FALLING /1
「では、プリンシパル様に食前の祈りを捧げましょう」
シスターに促され、少女達は一斉に両手を組み、目を瞑った。
テーブルにはパンにスープ、マッシュポテトに果物が並んでいる。質素ではあるが、美味しそうな食事だ。
「プリンシパル様。あなたのご慈悲と深い愛に感謝して、この食事をいただきます。今日、食べ物に事欠く人々にも、どうか救いの手をお与えください」
シスターの祈りに続いて、少女達の祈りの言葉が食堂に響く。
「――どうか救いの手をお与えください」
「よろしい。では、いただきましょう」
「いただきます!」
育ち盛りの少女達にとって温かな食事は何にも代えがたい楽しみだ。みな、一斉にパンへと手を伸ばし、リスのように口いっぱいに頬張る。
アンドレア・アーベルも、そのうちの一人だった。
アンドレアは五歳の頃に両親を失い、このシュネーシュメルツェ孤児院に入った。住んでいたナッセライトから随分と離れたオーバーエスターライヒ地方にある孤児院だったが、シスターや友人達が温かく迎え入れてくれたため、アンドレアはすぐにこの孤児院のことを好きになった。
両親が何故死んだのかはよく分からない。
殺されたということは分かる。優しかった村の人達が突然恐ろしい顔になり、アンドレアの両親を暴行した。村人達は両親だけでなくアンドレアも殺そうとしたが、アンドレアは隙をついて森の中へと逃げ込み、二度と村へ戻らなかった。森を彷徨っているうちに疲れ切って気を失い、目覚めたときには、シュネーシュメルツェ孤児院のベッドに横たわっていた。孤児院に集まる少女らが、みな同じような目に遭っているということは後から知った。
両親が死んだという事実を何度思い返しても、悲しいという感情はさほど湧き起こらなかった。両親のことを愛していただけにアンドレアは酷く思い悩んだが、シスターから「心の防衛反応」の話を聞き、幾分か納得した。孤児院の友人らも、悲劇を他人事として扱うことで、己の心を守っているようだった。
だが、疑問は残る。
人々を狂気に駆り立てたあれは、一体何だったのだろう。
悪魔憑き? あるいは病の一種?
考えても答えはでない。シスターは教えてくれないし、友人らも首を横に振るばかりだ。
時折、アンドレアは「村の人達が悪魔に取り憑かれたのではなく、私達こそが異端なのかも」と思うことがある。
学院長――この孤児院では、イエスでもマリアでもなく、謎の存在に祈りを捧げる。
礼拝堂にある像は聖母マリアによく似ているが、顔がベールで隠された意匠になっていて、うっすらを笑みを湛えていることしか分からない。
初めてプリンシパル像見たとき、恐れすら感じた。自分は神にさえも見放されたのだと思ったからだ。
けれど、今となっては、そのふんわりとした笑みに懐かしさすら覚えて――。
「アンドレア、どうかしましたか? 手が止まっているようだけど」
「えっ……」
シスターと友人達が心配そうな視線を向けてくる。
アンドレアはスプーンの先をスープに入れたまま、動きを止めていた。
「ごめんなさい。考え事を……」
「体調が優れないのですか?」
「そういうわけではないんです。心配をかけてすみません、シスター」
「いらないんなら、これ貰っちゃお!」
横から伸びてきた手が、葡萄を一粒奪っていく。
「ちょっと、リタ!」
「早く食べないと、なくなっちゃうよー?」
隣に座るリタが、手を開閉させながら悪戯っぽい笑みを浮かべる。
アンドレアは慌ててパンを口の中に押し込むも、喉を詰まらせてぴたりと動きを止めた。
「ちょっとアンディ、大丈夫!? 水飲んで、水!」
詰まったパンを水で流し込み事なきを得る。
「リタ、そうやって急かすのはやめなさい」
「ごめんなさい、シスター」
「それに、そうやって悪戯をするから……ほら」
「えっ? ……あ!」
リタの隣に座っていた小さな女の子が、リタの葡萄を一粒奪って口に入れる。
「こら、アンナ! それあたしのぶどう!」
「もうアンナのだもん」
やり返されて慌てているリタの姿がおかしくて、食堂には朗らかな笑いが起こった。