結婚したがらない女の成功者
最近の若者は強者、弱者に関わらず結婚したがらない。
若者を何歳までと括るかが微妙なラインになってくるけれど、それなりの年齢まで結婚は考えていないし、結婚せずとも生きられる世の中ではあるし、そのために稼いでいる、という人もいる。
男の場合は現代においても昔ながらの価値観が消えつつあるとはいえ、未だ「亭主関白」的な話に夢と理想を覚えて結婚する人もいる。特に田舎の方だとその意識は強い、というか根深い。
しかし逆に女の場合は成功者であればあるほど、そして仕事に誇りがあればあるほど嫌がるだろう。
それは何故か、と一々説明するまでもない。自由がないからだ。
というのはあくまでぼんやりとしたイメージであるし、こんなので結論にしてしまえばエッセイとして書く必要もない。
なので男と女の性質を元に考えていく。
その前に弱者が抱える「相手がいない」という理由と違って「自由がないから」という理由についてだがはっきり言って妄想でしかない。
バツイチとか結婚経験がある場合を除き、「自由がない」というのはあくまで他人のデータだからだ。
また男と女の異性に求める物の違いを皮肉った画像を見た人はいないだろうか。
女は男に対して「容姿」「性格」「年収」「職業」「家柄」「家族関係」など細かく基準があるのに対して男の方は女に対して「おっぱい」とか性的欲求一つの基準を設けている画像。
コレは女は交際、そしてその後の結婚、子育て等を見据えた結果「これ等の基準を満たせば楽になる」という女の性質を出している。
男の方からすればそれらの基準はどうでも良い、というより「解決したい」という欲求がある。
女から求められている事を満たす事で解決の欲求不満を解消する。
同じように成功者、強者というゴールを目指すにしても男女の性質の違いからスタート地点は「楽をしたい」と「より高度な問題を解決したい」に分けられる。
さてそれとは別に一人の成長とはそれぞれ異性の性質を取り込む事、とエッセイで語っているが男にしろ女にしろ異性の性質を強く持っている事になる。
だとすれば女の成功者にとって「より高度な問題を解決したい」という欲求が高い状態になる。
結婚した人間からすれば「結婚生活」がいかに難しい事か、あるいは親からすれば「育児」を馬鹿にされているように思えるかもしれないが、ある程度の年齢以上の世代によって「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言わんばかりに「程度の低い問題」としてしまっている社会。
成功者にとって、やる価値のない物と認識されても仕方ない。
そして結婚生活、育児を終えた「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という高齢世代が抱える問題が「病気」や「介護」。
その世話を押し付けられているのが「結婚生活」や「育児」の真っ只中の世代。
片手間に出来る仕事じゃないのに片手間でさせる。
だから毒親にもなるし、救いを求めて宗教にもハマる。
ましてやもしかしたら子供が何か先天的、あるいは後天的な問題を抱える可能性もある。
そうやって考えれば考えるほどやらない。
同じような危険、リスクを負う可能性があるなら自分の意思で決める事の出来る「夢」や「仕事」を取る。
そして自分の意思で決める、「納得」するのは男の性質でもある。
周囲の人間が何をどう言おうが正しいのは当人の人生だ、当人のみが正解。
だから周囲の人間が成功者に結婚して欲しいと思うのであれば結婚や子育てが「人間ならやって当然」「程度の低い問題」ではない、と周知させていかないといけない。
結婚、子育てを「皆やってる」「普通はこうする」なんて社会的に「下らないこと」に収めてしまっている、それが問題。
勿論凄い事なんだ、とただ口で言いくるめようとするだけじゃ駄目。
喉者過ぎた高齢の世代の連中がどれ程良さを語ろうがそれは時代が異なる。
成功者はその世代の言葉と現代の現役世代の言葉、そして専門家や海外の別の社会のデータを見聞きして総合的に判断する。
「結婚しました、けどココではない場所に住みます」
「子供が出来ました、けど貴方達には関わりはもたせません」
結婚しても、子供を作ってもコレだと周りの連中都合が悪いんだろ?
だから結婚したがらない。
男が周囲や後の事を考えて動けなくなるように、男の性質を持って成長し、成功者になった女は生来持っている決断力と周囲を観察し、未来を考えている。
妻になれ、母親になれ、というのは今の社会で言えばもう一度男の性質を捨てろという事、退化しろと言っているようなもの。
自分が決めた事なら選択にはなるが周囲がそれを強いるのは
純粋な成長ではないし選択でもない。
手に入れた物を捨てろ、育て上げた物を捨てろ、そう言っている。
独身で将来困るとしてもそれは自己責任。
他の誰も困らない。赤の他人が困るのはその他人自身が責任を持っているからだ。