STAKE#3 /1
三月二十二日、十五時。
NPCI凶悪犯罪捜査課のエディとパットは、ジェスル島マクラン・ハリージュにある劇場『ミラクテス』を訪れていた。
馬蹄のような形をした前衛的な建物だ。全面ガラス張りで、外からでも劇場の様子が見えるようになっている。周りの広場も美しく、いかにも金がかかっていそうな噴水があちこちでしぶきを煌めかせていた。
だが、この『ミラクテス』ですら、ジェスル島の中では小規模劇場として扱われる。中心街のジェスル・シティに聳える劇場など、もはや宮殿か何かだ。マクセル島の狭いアパートに住んでいるエディには縁遠い話だった。
「こんなご立派な劇場の地下で、夜な夜な少女達を拷問して売りさばいているとはね。いかにもジェスル島って感じだぜ」
相棒の発言に思わずうなずきかけたエディだったが、すんでの所で踏みとどまった。差別的な言葉は思ったとしても口には出すな。――亡き父が口を酸っぱくして言っていたことだ。
「にしてもよ……組対からの情報、本当に信用できるのか?」
「フレッド経由の情報だ。俺は信じるよ」
「ま、あいつらがつき合ってくれてる以上、ある程度は信憑性があるんだろうが……。そもそもだ、なんで俺たちが動かなくちゃならないんだよ。組対の仕事だろ、これ」
「仕方ないだろ、組対が動かないんだから」
「まったく嫌になるぜ。魔女の嬢ちゃん方も見つからないしよ」
パットは大きくため息をついた。気持ちは分からないでもない。
二日前、リタらしき少女が明ノ島で発見されてからというもの、エディとパットは彼女を追い続けた。
目撃情報によれば、少女は二人組だったらしい。おそらく片方はアンディだろう。リタは友人を助け出すことに成功したのだ。
許されるなら、このまま見逃してあげたい。
だが、リタが殺人事件の容疑者で、エディがNPCIの捜査官である以上、それは決して許されない。どんな理由があれ、罪は法によって裁かれなくてはならないからだ。
「……とにかく今はサーカスの方に集中しよう。組対からの情報が確かなら、ここはファミリアの根城ってことになる」
「パンデモニウムってか? 厄介なところにジャケットを落としちまったもんだな、お前も」
「本当にな」
広場にいる人達から奇異の視線を向けられながら、エディとパットは劇場内へと入っていった。
(うわ、すごいな……)
高級ホテルのような洗練された内装だ。三層に分かれたロビーがホールをぐるりと取り囲んでおり、天井からは豪奢なシャンデリアが垂れ下がっている。バーやカフェもあるようだが、開場前ということもあってか客の姿はほとんどなかった。
鏡のように磨き上げられた床をズカズカと踏みしめ、インフォメーションカウンターへと向かう。
明らかに場違いなエディ達を見て、受付の女性スタッフは訝しげな顔をしていた。
「何かご用ですか」
「NPCI凶悪犯罪捜査課だ」
私服のブルゾンから身分証を取り出す。
「殺人事件の容疑者がこちらの潜伏しているとの情報を得た。劇場内を確認させてもらいたい」
「かしこまりました。本日は六時から開場となりますので、できればそれまでに……」
スタッフの発言を遮ったのはパットだった。
「へえ、六時から開場なのか。以外と早いんだな」
「開場時間は、開演の三十分前となっております。本日は六時半からオペレッタ『グリモア』を上映予定で――」
「オペラ? 聞いてた話と違うな。もっとこう、騒がしい催しをやると聞いてきたんだが」
女性スタッフはますます困惑している。聞き込みの際に人を煽りたがるのはパットの悪い癖だ。
エディは咳払いをし、単刀直入に切り出した。
「地下のVIPエリアを確認させてもらいたい」
明らかに、女性スタッフの顔色が変わった。
「申し訳ありませんが、VIPエリアへの立ち入りは……」
「レイモンド・バーンズ氏を殺害した容疑者を追っている。ジェスル評議会が八万五千アトルの懸賞金をかけている人物だ。フリーランサー達がここに気づく前に身柄を確保したい」
「VIPエリアはセキュリティレベルが高く、部外者が侵入することはまずあり得ません。何かの間違いではないかと……」
「相手は魔女だ。ここのセュリティは、魔法にも対応できるのか?」
「…………」
スタッフの表情がどんどん曇っていく。地下のVIPエリアによほど見られたくないものがあるらしい。
「ただいま上の者に確認をいたします。少々お待ち頂いてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わない」
耳元に手を当て、スタッフは足早に立ち去っていった。少し離れた所にいるもう一人のスタッフも顔を青くし、エディ達から目を背けている。
(これは、本当に当たりかもな……)
フレッドからの情報を疑ってはいなかったが、正直なところ、上手くいくとも思っていなかった。
弱小組織とはいえ相手はギャングだ。ガサ入れの情報を事前に察知し、引き上げていてもおかしくはない。残念ながら、各島支部にはギャングに情報を流して裏金を貰っている警官が少なからずいる。
だが、スタッフの慌てようを見るに連中はまだ撤退していないようだ。拉致された少女達も地下に捕らわれている可能性が高い。
「ですから、NPCIが……」
スタッフがインカムで誰かと話をしながら、エレベーターの方へと歩いて行く。
ふと、ガスのような臭いが鼻をかすめた。
(なんだ、この臭い……)
周りを見回しても臭いの元らしきものは見当たらない。一瞬自分が臭うのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
エレベーターホールへたどり着いたスタッフがボタンを押す。
刹那、突き上げるような衝撃がエディを襲った。
「なッ……!」
とんでもない揺れだ。劇場全体がミシミシと音を立てている。
エレベーターの扉が開いた瞬間、隙間から吹き出した何かがスタッフを吹き飛ばした。それが爆風だと気づくのに時間はかからなかった。
(爆発……? 地下か!?)
