変化と安定の循環が必要なのであって変化の続行も安定の拡張も☓。
海外の漫画、アメコミとかはあんまりよく知らんのだけど、日本だと某漫画の敵役である「宇宙の帝王」が有名だが
第一形態は子供のような小柄な体格なのに第2、第3と体が大きく膨れ上がり、最終形態はどんな凄い奴なんだ?と思うところであの非常にシンプル、というかこじんまりとした形態。
その読者側が期待したであろう強さの姿とのギャップに作画の技術力も相まっていい意味で人気が出た。
その後も作品内、あるいは続編や派生作品。
あるいはその作品に影響を受けた後続達のバトル漫画でも最終形態はシンプルな体型、というスタイルは珍しい物でもなくなった。
最終形態がシンプルであるというのは洗練だとか機能美だとか、あるいは凝縮だとかそうした意味合いが強い。
第一形態、第2、第3と変化を重ねて身体を大きくしていき力を膨張、増幅させていく。
そして最終形態でその膨張、増幅したエネルギーを敢えて密閉容器の中に押し込む事で内包された力の強さを表現している。
最も、その「宇宙の帝王」の最終形態も主人公に破れた。
スーパーという形態に対して日本語で「超」が当てられたように密閉容器の限界まで押し込められた力に対してその密閉容器の限界を超えた力を主人公が発揮した。
そしてその後も主人公達は2,3,と形態を変化させていく。
おかげで戦闘能力のインフレが起きた分けで一部のキャラしかついていけなくなった。
とはいえ、そのついていけなくなったキャラが不幸か、と言わればそうではなく、作中に登場する頻度が減っただけで他の道を選んでおおよそ幸せにやってる。
さて話は少し変わるがビジネス的な意味合いではなくて思想としての「錬金術」という言葉。
いまいちどのくらい小説家になろうのファンタジー小説とかで使われる頻度が高いのかわからないが、この錬金術、「大いなる業」と呼ばれる物は人間の成長を例えているという。
比較的有名なのはニグレド(黒化)→アルベド(白化)→ルベド(赤化)という三段階。
しかし、以前はそれぞれの間にもう一つずつ工程があった。
ニグレドとアルベドの間にヴィリディダス(翠化)。
アルベドとルベドの間にキトリニタス(黃化)
この2つの工程が除外されていった理由だが、何となく分からなくもない。
ヴィリディダシスは黒から白に代わる途中を表現した物だが白自体が錬金術の中で途中の工程だから次第にアルベドに吸収された。
ではキトリニタスはどうか。
キトリニタスは黃化。つまりこの段階で錬金術の目的である黄金とは完成している。
であるならばその後の工程であるルベド、赤化の工程は必要ないのではないか。
そして工程が吸収されるのであれば黃化ではなく赤化の方に吸収されたのか。
キトリニタス、つまり黄金化とは製品におけるバージョン1.0だ。
これがひとまず完成品という事だ。
それでおしまい、というのは作った側の考えだ。
完成された物、例えばゲームだとして不具合があってバグがあった、誤植があった、そもそも作品が面白くなかった、など。
そうした改善点は完成品を使って評価をする者がいなくてはならない。
配信が基本の今のゲームは改善してバージョンアップした物をネットで配信する事が出来る。
しかし昔はカセットやらディスクやら現物を購入しなくてはならない時代では基本的にそうした事は出来ない。
それ故にそうした改善点等を活かして次回作を制作したり、
あるいは次世代機のハードでリメイクしたり。
そうしたバージョンアップがルベド(赤化)という工程だも思う。
そしてそうしたルベドのバージョンアップも次第に最終バージョンが来る。
バージョン1.0から始まり、バージョン1.1、1.2と細かく刻み、そして次回作としてバージョン2.0、3.0。
しかし次第にその完成品、そのシリーズそのものが終わるときが来る。
例えをゲームから変えよう。
パッと浮かぶのは掃除機だ。
昔はチリトリと箒。使いやすいようにバージョンアップがどれだけ進んだか知らないがそれは掃除機にとって変わられた。
勿論存在自体は残っているがメインとしては使われる事はない。
チリトリと箒のルベドが終わった。
そしてその原始的なルベドは機械と結びついて掃除機という新たなニグレドへと変化した。
そしてその掃除機もまた、今は人口知能と結びついて自動掃除機のニグレドとなった。
ルベドは終着だが、日が昇ればまた動き出す。
ルベドの工程を幾ら続けても既に答えが出ているルベドから先に答えも道もない。
しかし、新たなニクレドにルベドを捧げれば新たな道が生まれる。
ルベドは最も変化を重ねると同時に最も安定した状態。
ルベドを目指すのにルベドを手放さなければならない。
いつかは自分のルベドも次の誰かのニグレドの大釜で煮つめられる品になるのさ。