SCARFAITH#4 /2
刹那、体がふわりと浮いた――
「いっ……たぁ」
かと思うと、ゴツゴツとしたものの上に落ちた。
(リタは、いる。ちゃんと掴んでる)
ジャケットを掴み直す。リタの体温と、鼓動を感じる。
(ここは……)
恐る恐る目を開けた。
真っ先に目に入ったのは、細長く切り取られた空だった。
どうやら建物と建物の間に移動したらしい。コンクリートの壁が両脇に聳えている。
「これ、自転車……?」
リタが下を見て目を瞬いている。
二人を受け止めたのは、ボロボロになった自転車の山だった。
「さっきの場所から、そんなに離れてなさそうだね」
辺りに魚っぽい臭いが漂っている。アジア系住民が多く住んでいるエリアは、大体この臭いがする。
「魔法、失敗しちゃったのかな……。何でか分からないけど、この中国っぽい場所にばっかり飛ぶんだよね」
「とりあえず大きい道に出てみようよ。警察の人、案外近くにいるかもしれないし」
「そうだね。ちょっと手を貸してくれる?」
「もちろん」
互いに支え合って自転車の山から下り、狭い路地裏を歩いて行く。リタは膝を撃たれていて満足に歩けず、アンドレアも高熱のせいでふらついていたが、それでもどうにか前へと進んだ。
「……あっ!」
ふいに、リタが大きな声を出した。
「どうしたの?」
「いた。あの人だ。あの、赤い髪の」
縦長の長方形に切り取られた景色の先を、リタは一生懸命に指さしている。
視界がかすんでよく見えないが、確かに赤い髪の人物が立っているように見える。
「アンディはここで待ってて。今、あの人を呼んでくるから」
「待ってよリタ。私も一緒に……」
呼び止めたが、リタは行ってしまった。白いジャケットを着た背中がどんどん遠ざかって――。
「リタ……?」
刹那、リタの姿が消えた。
見間違いかと思った。だが何度目を瞬いてもリタの姿はない。赤毛の人物は誰かと話をしているが、その相手はどう見てもリタではなさそうだ。
壁に手を這わせ、無理矢理に前へと進む。ドッドッと心臓の音が全身に響いている。
ようやく路地裏を抜けた時、アンドレアの顔にふっと影がかかった。
「え……?」
ゆっくりと左を向く。
そこにいたのは、スーツを来た男達だった。
□
「――魔女二名を捕獲しました」
少女が車に運び込まれているのを見ながら、スーツの男は耳元に手を当ててそう口にした。
無骨という言葉がよく似合う、体格の良い中年男性だ。その目つきは鋭く、明らかに堅気の人間ではない。
<鎮静剤は打ったか? 相手は魔女だ。寝かせておかなければ面倒なことになる>
通信機からの声に、男は眉一つ動かさずに返答する。
「はい、ご指示のとおりに」
<結構。では、そのまま王子の元へお届けしろ>
「承知しました」
男は仲間達に顎で指示を出した。
少女二人を乗せた車は紅鶴花路の通りを走り抜け、ジェスル島の方角へと消えていった。
<ああ、言い忘れていた。商品の配達が済み次第、アズラク41に置いている人員を撤退させろ。一人残らずだ>
不可解な指示に、男は何度か瞬きをした。だが表情が変わることはなかった。
「そのようなことをしては取引相手の怒りを買うのでは?」
<我々の仕事は商品の仕入れであって彼の護衛ではない。身辺警護は取引の範疇外だ>
「……承知しました。では、そのように」
<不服そうだな、シャッヘ。意見があるのなら聞こう>
「意見というほどのものではありませんが……」
男――シャッヘは生唾を飲み込んでから二の句を継ぐ。
「ボスは以前、B&Bが動いている可能性があるとおっしゃいました。人員を引き上げさせては、取引相手の身が余計危険に晒されるのでは」
<だからこそ、だ>
「取引相手を見捨てると?」
<分かっていて嵐に巻き込まれるのは愚か者のすることだろう。それに、我々がいなくとも、王子様には本国から連れてきた護衛と、金で雇ったフリーランサーが大勢いる。自分の身くらい自分で守って貰わなければ>
「……承知しました。差し出がましいことを言って申し訳ございません」
<なに、構わない。お前のそういう生真面目なところが気に入っている>
嘘――ではないのだろう。だからこそシャッヘは側近という立場に居続けられている。
<私はこれからマクラン・ハリージュへ向かう。配達が終わったら合流を>
