INCENDIARY FIRE#4 /1
イーストヘイヴン島ヴィオリア地区。
集会場所に指定されたナイトクラブ『アヴローラ』はスーツの男達によって厳重に警備され、殺伐とした空気が満ちている。周辺の道路は封鎖されており、一般市民はおろかNPCIすら『アヴローラ』に近づくことは許されない。
そんな中、通行を許可されたであろう一台のセダンが店先に停まる。後部座席から姿を現したのは菫色のスーツを着た白人男性だ。
天使じみた金髪碧眼の男――アーサー・ベイリアルは、側近のヘルマン・シャッヘを伴って『アヴローラ』の中へと入っていった。スーツの男達が威嚇的な視線を彼へと向けているが、当の本人は全く意に介さず、薄い笑みを湛えて地下への階段を降りていく。
ロビーでボディーチェックを受け、ベイリアルは重厚な扉の奥へと歩を進めた。
薄暗いホールの真ん中には円形のテーブルが置かれ、それを取り囲むように一人がけのソファーが五台並んでいる。うち四台は既に埋まっており、腰掛けている全員が最後の一人に鋭い視線を向けていた。
「お揃いだったとは。お待たせして申し訳ありません」
ベイリアルはどこか気品の感じられる所作で空席に腰掛けた。側近のシャッヘはソファーの後ろに控えている。他の四人も後ろに側近を伴っているようだ。
「なに、構いやしねえさ。パシフィカに来たばっかりじゃ道にも迷うってもんだろ」
口を開いたのはサングラスをかけたラテン系の男だった。スーツを着崩し、大ぶりの宝石に飾られた指で煙草を燻らせる姿は、いかにも中南米のマフィアといった雰囲気だ。
「ちゃんとパパにお出かけしますって伝えてきたか? 夜の一人歩きは危ねえぞ、お嬢ちゃん」
男の後ろにいる側近が口元を押さえてニヤニヤと笑っている。あからさまな侮辱だが、ベイリアルは肩を竦めるだけで笑みを絶やすことはなかった。
「父にはきちんと報告してありますのでご心配なく。兄の二の舞になるつもりはありません」
兄とはベイリアルの前任だったアグレスティのことを指す。
クラウン・ファミリアでは大首領を唯一の父、構成員をその子供として見立てており、幹部達は昇格した順に兄弟として扱われる。ベイリアルは現時点で最も新しい〝悪魔〟のため、幹部の中では末弟という扱いだった。
「そりゃなによりだ。お兄ちゃんは夜の一人歩きが祟って、人食い熊に食われちまったからな。お嬢ちゃんもそうならないように気をつけろよ」
「ええ。人食い熊もそうですが、腐肉を狙うジャガーを見かけた場合は環境保全の一環として始末するようにと父から言いつかっております」
空気が途端に殺気を孕む。
五人のうち東南アジア系の男がくくっと喉を鳴らして笑ったが、ラテン系の男から血走った視線を向けられ、バツが悪そうに口元を隠した。
「魔女狩り風情がいい度胸だな。今ここで兄貴ンとこに送ってやっても――」
「それくらいにしておけ、ムエルテ。ファミリアとやり合いたいのであれば、この会合が終わってからにしろ」
男を諫めたのは五人の中で一際存在感を放つ白人の男だ。髭を蓄え、手の甲に入れ墨を覗かせ、仕立てのいいスーツに身を包んだその姿は、まさしく絵に描いたようなロシアンマフィアのボスである。
「こうして五つの組織が一堂に会するのは三年ぶりか。まずは全員が息災だったことを喜ぶとしよう」
良く通るその声は場の空気を一変させるに十分すぎる力を持っていた。
男が言うとおり、今夜、ナイトクラブ『アヴローラ』にはパシフィカに地盤を置く五つの組織が集っている。
ロトス島全域とイーストヘイヴン島北西地域を縄張りとするロシアンマフィア〝ストラースチ〟。――パシフィカ支部ボスであるパヴェル・ヴォルコフ。
明ノ島全域とイーストヘイヴン島南西地域を縄張りとする中国マフィア〝|黒山幇《ヘイシャンパ
ン》〟。――パシフィカ支部ボスである陳明剛。
ロトス島南東地域とマクセル島の一部を縄張りとするメキシカンマフィア〝サンタ・ムエルテ・ファミリー〟。――ボスのパブロ・フェルナンデス。
