STAKE#5 /1
時間がものすごくゆっくりに感じられる。
見開かれたリタの目から涙がこぼれ、水滴が宙を泳いでいく。さながら、真空空間に放り出された宇宙飛行士のように。
その水滴とは反対の方向へ、リタの体は少しずつ移動していった。
必死に指先を伸ばしても、何にも触れられない。
リタの唇が微かに動いているのに、何も聞こえない。
アンドレアとリタは、引き延ばされた時間の中でいつまでも見つめ合い、そして――。
魔法のような時間がとうとう終わりを告げたとき、アンドレアの耳朶を打ったのは銃声の余韻と人体が倒れる音だった。
「******、****!」
男達が何かを喚いている。手を押さえて転げ回っている者もいる。
だが、そんなことはどうでもよかった。
リタは床に倒れたまま動かない。目は開いているが、もうアンドレアを見てはいなかった。
赤い液体が床に広がっていく。
リタのこめかみに空いた赤黒い穴から。
「――うそ」
伸ばした手をそのままに、どしゃりと膝をつく。
まだ死んでない。
リタは生きてる。
だってリタは強くて、かっこよくて、優しくて、凄い魔法使いで、いつでも一緒で、ずっと一緒にいようって約束してくれて、それで、それで――。
「***」
冷たい一声のあと、リタの体が小さく跳ねた。
煙を立ち上らせている銃口はリタの顔面を捉えている。
「*****!」
ナギーブは目を真っ赤に充血させ、至近距離からリタの顔に何度も銃弾を撃ち込んだ。
(やめて……)
銃声のたび、細い腕が力なく跳ね上がる。
(やめてよ)
コロコロと表情を変える可愛らしい顔が、穴だらけになっていく。
(やめて、やめて、やめてやめてやめて!)
――ぐしゃ、という無慈悲な音。
リタの顔は高級そうな革靴に踏みつけられ、完全に破壊されていた。
「あ……」
涙が頬を伝い落ちていく。
けれど心が麻痺していて悲しみも怒りも感じない。ただただ、この理不尽に対する疑問だけが頭の中を支配している。
――魔女だから。
ふと、記憶の奥底に封じていた言葉が脳裡を過ぎった。
魔女は生きていてはならない。魔女は醜悪で邪悪な存在。魔女は殺さなければならない。呪われろ、魔女め。呪われろ。呪われろ!
(そうだ、確か、お父さんとお母さんが殺された時も……)
優しかった村の人達は魔法使いへの怨嗟を吐き散らしながら父と母を殺した。逃げ出す直前に見たのは、大勢に顔を踏みつけられている母の姿だった。
「*****ッ!」
顔面を蹴られて我に返る。
面を上げた時、目の前にあったのは吸い込まれそうなほど真っ暗な銃口だった。
「*****」
何と言っているのかは分からない。モニタを見る気にもならない。
分かるのは、ナギーブが右手をぐちゃぐちゃにされて怒り狂っているということ。そして、〝お話〟の時間はとっくに終わったのだということ。
(この人、私を殺すつもりだ)
不思議と恐怖は感じなかった。
何の音も聞こえない。臭いも、感触もない。
目の前が白く霞んで、何もかもが視界から消えていく。
まるで自分が、空っぽになった気さえする。
「*********!」
――その空白に火を付けたのは、強烈な怒りと憎悪だった。
劈くような銃声。
しかし、銃弾はアンドレアの眼前で凍り付いたように動きを止めた。
ナギーブは続けて引き金を引くも、放たれた弾丸は全て同じ場所で停止している。純然な殺意を湛えた、空色の瞳の前で。
「……****!」
恐怖の混じった叫声が部屋に響き渡る。
何と言ったのかは分からないが、何となく「魔女」と罵られたような気がした。
刹那、停止していた弾丸の全てが短く震え――
「――……ァ」
一斉にナギーブの顔面へと撃ち込まれた。
ナギーブはぐるりと目を剥いたあと、背中から倒れていった。
「…………」
護衛の男達は主人の死と本物の魔法に動揺し、動けずにいる。
一方、アンドレアも強烈な頭痛と動悸に苛まれ、まともに動けずにいた。少し視線を動かすだけで頭が割れそうになる。体の中の血管が破れ、色々なところから血が溢れてしまいそうだ。
「……*****ッ!」
膠着状態にも似た静寂を打破したのは、護衛の内の誰かが発した怒声だった。
その声に促され、男達が揃って銃を構える。
アンドレアはどうにか視線を巡らせ、男達を見た。
頭が痛い。目の奥が弾けてしまいそうだ。
それでも、まだ空白に付いた火は消えていない。
銃声、銃声、銃声。
四方から放たれた銃弾が魔女を取り囲んでいる。
しかし、その全てはアンドレアを穿つ寸前のところで凍り付き、微動だにせず宙に留まった。
「***」
誰かが聞き慣れない言語でぽつりと呟く。
直後、全ての銃弾は放った者の脳天へと撃ち込まれ、護衛達はばたばたと倒れていった。
「……う」
動く者が誰一人いなくなった部屋の中で、アンドレアの荒い呼吸だけがずっと響いている。
頭の奥で何かが千切れたような感じがする。鼻血が止めどなく溢れてくるものの、それを拭うだけの気力はもう残っていない。
視界がかすむ。手指が震える。
いつしか、胸の内で燃え上がっていた炎は消え去っていた。後に残ったのは親友を失ったという悲しみと虚しさだけだ。
破壊を免れたリタの右目がアンドレアを見ている。
このまま親友の側で終わるのもいいかもしれない。どのみち、世界には魔女の居場所などないのだから。




