SECOND FIRST BREATH
「――は?」
長い沈黙を経て、ヤオがようやく口に出来たのはその一声のみだった。
四月十日午前十時。
ヤルテ島イズモシティ郊外にあるシモンチームアジトには、シモン、トウコ、ヤオ、ローラ――そして何故かアンドレアが集まっていた。
パソコンデスク横で回転椅子に腰掛けているトウコはチームの諜報員兼サブリーダーだ。日本人らしいさっぱりとした顔立ちをしているが、その無個性な顔はトウコにとってのキャンバスであり、メイクであらゆる姿に変貌することができる。特殊メイクにも秀でており、変装能力と演技力でトウコの右に出る者はいない。
「悪い、おそらく俺の聞き間違いだ。もう一度言ってくれ」
「仕方がないですねぇ。では、もう一度」
シモンは腹の立つ苦笑を浮かべ、アンドレアの肩に手を置いた。
一方、アンドレアは緊張しているのか、視線を泳がせながら何度も瞬きをしている。以前よりも大人っぽく見えるのは、髪を後ろで束ね、ダークグレーのパンツスーツを着用しているからなのだろう。
「こちら、新しく諜報員としてチームに入ることになったシャロンです。仲良くしてくださいね」
ヤオとローラは呆然と目を見開き、無言のまま互いに顔を見合わせ、再び揃ってシモンへと視線を向けた。
「……狂ったのか?」
「狂ってませんってば! 事あるごとに僕を狂人扱いするのやめてもらえます!?」
「いや、これは言われても仕方がないだろ……」
ヤオは同意を求めるようにローラへ視線をやった。ローラは小さくうなずくだけで、変わらず絶句していた。
唖然とする部下二人をそのままに、シモンは頼れる上司といった風にアンドレアへ微笑みかける。
「じゃあ、シャロンからもひと言お願いします」
「はい」
アンドレアは少しだけ背筋を伸ばし、小さな口で拙い英語を操った。
「えっと、シャロンです。今日から一緒にお仕事するます。よろしくお願いします」
返事はない。先輩二名は未だにショック状態から回復できていない様子だ。
「諜報員なので、仕事は僕とトウコが教えていくことになります。お二人と一緒に仕事をすることはしばらくないと思いますが……まあ、同じ職場の後輩ですし、色々と教えてあげてくだいね」
やはり返事はなかった。
「そうだ、シモン。今更なのだが――」
口を開いたのはトウコだ。
状況が呑み込めないヤオとローラをそのままに、シモンとトウコの管理職コンビはディナーのメニューを決めるかのような気軽さで話を始めた。
「いつからうちのチームは出勤時にスーツを着用する決まりになったんだ?」
「えっ? いや、別にそんな決まりないですけど」
「そうは言っても、アジトに集まるときは全員スーツを着ている。暗殺担当の四人など判を押したように黒スーツだ」
「うーん、なんなんでしょうね、雰囲気? みたいな……? 僕ぁ別にスーツでも私服でも構わないんですけど」
「そういう君もスーツじゃないか」
「トウコだって」
「む、確かに」
「ほらぁ」
部屋に響き渡る愉快げな笑い声がヤオとローラの苛立ち、そしてアンドレアのいたたまれなさを煽ったのは言うまでもなかった。
「お喋りをしているところ悪いんだが」
口を挟んだのはヤオだ。苛立ちが混乱を上回り、幾分か冷静になったようである。
「状況が飲めない。何がどうなればクソガキをチームに入れるという発想になるんだ」
「そのことなんですが、海より深ぁい事情がありまして……」
シモンは大きくため息をつき、二の句を継ぐ。
「以前、僕が受けた依頼はシャロンを救出し、無事だということを報告する、といったものでした。なのでシャロンが集中治療室から出られるようになった段階で任務完了の報告をしたわけなのですが……その後、何の音沙汰もなくなりまして」
「どういうことだ」
「クライアント的には、無事が確認できたので後は好きにしてくださいって感じなんでしょうね。だったらなんで依頼したですかぁ? って話なんですけど……」
「任務が終わったのなら、そのまま放っておけばいいだろ。なんでわざわざ――」
最後まで言葉を紡がなかったのは理由に気づいたからだ。