「承知しました」
<では、手はず通りに>
その言葉を最後に、通話は途切れた。
通信が終わったことを悟り、仲間の一人が近づいてくる。その視線は先ほどからずっと、道路の反対側にいるNPCI捜査官二人に向けられているが、彼らがこちらに気づく様子はなかった。
「……ボスはなんだって?」
「アズラグ41から全員を引き上げさせろ、と」
仲間の男は片眉を上げ、シャッヘに向き直った。
「……そりゃ本当か? んなこと、王子サマが許さねえだろ」
「ボスはB&Bの襲撃を予期しているようだ」
「つまりアレか。死人はクレームを出さないってことか」
「おそらく」
「ったく、血も涙もねえな、新しいボスは。……ま、パシフィカでやっていくにはそれくらいがいいのかもしれねえが」
ため息交じりに吐き捨て、仲間の男は停めている車の方へと歩いて行った。
――アーサー・ベイリアル。
彼がクラウン・ファミリアパシフィカ支部の新しいボスとして着任したのは、ほんの三週間前のことだ。
二年前の抗争で敗れてからというもの、ファミリアはほとんど組織としての体をなしていなかった。生き残った構成員から新たなボスを出し、再起を図るという話も出ていたが、それを実現するには人員も、資金も、縄張りも、何もかもが足りなかった。
そんな中、本部から派遣されてきたのがベイリアルという男だ。
最初はみな哀れんでいた。どうせ大首領の機嫌を損ね、僻地へと飛ばされてきたのだろう、と。
だが、それはとんだ思い違いだった。――二つの意味で、だ。
ベイリアルは有能な男だったが、それ以上に得体が知れなかった。不気味と言った方がいいかもしれない。
シャッヘ達が魔女二人を捕らえられたのも、ベイリアルの指示があったからだ。
この二日間、NPCI、懸賞金目当てのフリーランサー達、そしておそらくB&Bが魔女二人の行方を追っていた。だが近づいても魔法で逃げられ、捕まえることは叶わなかった。
ファミリアは元々魔女二人を追ってはいなかったが、取引相手のカシム・ナギーブから直々に依頼され、仕方なく大捕物に加わることとなった。
そこでベイリアルが出した指示は、「NPCI捜査官のエドワード・オランジュを見張れ」というものだった。
エドワード・オランジュは凶悪犯罪捜査課の捜査員だ。三日前に明ノ島の西油地区で魔女の一人と接触し、制服のジャケットを貸した男である。
ベイリアルは、少女達がいずれ〝警察〟を頼ろうとすることを読んでいた。それだけでなく、魔女が突然オランジュの近くに瞬間移動してくることまで推測していた。現れた魔女にすぐさま鎮静剤打ったのもベイリアルの指示だ。魔女は意識がない状態では魔法を使えないらしい。
まるで、魔女の生態を熟知しているかのような、完璧な指示だった。
そこまでして魔女を捕らえ、カシム・ナギーブに献上するというのに、ベイリアルは彼を見捨てようとしている。
小国とはいえ相手は一国の王子だ。ビジネスパートナーとしては申し分ないはずである。少なくとも、以前のボスだったカルロ・アグレスティなら、喜んで取引を継続しただろう。彼は良くも悪くも生粋のギャングで、面子と利益をなによりも重視する男だった。
だが、ベイリアルは違う。
彼は何も求めていない。面子も、縄張りも、利益さえも。
その有り様はギャングのボスというよりも、盤上を引っかき回して遊ぶ道化に近かった。
クラウン・ファミリアの幹部は、幹部になった際、第二の洗礼として大首領から悪魔の名を冠した偽名を与えられるのだという。
前のボスだったアグレスティは「大首領の趣味は分からん」と言って笑っていたが、アーサー・ベイリアルという男と見ていると、その洗礼にも意味があるような気がしてならない。
ソロモン七十二柱が一柱、ベリアル。
無価値、邪悪、反逆の肩書きをほしいままにする大悪魔。
彼は、ニューパシフィックをソドムとゴモラにするために、欧州からはるばるやって来たのかもしれない。
「おい、どうした。さっさとずらかろうぜ」
仲間の男に呼ばれ、シャッヘはハッと我に返った。
いつの間にか、エドワード・オランジュとその相方の姿がなくなっている。別の場所へと魔女を探しに行ったのだろう。
(ご苦労なことだな……)
悪魔にあざ笑われている警官二人に同情しながら、シャッヘは車へと向かっていった。




