STAKE#2
「う……」
頭がグラグラする。体が燃えるように熱いのに、悪寒が止まらない。
(私……どうなって……)
重たいまぶたをどうにかこじ開ける。
霞む視界の中、真っ先に目に入ったのは椅子に座っているリタの姿だった。
(よかった、リタと一緒だ……)
親友の無事が分かり、アンドレアの口元に笑みが溢れる。
だが、三メートルほど先に座っているリタは、その顔に恐怖と絶望を貼り付けたままだった。
(リタ……? なんでそんな顔して……)
ふいに、何か硬いものが後頭部に触れた。
リタの顔に滲む恐怖がますます色濃くなる。
「Good morning,Little witch.」
何者かに英語で話しかけられ、アンドレアはようやくまどろみから覚醒した。
見知らぬ部屋だ。向かって正面の壁はモニタになっているようで、「おはようございます、小さな魔女」とドイツ語で表示されている。
リタはモニタの前に座らされ、浅黒い肌の男に銃を突きつけられていた。拘束はされていないように見えるが、両腕を肘掛けに置き、みじろぎさえしない。人形のように大人しくしている。
その理由は、すぐにわかった。
後頭部に感じる硬く冷たい感触――これは銃だ。
アンドレアとリタは互いを人質にとられ、身動きが取れない状態にあった。
「**********、*********」
リタに銃を突きつけている男が聞き慣れない言語で何かを口にする。モニタにはすぐさまドイツ語の訳文が表示された。
<お会いできて光栄です。貴方とちょっとしたお喋りがしたくて、ここに招待しました>
翻訳された文章ということを差し引いても、随分と紳士的な発言だ。銃を突きつけている人間の言葉とは思えない。
目の前にいる男は、孤児院を襲った連中や、サーカスでアンドレア達を監禁していた連中とは雰囲気が違った。
ウェーブのかかった黒髪に、口元を囲む濃い髭。肌が浅黒く、彫は深く、鼻は高い。本でしか見たことがないが、アラブ人の特徴を備えている気がする。
<貴方がお喋りをしてくれれば、お友達は無事です。しかし、貴方がお喋りをしたくないというのであれば、お友達に説得をお願いしなくてはなりません>
リタのこめかみに銃が押し当てられる。
「……ッ!」
今すぐにでも助けに行きたかったが、下手なことをすれば引き金が引かれてしまうような気がして、指先一つ動かすことはできなかった。リタが身じろぎ一つしない理由も同じなのだろう。
<貴方も、一人で逃げればお友達の命はありません。下手な動きをしても、お友達が酷い目に遭うことになります。大人しくしていてください>
浅黒い肌の男はリタにハンドヘルドデバイスを見せた。リタはますます顔を青くして、小さくうなずいた。
<ルールを分かってもらえたようでなによりです。ルールというのは何より大事ですからね。私はルールを破る人間が嫌いです>
男は指先を動かして何かを指示した。
すかさず、スーツを着たアラブ系の男がサイドテーブルを運んでくる。天板には布に包まれた何かが置かれていた。
<さて、小さな魔女。聞かせてください。貴方を買ったロジャー・テイラー、彼を殺したのはどこの誰ですか>
「え……」
思いも寄らない質問だ。
ロジャー・テイラーという名前に聞き覚えはないが、おそらくあの屋敷にいた小太りの男がそうなのだろう。
となれば、ロジャー・テイラーを殺したのは彼だ。恐ろしく綺麗な顔をした、中国人らしき若い男。――ヤオ。
<どうやらお喋りをする気分ではないようですね>
浅黒い肌の男はテーブルの上に布を広げ、金属の棒のようなものを一本取り出した。それを照明に当てて左右から眺めると――
「ッ、ああ゛……!」
一切の容赦なく、リタの指に突き立てた。
「な……」
言葉が出ない。頭が理解を拒絶している。
今、この男は何をした?
<お友達の指がなくなってしまう前に喋った方がいいでしょう。私はあまり気が長い方ではありません>
男は金属の棒をぐりぐりと動かし、二センチくらいの何かをつまみ上げた。
血が滴るそれは、切断されたリタの指先だった。
<貴方の友達は薄情ですね。ではもう一本です>
「やめて! 喋る、喋るから!」
たまらず身を乗り出す。
だが、銃口がリタのこめかみに押しつけられたのを見て、アンドレアは慌てて背もたれに身を押しつけた。
「ち、中国人の男の人……。ヤオって名乗ってた」
<いきなり襲撃してきましたか>
「最初は男の人と一緒にいて、どこか行ったと思ったら、戻ってきて、それで」
<仲間は?>
「二人……。ローラって女の人と、シモンって男の人」
<彼らを雇ったのは誰ですか>
アンドレアは口を開いたが、言葉が出てこなかった。
<どうしましたか>
「知らない……何も言ってなかった」
本当だ。あの三人が誰に雇われたのかなど知らない。
だが、浅黒い肌の男は納得していない様子だった。
<そうですか。それは残念です>
金属の棒が再び振り下ろされる。
「……あ、うッ……」
リタが目一杯に顔を歪め、うずくまる。
肌の浅黒い男はリタの髪を掴んで顔を上げさせ、見せつけるように金属の棒を動かした。
<これで二本目です。綺麗な指なのにもったいないです。恨むならお友達を恨んでください>
「本当、本当なんです。知らない。信じて」
<では、彼らは何故ロジャー・テイラーを殺したんですか?>
「それも知らない……でも、ヤオって人が何か聞いてた。確か、オークション……カシム・ナギーブ……」
<はい。私がカシム・ナギーブです。やはり狙いは私のようですね>
回答に満足したのか、男――ナギーブは金属の棒をリタから離した。
<もう一度聞きます。誰が彼らを雇ったんですか>
(どうして……知らないって言ってるのに……!)
何か言おうと口を開くも、言葉が出てこない。沈黙の時間が長くなればなるほど、リタが危険に晒されることは分かっている。分かっているのに。
<どうせラシードが雇ったのでしょう。そうは言っていませんでしたか>
知らない名前を出され、アンドレアは焦燥と困惑の混じった表情を浮かべた。
<弟のくせに、私を差し置いて王になろうとするなんて。ルールに反しています。第一王子が死ねば、次は第二王子のはずでしょう。違いますか>
(な、なに……? 何の話をしているの)
無機質な訳文とは裏腹に、ナギーブは狂気的と言っていいほど顔を歪め、目を見開いていた。
<彼が雇ったに違いない。彼が雇った。彼が雇った。彼が私を殺そう、彼が殺そうとして、彼が、私を殺す、殺す、あああああああ>
叫声と共に、ナギーブはサイドテーブルをなぎ払った。布に包まれていた金属の棒や鋏が床に散らばる。
主人が狂気に陥ったのを見て、部屋にいる男達はうろたえている様子だ。何人かはナギーブの元に駆け寄り、宥めようとしている。
その時、部屋の空気が歪むような、嫌な感覚がアンドレアを襲った。
「ギャアアッ!」
悲鳴をあげたのはアンドレアの後ろにいる男だ。
ナギーブも右手を押さえて絶叫している。よく見ると、銃のグリップごと手がひしゃげていた。
「アンディ!」
椅子を蹴り、リタが走ってくる。伸ばしている右手は人差し指と中指が欠けていた。
アンドレアも立ち上がり、手を伸ばす。
あと数歩。あと数センチ。
(お願い、届いて……!)
リタの指先を掴もうとしたその時、
「え……」
部屋に、鋭い銃声が響き渡った。




