SCARFAITH#1 /1
全身が痛い。手足が痙攣していて、上手く動かせない。
それでも、生きている。まだ死んでいない。
「……ん」
アンドレアは重たい瞼を開いた。
大きな窓のある部屋――いや、車内だ。車の後部座席に座らされている。
(私、どうなったんだっけ……あの椅子に座らされて、それから……)
記憶が混濁していてよく思い出せない。とにかく、生きてるのが嫌になるほど痛い思いをしたことだけは覚えている。
(ここ、どこだろう……また、どこかに連れて行かれるの?)
窓から見えるのは街灯と木々だ。空が暗いため夜ということは分かるが、具体的に何時なのかは分からない。
アンドレアは痛む首をどうにか動かして、顔を左側に向けた。外の様子をもう少し確認しておきたかったのだ。
だが、思わぬものが目に入り、アンドレアはヒュッと悲鳴にも似た呼吸音を漏らした。
隣には、見知らぬ男性が座っていた。
向こう側を向いているため顔は分からないが、おそらく例の男達の仲間だ。どこか別の場所に連れて行き、また拷問を受けさせようとしているのだろう。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ。このままだと、また……)
どうにか体を動かしたが、身じろぐのが精一杯で、車内から転がり出るなどとてもできそうになかった。それでもアンドレアは精一杯手を、足を動かし、男とは反対方向の扉に触れようとする。
「**********、*********」
やにわに声を掛けられ、アンドレアはビクッと肩を跳ね上げた。
恐る恐る男の方を見る。
男は鬱陶しそうにアンドレアを睨んでいた。
(すごい、綺麗な人……)
欧州育ちのアンドレアには、男が中国人なのか韓国人なのか、はたまた日本人なのか判断がつかないが、アジア系だということは見て分かる。年齢はアンドレアよりも少しだけ年上といったくらいだろう。
男の氷のように冷たい目を、どこかで見た気がする。
そう、確か、あの部屋で――。
「**********?」
もう一度話しかけられたが、なんと言っているのか分からない。
ただ、例の男達とは違って、随分と穏やかな口調だった。
「I DON'T SPEAK ENGLISH……I SPEAK GERMAN.」
孤児院で勉強した拙い英語で、どうにか会話を試みる。
男は深くため息をつくと、ベストの胸ポケットから板状の機械――ハンドヘルドデバイスを取り出し、操作をした。
今更になって、アンドレアはスーツのジャケットを着させられていることに気づいた。おそらく、この男のジャケットだろう。ベストと色が同じだ。
「**********」
男はハンドヘルドデバイスに話しかけ、画面をアンドレアに見せる。画面にはドイツ語で「何か話して」と表示されていた。
「私は……アンドレア、です」
一秒後、画面には英語の文章が表示された。「I am Andrea.」――アンドレアでも意味が分かるシンプルな英文だ。
「あなたは、誰ですか。あの男達の仲間ですか」
少しして、男は面倒くさそうに返答した。
<あの男達というのが誰のことを言っているのか分かりません。けれど、おそらく仲間ではないです>
「ここはどこですか」
<車の中>
「そうじゃなくて……」
<ダウ・アル・カマル区域62-7-1>
ここの住所なのだろうが、聞きたいのはそういうことではない。
「私は、これからどうなるんですか」
<知りません。貴方を保護するように言われています。詳しいことは该死的眼镜に聞いてほしい>
中国語の部分は、少し遅れて「うんざりする眼鏡」と翻訳された。おそらくスラングか何かなのだろう。良い意味の言葉でないことは分かる。
(この人、あいつらの仲間じゃなさそう。ちょっと意地悪だけど……)
じっと男を見る。
男は分かりやすく舌打ちをした。
<じろじろと見ないでください>
「……ごめん、なさい」
一度は男から目をそらしたものの、やはりどうしても気になって視線がそちらを向く。
<じろじろと見ないでほしい言っています>
「あの、えっと……ごめんなさい」
<謝らないで、こちらを見ないで。臭孩子>
中国語は遅れて「坊主」と訳された。おそらく、本来の意味は「クソガキ」あたりの罵倒だろう。
男が危害を加えてくる様子はないが、かといって楽しくお喋りをしてくれる雰囲気でもない。
アンドレアは項垂れ、口を閉ざした。
痛々しい静寂が車内を支配する。まるで、車ごと海の底に沈められてしまったかのようだ。
所在なく、右手を動かす。
手のひらは穴だらけで、焼けただれている。両腕の内側、背中から首の後ろにかけても火傷が広がっているようで、先ほどから服がこすれるたび耐えがたい痛みが全身を走っていった。
(それでも、私は生きてる。まだ……)
ふと、男がデバイスをこちらに向けて言葉を発した。
<貴方は、自分が魔女だということを知っていますか?>
「魔女……?」
まただ、と思った。孤児院を襲った連中と同じく、この男も自分達のことを魔女だと思っている。
だが、少し遅れて、アンドレアは屋敷で起こったことの全てを思い出した。
(そうだ、私……あの時……!)
棘の生えた椅子に座らせられ、それどころか体を焼かれたアンドレアは、もはや意識を保っていることすら困難だった。それでも生き延びようと、藁にも縋る思いで男の足を掴んだが、助けられるどころか盾にされ、銃弾に晒された。
その時、不思議な事が起こった。
まるで自分自身が世界の全てと接続されたかのような感覚だった。
自分が全てに溶けていき、全てが自分となる。その温かな虚無から再び自己が形成された時、弾丸は何故か目の前で動きを止めていた。
何が起きたのかは分からなかった。ただ、銃弾を見てアンドレアは思った。――死にたくない、と。
気づけば弾丸は男達の脳天を直撃していた。
それからアンドレアは強烈な頭痛と目眩に苛まれ、気を失った。目が覚めたときには、この車に乗せられていた。
「思い出した……。貴方、私を盾にした」
画面に表示された英文を見て、男はふっと鼻で笑う。
<あの時、貴方が死ななくて残念に思います。死んでくれていれば、今頃こんな面倒な仕事を任されずに済んだのに>
(ひどい……!)
アンドレアは確信した。この男は連中の仲間ではないが、間違いなく連中と同類だ。
<その様子だと、魔法を使ったことも思い出しましたか?>
しばらく返事をしてやらなかったが、男がデバイスをしまおうとしたので慌てて口を開いた。
「……あれは、本当に魔法なんですか」
<私に聞かないで。けれど、私の目には、あれは魔法のように見えました>
「私、自分が魔法使いだって知りませんでした。そもそも、魔女なんて実在しないと思ってた」
<私もそう思っていました。けれど、認識を改める必要があるようです>