「おいおい、どうなってんだよ!」
パットが慌てて吹き飛ばされたスタッフへと駆け寄る。
エディも後に続こうと思ったが、何かが足にぶつかってその場に留まった。
床を滑ってきたのはトランシーバーだ。爆風で飛ばされてきたとも思えない。誰かがよこしてきたのだろう。
混乱が色濃くなっていくロビーを見回しながら、エディはトランシーバーを拾い上げてプレスボタンを押した。
「――誰だ」
一拍を置いて、男の声がエディの耳朶を打つ。
<はじめまして、オランジュ捜査官。貴方を巻き込んでしまったこと、どうか謝罪させてほしい>
パシフィカでは珍しい、わざとらしいほどのイギリス英語だ。
エディは咄嗟にガラス窓の外へ視線を向けた。だが声の主らしき人影は見当たらなかった。
<本来であれば貴方が来る前に済ませるつもりだったのだが、少し計算が狂ってしまった。怪我がなければいいが>
「お前がやったのか」
<掃除を怠けていたものでね。捜査官殿に散らかった部屋をお見せするわけにもいかなかったので、少々大雑把な方法で片付けさせてもらった。ああ、地下へ行こうなどとは考えない方がいい。この後、もう一度掃除をするつもりなので>
トランシーバーを持つ手に力が入る。プラスチックの歪む音が聞こえた。
声の主が何者なのかは分からない。ただ、一つだけ分かることがある。
――この男は、掛け値なしのクズだ。
<実は、別件でも貴方にお世話になっていてね。お礼とお詫びを兼ねて、有益な情報を一つ提供しよう>
「人違いだろ。お前に手を貸した事なんてないし、この先も貸すことはない」
<まあ、こちらが勝手に恩を感じているだけだ。独り言だと思って聞いてくれればいい>
外で待機していた特殊部隊が場内になだれ込んでくる。〝サーカス会場〟を捜査するにあたり、エディは警備部に協力を要請していたのだ。
彼らの流れに逆らい、エディは劇場の外へと出た。
(どこだ、どこにいる……!)
トランシーバーでの通信であれば、そう遠くにはいないはずだ。それに、この手の人間は間違いなく爆破の瞬間を近くで見ようとする。
<貴方の制服のジャケットだが……アズラク41という地下クラブにあるはずだ。よかったら探してみるといい>
(ジャケット? 何でそんな話を……)
話の真意に気づいた瞬間、エディの背中を冷たいものが駆け上がっていった。
――リタ。
声の主は、魔女の居場所について話をしている。
「……信じると思うのか」
<もちろん信じてくれなくて構わない。その場合は貴方のジャケットがボロボロのまま地下に置き去りにされるだろうが……制服のジャケットなどまた新調すればいい。判断は貴方に任せよう>
「お前の目的はなんだ。俺に何をさせようとしてる」
<別に何も。強いて言うならお友達になりたいと思っている。こちらに来たばかりで、友達が少なくてね>
「生憎だが、クソ野郎と友達になるつもりはない」
<それは残念だ。私は貴方のような愚直な人間が嫌いではないのだが>
「俺はお前みたいな人間がこの世の何よりも嫌いだよ」
<ふむ、振られてしまったな。他を当たるとしよう>
再び、劇場の方から爆発音が聞こえた。
スタッフや特殊部隊が劇場から次々と逃げ出てくる。建物には凄まじい勢いで火の手が回っていた。
(この野郎……!)
エディをあざ笑うかのように、トランシーバーからは随分と落ち着いた声が聞こえてくる。
<言っただろう、もう一度掃除をすると。……なに、一階にまで被害が及ぶようなものではない。貴方の相棒は無事だ。おそらくね>
「ふざけるな! お前は何者だ、どうしてこんな――」
<それではさようなら、オランジュ捜査官。貴方の仕事が上手くいくよう、陰ながら祈っている>
「待て!」
ブツ、という音を最後に、男の声は聞こえなくなった。




