがちに続きを口にする。
「アンディって女の子に心当たりはないか」
一瞬、言葉を失った。
何かを口にしたくとも喉が詰まって何も言えなかった。
「オーストリアの孤児院から来た子なんだ。歳は君と同じくらい……いや、もう少し年下かな」
「そっ……」
ドッドッと心臓の音が全身に響いている。手の震えが酷い。
それでも、シャロンは〝アネット・レンツ〟としての顔を崩さなかった。
「その子も、何かの事件の容疑者なんですか?」
「いや、被害者だよ。とある女の子に、その子を見つけ出して助けると約束したんだ。それでずっと行方を追っている」
(やっぱり、この人は……)
リタが助けを求めようとした警察官はこの人だったのだろう。リタが死んでしまった後も、エディはアンドレア・アーベルを助けようとしてくれている。おそらく、相手が魔女だと分かった上で。
もしあの時、ファミリアに捕まらず助けを求めることに成功していたらどうなっていたのだろう。今頃はリタと二人で幸せに暮らしていたのだろうか。
けれど、そうはならなかった。
リタは死んで、アンドレアは死神の手を取った。だから今こうしてここにいる。自分の選択に後悔はないし、運命を恨んでも仕方がない。
ただ、魔女を助けようとしてくれた人がいた――その事実は胸の内の痛みを少しだけ和らげてくれたような気がした。
「ごめんなさい、心当たりはありません」
気づけば心臓の音も手の震えも収まっていた。
「そうか。変な事を聞いて悪かった。……それじゃ」
男の子のような笑みを浮かべ、エディは立ち去っていった。




