女の性質3
女とは停止した状態を好み、その状態を維持するために安定を求め、決断力の高さで必要、不必要を分ける力がある。
その結果、マルチタスク、共感能力の高さ、そして与えられたゴールへの道筋を固める能力が高い。
一方でその裏返し的に一つの事に対して最低限の力を発揮しないコスパ重視の考え方、共感出来ない者へは歩み寄る事によって得られる利、不利益を天秤に掛ける事で判断するために結果的に排他的、あるいはその根拠を保証してくれる権威主義的な考え方になりがち。
それ故に「失敗は成功の母」的な事を許さない。
この諺も失敗の責任、代償を取らされるのが母親という女の側面を表しているのが何よりの証拠。
とはいえこの諺の中身をさらに細かく見れば「失敗」と「成功」を分けるのも母親、つまり女の判断とも言える。
しかし、判断するだけならば諺として役に立たない。
そこで女ではなく母親というワードを持ってくるのが諺の所以だ。
成功と失敗を分けるのが女であるなら、親という存在は同じ目線ではなく俯瞰視点、強者という上の視点となる。
つまりは失敗を判断して終わり、無駄な努力だった、という結論ではなく、さらに俯瞰から観測し、そこからゴールへ向かう道筋を示すのがこの諺。
そしてこうした諺が女が嫌うのに何故社会的に許されて、しかもそれが正義とされているのか、というと女にとって都合が良いからだ。
過去の人間の実績、経験、そこから導き出した考え方や結論。
そうした物を諺という「パッケージ」にしてしまえば楽な事この上ない。
だから許される。
勿論、その問題は自己責任で個人の問題、としてしまうのも楽ではある。
しかしこの100年で社会は大幅に変化、そしてインターネットが更にそれが加速した。
男の拘り、不安定さを求める性質に対して女の性質は常に後手に回る。
その男と女、陰と陽、プラスとマイナス、それらを整えて次のステージへ、というものを無視していった結果の格差社会。
都会では技術や新しい物を重視した男の性質の社会。
男女平等なども新しい価値観というだけで手を出しているから本質的な格差は埋まっていない。
逆に田舎では旧来の思想や物を重視している安定を求める女の性質の社会。
故に変化も乏しく、それが絶対だと新しい世代にも押し付けがましい。
その一方で新しい世代の活躍があると「俺等が育てた」という恩着せがましい事を口にしたりする。これも共感能力という女の性質を表している。
そしてそんな田舎は結果的に衰退の一途を辿っている。
女とはコストパフォーマンスを上げるために無駄を省き、そして無駄を省くために巡り巡って我慢しがちだ。
そして女は共感能力の高さゆえに我慢や苦痛を共有させようとする。
本人はそれで気は紛れるが、共有させられた方は溜まったもんじゃない。
結果として周囲のコスパは下がる。
周囲のコスパが下がるからその問題の当事者を避けるようになる。
共感能力は高い方が良い、とはいえ何でもかんでも共有して良いわけじゃない。
究極的に言えばバランスが大事という事にしかならないのだがこの日本、女の性質の社会では意識して男の性質、拘りを持つようにしないとバランスが取れないから辛いところ。
自身の中のバランス取るために独身や子供を産まないことを選択するのは良いと思うんだけどねえ。
あくまで個人的感想になってしまうところではあるけども。