SCARFAITH#3 /1
「――ねえ、ゲームしない?」
発言の主であるローラは、ガラスに額を押しつけて窓の外をじっと見ている。空はすっかり明るくなっており、さわやかな朝日がローラの疲れ切った顔を照らしていた。
ヤオも同様に後部座席で所在なく窓の外を眺めている。目の下の隈がいつもより濃く見えるのは決して気のせいではないだろう。夜が明けるまでの間、ヤオは一睡もしていなかった。
「なんの」
窓の外を向いたまま、ヤオは短く返答する。
「どっちがシモンを遠くまで殴り飛ばせるかゲーム」
「いいな。何を賭ける?」
「負けた方が朝食を奢る」
「乗った」
会話はそれで終わった。ヤオもローラも、顔はおろか視線を動かすことさえなかった。
テイラー邸でアンドレアを保護したのが深夜の一時。その後、シモンがアンドレアを引き取りに来るまで車内で待機していたが、シモンは一向に現れなかった。遅れますと連絡が来たのが午前四時。今から行きますと連絡がきたのは朝日が昇った後だ。
いっそ、こちらからお届けに上がろうかという話も出たが、部外者のアンドレアにアジトの場所を知られるのはまずい。ヤオとローラは車内で待機する以外の選択肢がなかった。
アンドレアは逃げ出すことなく、車内で一晩を明かした。ヤオが一睡もしなかったのはアンドレアを見張るためだが、傷つき疲れた魔女には、もはや逃げようとする気力さえないようだった。
今、アンドレアは不安げに項垂れ、押し黙っている。自分がこの先どうなるか分からず不安なのだろう。
「……やっと来た」
ローラの一声を受け、ヤオはため息交じりに扉を開けた。傍らのアンドレアに「車から出ろ」とジェスチャーで伝え、先に車から降りる。アンドレアはヤオの言わんとしていることを理解したようで、傷だらけの体をどうにか動かして車から降りた。
人気のない駐車場に入ってきたのは青のセダンだ。シモンの車である。
「どっちが先に殴る?」
ローラはヤオの隣に立ち、疲労と怒りの滲んだ笑顔を浮かべてセダンを見据えた。
「お前からでいい」
「オーケー。じゃ、遠慮なく」
「目標は?」
「五メートルってところかしらね」
ローラはセダンに近づきながら、右肩をぐるぐると回した。
「いやあ、遅くなりました。ロサドさんの仕事が想定外の事態になりましてね。まあ、僕は仕事ができる男なので、なんとかしたわけなんですが……」
いつも通りの軽薄な笑みと共に、シモンはペラペラと喋りながら車から降りてきた。その笑顔がヤオとローラの苛立ちをさらに煽ったのは言うまでもない。
「アレッ、ローラさんってばどうして腕を回してるんです?」
「決まってるじゃない。アンタをぶん殴るためよ、シモン」
「やめて殴らないで! いや、ほんとに申し訳ないです。まさかこんなに遅くなるとは……」
「大丈夫よ、アタシとヤオで一発ずつだけだから。ほら、そこに立って」
「やめてくださいよ、ほんとに! 死んじゃう、死んじゃうから!」
平謝りをするシモンを前に、ローラは舌打ちをして腕を下ろした。
「この分の埋め合わせはきちんとするので……あ、その子がアンドレアさんですね。Schön dich kennenzulernen,ich bin Simon.」
突然ドイツ語で話しかけられ、アンドレアは驚いた様子で「Ich bin Andrea.」と返答した。
部下達から情けない男として扱われがちなシモンだが、十カ国語以上を話せるなど、諜報員としての能力は極めて高い。むしろ、優秀だからこそ一癖も二癖もあるブラックプリント達のマネジメントを任されているのだろう。
「Wir kennen Ihre Situation. Ich bin hier, um Sie zu schützen.」
シモンは流暢なドイツ語でアンドレアと話し始めた。
もちろん、ヤオとローラには会話の内容が理解出来ない。ヤオは面倒くさそうに車へと寄りかかり、ローラはあくびをかみ殺していた。
「そういえば聞いた? 三日前にジェスル島で殺されたナントカっていう金持ち……本当に魔法使いの仕業かもしれないんですって」
「首を捩られていたやつだろ。もしかしたら、例のサーカスから逃げ出した奴の仕業かもな」
「私もそうじゃないかって思い始めてるとこ。ナントカって金持ちが魔女を落札して、自宅で楽しんでいたのだとすれば……殺されても文句は言えないでしょうね」
「まあ、経済評議会はそんな事情なんて汲んじゃくれないが」
「八万五千アトルだっけ? 懸賞金。アタシも小遣い稼ぎに参戦しようかしら」
「評議会からの仕事なんて受けるな。ロクなことにならな――」
その時、何かがヤオの視界をかすめた。
アンドレアの姿がない。――いや、違う。何者かに押し倒されている。
アンドレアの上に覆い被さっているのは、NPCIのジャケットを着た十五、六歳程の少女だった。
「……ッ」
ヤオとローラは銃を抜き、躊躇なく引き金へと指をかける。
少女は一瞬困惑したように辺りを見回したが、自分が銃口を向けられていることに気づくやいなや、目を見開いた。
「ッ、あ」
「うわっ!」
刹那、ローラとシモンの体が吹っ飛んだ。
ローラは勢いよく車体に叩きつけられ、地面に倒れる。シモンは五メートルほど吹っ飛ばされ、コンクリートの上を転がっていった。
そんな中、ヤオだけは変わらず同じ場所に立ち続けていた。――銃口を少女の膝へと向けたまま。
銃声が朝空に響く。
少女は右膝を撃ち抜かれ、海老反りになって悲鳴を漏らした。
「リタ!」
アンドレアは少女を強く抱きしめ、懇願するような目をヤオへと向ける。
「Nicht schießen, bitte!」
必死に何かを叫んでいるが、アンドレアの言葉はヤオには届かない。ドイツ語を理解出来るシモンは五メートル先で寝転がったままだ。
ヤオは銃口を少女の頭へと向け、人差し指に力を込めた。
だが――。




