足るを知る者は富む、とは?
足るを知る者は富む。
最近なんかの動画を見た時にコメントで知った言葉だが、言葉の意味合いは字を読んだ如く、だ。
足りているから満足。そう考える事が出来れば人生楽よ、という有り難いお言葉だ。
厳しめな言葉で言えば「無いものねだりはするな」って事。
さて、この言葉を聞いて別に否定はしないし、その通りなんだけどそれを実行するのが難しい。
当たり前だ。日本は女の性質を持った国で一部の人間以外、足りている状態を理解していない。
足りている状態を知るためにはその下限と上限を知る必要がある。
そのためには「足りている状態」の他に「足りない状態」、そして「足り過ぎている状態」を知らなければその境界である上限、下限を知る事は出来ない。
そして女の性質の社会の日本は最低限の事は教える素養はある。
しかし国、あるいは地域といった社会が設定した最低限とは平均から算出されたもので個人個人には対応していない。
上限については教えてくれる筈もない。
じゃあそれを教えてくれるのは誰か、というと自分と家庭や学校などの周囲の人間である。
家庭以外の学校などの外の環境ではその環境での足りている状態の上限下限を知る。
その環境下で上限を超えて欲求を満たそうと無茶をすれば必ずその環境で罰が下る。
同じように下限を超えても精神や体を壊す。
社会における上限と下限は他人を通して知る事が出来るが問題は自分の上限と下限をどう決めるか。
自分の欲求の上限、そんな物はないに等しいが「足りている」ととりあえず満足する事は可能だ。
その上限を設定するには下限が必要だ。
下限は生活のために必要な部分だがここを家庭で設定するのが教育だ。
下限が最低限に近ければ上限もまた低くなる。
だが下限が高ければ、上限も高くなる。
下限が低すぎる、自分の欲求が少ないというのは自己を持たない、つまりアダルトチルドレンになる。
足りていない状態でも足りていると誤認する。
足りていない状態、肉体に例えると飢餓状態だ。
ダイエットなどはそれを意図的に状態で引き起こすがその飢餓状態から急に普通の食事に戻せばどうなるか。
身体は一気に活性化をして停滞した身体を引き起こす。それを利用したチートデイ、なんてのも昨今の筋トレブームで有名になったワードだが、ちゃんとした知識なくそんな事をすれば起こるのは間違いなくリバウンドだ。
このリバウンドが精神でも起きる。ましてや肉体の成長と違い、アダルトチルドレンは常に飢餓状態で普通を知らない。
激しい変化は精神を傷つけ、歪ませ、自暴自棄、最悪の状態としては自殺へ向かう。
ダイエットでも飢餓状態から普通に向かうためにはお粥であったり胃腸に優しい物で回復させていく必要がある。
それと同じだ。
逆に下限が高すぎる、つまりは上限もまた高すぎる状態ではわがままになる。
日本ではあまり肥満児の特集などは見かけないが海外ではたまに見かけるが非常に怒りっぽい。
家庭で作られた下限が高いために上限も高く常に飢えている。
よくメンヘラ女子などがそれに当たるだろう。
何処かで「女の子は皆メンヘラなの」と女自身が言っていたのを何処かで見た記憶があるがそれは父親に甘やかされて「 足りすぎている状態」が基本だったからだ。
それでも女の性質を帯びたこの日本では比較的男よりもバランスが取れている。
しかしその父親自身が女の性質を帯びたこの日本という国で欲求を抑える事が正義として育てられた。
だからこそその父親の欲求の飢えが娘に投影されて母親を無視して甘やかされれば女はメンヘラを発動する。
足りている状態とは「我慢」させ続ける事でもないし、「甘やかし」続ける事でもない。
この0か1の判断も女の性質を日本が持っている証拠でもある。
「男は度胸、女は愛嬌」という言葉や「男は仕事、女は家庭」のような性役割の言葉があるが、それがもう通じない社会だ。
そうして分断すればするほど日本は女の性質にどっぷり浸かっていく。
結果としてドンドン男は女に、女は男になっていく。
男と女、それぞれの性質のスタート地点からそれぞれ異なる性質を求めて向かう。
男も女もどこかでブレーキをかけて立ち止まる必要がある。
ところが社会が女の性質のままでは立ち止まる事が難しい。
結果、男は草食系や絶食系などと言われ、逆に女はSNSなどでキラキラした充実した生活を競い合う。
足るを知る者は富む。
足りている状態、その上限下限。
今の日本、男は足りていない事を知らない。
女は足りすぎている事を知らない。
それを理解せずに男と女、それぞれ前だけ見据えれば後戻りは出来なくなる。
拘りを削り過ぎて捨てた男、拘りを持て余す程に抱えた女。
振り返ってもう一度上限下限を考える事が「足るを知る者」になれる気がする。