その理由は、まさにヤオ自身が以前口にしていたことだった。
「シャロンはヤオさんとローラさんの〝暗殺者〟としての顔を見ています。本来であれば始末しなければならない目撃者です。実際、本部に問い合わせたところ、始末するようにとの命令が返ってきました」
「お前、まさかそれで……」
「本人も死にたくないと言っていましたし、僕としても助け出した相手をわざわざ殺しちゃうのはなんだかなぁと思いまして。色々考えたところ、もう方法としてはこれしかないかな、と」
B&B構成員の素性を知ることが許されるのは同じB&B構成員だけだ。確かに、アンドレアがB&Bに入れば、ヤオとローラの顔を見てしまった件は不問にできる。――の、だが。
「言いたいことは分かるが、クソガキは何の能力もないただのガキだろ。そもそもまだ未成年じゃないのか、そいつ」
「国民IDは二十歳で作っておいたので問題ありません。データ上ではヤオさんと同い年です」
「そういう問題じゃない」
「能力面は確かに不安がありますが、それ以上に、現役の魔法使いというのは利用価値が大きい。瞬間移動の魔法を極めれば相当なアドバンテージになりますし、立場を利用して魔法使いのコミュニティに潜入してもらうことも可能です。諜報員としての能力は……まあ、僕とトウコがついているのでなんとかなるでしょう!」
殴りたくなるような笑顔だ。トウコがうんうんとうなずいているのも腹立たしい。
未だに納得がいっていないヤオを一人残して、ローラは諦めたように両手を挙げた。
「降参よ、降参。シモンのやることにいちいち突っ込んでたらキリがないもの。アタシは受け入れるわ」
「嘘だろ、本気か?」
「アタシ達だって、諜報員を増やしてっていつも言ってたじゃない。増えてよかったと思いましょ」
「まともに仕事もできないお荷物を抱えろといった覚えはないんだが」
「能力のない人間が居続けられる職場じゃないんだから、駄目だったら殉職して終わりよ。頑張って生き延びるか、リタイヤするかはアンドレアの頑張り次第。違う?」
ヤオは言い返そうと口を開いたが、眉を顰めるだけで終わった。
生きる意思のある者が残り、そうでないものは消えていく。――それはシモンチームのみならず、パシフィカという地における絶対的なルールである。
「ああ、ごめんなさい。シャロンだったかしら。……本名を知ってると変な感じがするわね」
シモンは得意げな顔でふんぞり返った。名付け親として自慢したい思いがあるのだろう。
実際には、シモンが考えるコードネームは覚えづらい上に統一性がないとして、チーム内でかなり不評なのだが。
「改めて……アタシはローラ。よろしくね、シャロン。貴方と仕事ができるなんて嬉しいわ」
ローラは「ほら」とヤオに促した。
「…………」
心底鬱陶しげな面持ちでアンドレア――いや、シャロンを睨み、ヤオは整った唇を微かに開く。
「……仕事の邪魔だけはするな。後は好きにしろ」
「分からないことは何でも訊いてくださいって意味よ、これ」
「なわけあるか」
「こんな感じだけど、食べ物で釣ったら結構頼み事聞いてくれるから試してみて」
「おい」
シャロンは真面目な表情でうなずく。
「わかりました、やってみます」
「わかるな」
三人のやりとりに、シモンは顔を覆い、肩を震わせて笑っていた。離れた所にいるトウコは何故か首を大きく縦に振っている。
「いやあ、上手くやっていけそうでなによりです。生憎、現在二名が任務中につき不在なんですが、あの二人はすぐに君のことを受け入れると思うので安心してください」
シモンはパン、と手を一度だけ打ち鳴らした。
「ということで、チームメンバーが一人増えましたが、みなさんこれからもよろしくお願いします」
気だるげにため息をつく男。手をひらひらと振る女。無表情で拍手をする女。反応は様々だ。
そんな一癖も二癖もある面々を、シャロンは真剣な面持ちで見回した。
空色の瞳にはもう虐げられることへの恐怖も、見知らぬ地に放り出された不安もない。ただただ〝生き延びる〟という強い意志が、その透き通った目の奥に宿っていた。