明ノ島西部と開発途中のマハーハ島の一部を縄張りとするフィリピンマフィア〝カラバウ〟。――ボスのホセ・ルイス・サラザール。
そしてひと月程前に突如として活動を再開した欧州の犯罪組織〝クラウン・ファミリア〟。――パシフィカ支部ボスのアーサー・ベイリアル。
各組織のボスがわざわざ招集されたのは、パシフィカという国そのものを揺るがしかねない重大な問題が発生しているからだった。
「全員が息災とは言えないのではないか? 一人、別の人間に入れ替わっているぞ」
口を開いたのは中国系の太った男――陳明剛だ。高級感のある唐装風のジャケットを身につけており、ぶよぶよの指には幾つも指輪を嵌めている。
「気にくわないと滅ぼしておいて、首がすげ変わった途端に同盟関係とはな。そんなにこの男の具合がよかったのか?」
陳の下卑た揶揄に、メキシカンマフィアのボス、フェルナンデスが肩を震わせて笑う。
一方、ヴォルコフはため息を吐き、鬱陶しげに頭を振った。
「利害が一致したため手を組んだ。それだけだ」
「利害か。なるほどな。魔法使いどもを滅ぼすというのであれば、確かに魔女狩り集団と手を組むのは賢いやり方だ。魔法使いをいじめ抜くことに関してファミリアの右に出る者はおらんからな」
陳はうんうんと頷きながら身を前に乗り出し、小さい目でベイリアルを見据える。
「だが、友人は選んだ方がいいのではないか? 悪魔と手を組んだ人間がどうなるかなんぞ、分かりきっておるだろうに」
「貴様は我々の勢力が拡大することを恐れているだけだろう。安心しろ、明ノ島に手を伸ばすつもりはない。今のところはな」
「ふんッ、どうだかな。魔法使いと手を組んでいたと思えば、今度は魔女狩り集団だ。ロシア人の言うことは信用できん」
肥え太った体を再びソファーに沈め、陳はシガーケースから煙草を一本取り出して口元に運んだ。すかさず後ろに控えていた男がライターを差し出し、煙草の先に火を付ける。
ヴォルコフと陳の会話をよそに、ベイリアルの視線はその影のような男に縫い止められていた。
陳と同じ中国系で、歳は四十歳前後といったところか。ストライプの入ったダークスーツに紺色のシャツを合わせており、スクエアタイプの眼鏡をかけている。淡白な顔立ちも相まってか、マフィアの幹部というより舞台役者のような印象を受ける。
ほとんどの人間は彼のことを印象に残らない地味な男と評するだろう。しかし、その佇まいと纏っている空気は明らかに常人のそれではない。眼鏡の奥に覗くのは地獄を経験した者特有の暗い目つきだ。
男の異質さに気づいているのは、ホールの中ではベイリアルただ一人のようだった。
「なんだ、こいつが気になるのか?」
陳に声をかけられ、ベイリアルはようやく影めいた男から視線を外す。
「ロシア人だけじゃ飽き足らず、中国人までつまみ食しようとはな。放蕩の悪魔の名は伊達ではないということか?」
「気が合いそうだと思っただけです。こちらに来てばかりなので、友人を作ろうと思っておりまして」
「友人か、それはいい! おい、許。天使のような顔の悪魔様からご指名だぞ」
許と呼ばれたその男は、上司に呼びかけられてもなお視線を動かそうとしなかった。
「……私のようなつまらない男では不相応かと」
「ふん、己のことをよく理解しているではないか」
陳は贅肉を揺すりながら不快な笑声を漏らした。
「こいつは本当に面白みのない男でな。本国から使うようにと言われて仕方なく側に置いてはいるが、ニコリともしない。AIの方がまだ愛想がある。そうだなッ、許」
「はい」
「見ての通りだ、ミスター。情夫には向かない男だが……それでも構わないというのであれば下賜するのも吝かではない」
ベイリアルはため息交じりに頭を振った。組まれた手が膝の上で力んでいることに陳は気づいていなかった。
「いいえ、結構です。友人に首輪をつける趣味はありませんので」
「なんだ、首輪は付けられる方が好みか? 確かにその顔では、そうやって成り上がった方が早いだろうな」
「…………」
ここに来てようやく許の視線が動いた。ベイリアルの静かな殺気に気づいたのは彼ただ一人だった。




