THREE-RING CIRCUS#5 /3
(アズラク41……まあ、調べてみる価値はあるか)
踵を返し、拷問部屋から立ち去ろうとする。しかし何かが足に引っかかっていて先に進むことができない。
引っかかっていたのは、審問椅子に座らされていた黒髪の少女だった。
いや、違う。引っかかっているのではなく、掴まれているのだ。
「離せ」
足を振って少女を引き剥がそうとするも、その小さな手はヤオの足首に食らいついて離れない。
(なんだ、こいつ……)
思わずぞっとした。
黒髪の隙間から、血走った空色の瞳が覗いている。全身を穴だらけにされ、体の裏面を焼け焦がされてもなお、少女は生きることを諦めていなかった。
「チッ……」
ヤオは少女の首根を掴むと、乱暴に足から引き剥がした。
哀れとは思うが、暗殺者としての顔を見られている以上、生かしておくわけにはいかない。
少女の頭へ銃口を向け、引き金を――。
「……ッ!」
素早く扉の方へ視線をやる。
足音が近づいてくる。数は三人。まだ黒服連中が残っていたらしい。
ヤオは少女の体を自身の目の前にぶら下げた。間髪を入れずに男達が部屋へとなだれ込んできて発砲する。
銃弾は全て焼け焦げた体に当たり、少女はようやく安らかな死を迎える――はずだった。
「は……?」
声を漏らしたのは、少女ではなくヤオの方だ。
銃弾が止まっている。
放たれた全ての弾丸が、凍り付いたように動かない。
何が起きたのか分からないのは黒服達も同じらしく、三人とも銃を構えたまま目を瞬いていた。
一瞬の静寂。
まるで、世界そのものが一時だけ活動を停止したかのような。
次の瞬間、止まっていた弾丸は小さく震え、男達の方へと撃ち返されていった。
「ぎゃっ」
「うわッ」
「ぐおっ」
三人はそれぞれ額、眉間、首を撃ち抜かれ、場に倒れた。着弾はほぼ同時だった。
(今の……まさか)
静まりかえった拷問室の中で、ヤオは珍しく生唾を飲んだ。
認めたくはなかった。だが認めざるを得ない。
どのような最新技術を用いても、一切手を触れず銃弾を空中に留め置くなど不可能なのだから。
――魔法。
少女はたった今、魔法使いとして覚醒した。
「……気味が悪い」
吐き捨て、ヤオは少女の首根を掴んだまま部屋を出た。いざというときに肉盾として使うつもりだったが、もう黒服が現れることはなかった。
□
狙撃された黒服達の死体を踏み越え、ヤオは駐車場で少女の体を放り投げた。ぼろ雑巾のような姿だが、これでもまだ生きているというのだから驚きだ。
ベルトの隙間から銃を抜き、銃口を少女の頭に向ける。
何故か先ほどよりもためらいを感じない。それどころか妙な殺意と苛立ちさえ覚える。本能が「こいつを殺せ」と叫んでいるかのように。
今度こそ引き金を引こうとした刹那、軽薄な声がヤオの耳朶を打った。
<お疲れ様です、ヤオさん。もしかして今女の子を殺そうとしてます?>
通信機から聞こえてきたのはシモンの声だ。
「目撃者だ。始末する」
<あー、申し訳ないんですけど、それちょっと待って貰っていいです?>
「…………、待ったが」
<えっと、そういう一時的な感じじゃなくってぇ……言い方を変えますね。その子を保護してください>
「は?」
<二時間後くらいに迎えに行くんで、それまでその子と一緒に待機してください>
「狂ったのか?」
<狂ってませんよ失礼だなぁ!>
死にかけている少女、ワケの分からないことをいう上司、その両方に苛立ちが募る。いっそ引き金を引いてしまおうかとも思ったが、トリガーにかかった人差し指が動くことはついぞなかった。
「……クソッ!」
ヤオは銃を再びベルトの隙間に差し込むと、スーツのジャケットを脱いで少女に着せた。全身血塗れな上、服の裏側が焼け焦げている姿は見るに堪えない。哀れというよりも、いつまでも死なない虫を見ているようでイライラする。
「で、どこに待機していればいいんだ、该死的眼镜」
<またすぐそうやって! 僕、普通に中国語分かりますからね!>
「じゃあ言い直すか。どこに待機すりゃいいんだ、クソメガネ」
<僕、一応上司なんですけど!? まあ良いですけどね。……ダウ・アル・カマル区域62-7-1にローラさんの車が停まってます。赤のBMW。遠隔で鍵を開けるので、中で待っていてください。一時間くらいでローラさんもそっちに行くと思うので>
「なるべく早く来るようローラに言っておいてくれ。こいつと二人きりは耐えられない」
<そんな嫌わなくてもいいじゃないですか。可哀想な子なんですから、優しくしてあげてくださいよ>
「報酬を上乗せするならしてやってもいいが」
<わかりましたよ。ちょっと色付けるんで、その子のことちゃんと保護してくださいね>
それ以上、シモンの声は聞こえなかった。
ヤオはガリガリと頭を掻き、ため息交じりに少女を見る。
「おい」
返事はない。どうやら気を失っているようだ。
(面倒くせぇな……)
ぐったりと動かない少女の体を小脇に抱え、ヤオはテイラー邸を後にした。遠くでは誰が通報したのか、パトカーのサイレンが鳴り響いていた。




