男女の性質を持つ者。その4
男女の性質のバランスが取れている者として先天的にそのバランスが取れすぎて癒着しているサイコパスと幼少期にその性質を後天的に持ってしまったソシオパスがいる。
それとは別にもう一種いる。
それはアダルトチルドレンだ。
サイコパス、ソシオパスは自己が肥大化した存在だがアダルトチルドレンはその逆。
男の性質と女の性質を手に入れるためのシーソーゲームすら満足にさせてもらえなかった存在だ。
甘やかされ続けるという極端な「男の性質の押し付け」行為によって子ども自身の拘りが自分自身へ、決断力が自身と自身以外になったのがソシオパス。
アダルトチルドレンは我慢を強いられ続けるという「女の性質の押し付け」によって子ども自身の拘りと決断力がなくなった。
それは子どもに何も拘りを持たせない事で悩まない。悩まないという事は決断にも時間は掛からないし、エネルギーも必要ない。
親としては非常に楽が出来るがその結果、無能が出来る。
拘りを持たないから悩まないし、悩まないから決断もしない。
眼の前にあるボタンがをオンにしたり、オフにしたり。
そんな機械的な事しかしてこなかったし、許されなかった。
勿論そんな人間にとって自分自身の存在意義もまた0か1かでしかない。
「稼いでいるかいないか」
「モテるか非モテか」
「不細工か美形か」
そうした0か1か。オンかオフの価値観しか働かない。
拘りがないからどうしたいか分からない。
だからとりあえず他人の評価を気にするしかない。
結局それで苦労する。
他人の評価を気にするが、だからといって褒められても嬉しくはないし、怒られても苛つくだけだし、悲しまれても面倒だ。
拘りがないという事は何も価値が感じられない。
価値を感じられない事に対して愛着はない。
愛着が無いものに愛を向けるような真似はしたくない。
金はかけたくないし、時間もかけたくない、労力もかけたくない。
自分がされてきた事と同じ事。
何もしたくないという事だ。
そしてだんだんと細かいオンオフボタンすら面倒になって、最終的に自分自身のブレーカーをオフに落とす。
あるいは全部オンにする。電子レンジ、オーブントースター、ドライヤーに、後なんだ?取り敢えず全部オンにする。
そうすればドン、と勝手に落ちる。
こうした人に拘りを持て、と言っても無理だ。
拘りを持て、というのはつまり間接的に「愛を捧げろ」という事になる。
金があれば、時間があれば、体力があれば「何でも」できるかもしれないがその「何でも」と「自分自身」が天秤にかけている。
以前ベーシックインカムが全国民が対象で全ての国民を救うというつもりなら金だけ渡してもダメだって思うのはこういう所。
金も時間も体力も全てない人間に金だけ与えても足りない。
時間も与える、労力も与える。
そしてようやく自分自身に価値がないと考えてきた人間でも価値を見い出してくる。
そこでようやく「自分」に重さが加わり、そんな自分でも「何でも」できるかもしれない、と天秤がバランスを取り始める。
男女のバランスを取り続けて成長して行こう、とすると結局のところ、サイコパス、ソシオパス、アダルトチルドレン、いずれかの側面を持った人間になってしまう危険性がある。
「バランス」だけを見ても駄目。
バランスだけに気を取られると制御のしやすさからもうそこから成長しなくなる。成長させられなくなる。
そうした人間が勝者に毒親になる。
そうした人間が敗者を生み出し、親モドキを生み出す。
男だけでも女だけでもバランスを取るだけでもダメ。
あくまでも「男」と「女」と「バランス」を取る3要素。
そのやり方を「学び」「実践し」「答え」にむすびにつける、それを自分の「関心」「能力」「目的」に合わせて変化させる。
3✕3✕3。
27、全てを同時にかんがえるのは難しいでけど、自分が今の取れるべき選択、向けるべき意識は3択から一つ、それを3回するだけ。
そのとはいえ3択と3回が難しいんだけどな。