エロとは2である。その2
2とは男の性質である。
それは更なる変化を目指す性質であり、女の性質である最低限で我慢する、安定とは真逆の性質。
「使えれば良い」で満足するのではなく「より良い物に」を追求する事。
加えて2とは「分岐」でもある。
1本道を歩くのは楽だが楽しくもなんともない。
風景とは様々な分岐が折り重なったもの。
高低、明暗、色彩、そうしたものは様々な分岐があるから楽しめる。
2の構成とは何か。それは0と1と2。
無い、有る(劣)、有る(優)という物になる。
3つの要素だから3じゃないか、と言われるような物ではあるがこの場合、「有る」というものは人間、被写体であり、「無い」は背景に相当する。あるいは奥行きとも言える。
以前の「足るを知る者は富む」でも少し語ったが「足る」を知るにはその上下の限界を知らなければならない。
上下の限界値2つとその限界値に挟まれた中間の3つ。
そして下の限界値とは本来そこが基準となるべきだ。
しかし「有る」事があって当たり前、つまり1が当たり前になるとそこが下限になる。
そこに日本的な女の性質が加わる事で1が0に置き換わり、2が1に置き換わる。
本来1であった筈の物が足りていない状態と錯覚する。
充分だと思っていた2の状態を最低限と錯覚する。
次第に新たな2を求めていく。
上記の欲求自体は精神的な進化や成長と言う意味では何らおかしな話ではないのだが、物理的な人間の身体はそうはいかない。
いくら求めたところで身長も筋肉もスタイルも簡単には変わらない。
サムネの話に戻れば同じ人間が被写体である以上はそこには「有る」 という1が確定している。
となれば変更可能な物は前後の0に相当する被写体ではないもの、つまりは背景。
そして2とは被写体を強調させるもの。
ここまで書いた事は当たり前といえば当たり前で小学生どころか幼稚園児でも分かる話だ。
どこかに出かけて普段とは異なる場所の風景を後ろに自撮りする。コレだけでは背景の0と被写体の1。しかしここにポーズをとれば2が加わる、そうした単純な話ではある。
しかしこの0と2とは変化する。
背景となるものは屋内か屋外か、あるいは飾り物やCGで作った非現実的な空間か。
屋内にしてもどんな場所か。自宅?学校?デパート?
また強調させるといってもポーズだけではない。
服装、メイク、髪型、あるいは何かを持っていたり。
ただし、ここで自分が見ていた動画は筋トレ、フィットネスの類の動画である事。
基本的には0となる背景についても、服装やポーズなどの2もある程度決まってしまう。
ではどうするかというと背景、被写体自身、強調させるもの、それ自体にさらに2を見出して掘り下げる。
下限、中間、上限。
あるいはベース、アレンジ、オリジナリティ。
「0」にも「1」にも「2」にも、それ自体には特に価値もない。
しかし「0~1」と「1~2」、「0~1~2」あるいは「0~2」といった「〜」の部分、変動する事に価値がある。
変動するという事は「不安定」であるという事。
その不安定さをサムネという静止画でいかに表現する事ができるか。
そしてその不安定さで表現する際の方向性が「危険性」「暴力性」といった見る者を選ぶものではなく「セクシー」に向ける必要がある。