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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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恨まず責めろ。

3分割の考え方になるきっかけの話。


今年の1月18日、自殺未遂とかやってました。

そうです、駄目人間です。

しかも情けない事にそれすら失敗したのです。


まぁ経緯についてここで細かい事は書くのが面倒臭いし、同情誘って欲しくてこんな事を言ってるわけじゃない。

何日かしたらその経緯をネタに書きたい話もあるし。


自殺未遂したあと体力と精神を持っていかれて、身体も動かないし、結果的に時間も手に入れた。

その時は自暴自棄だったから不幸を嘆いていた。

だから心のなかで自分の不幸を関わった他人と環境のせいにして憎んで責めた。


前々から不満はあったが正直考える事すら嫌だったし、何より他人のせいにする自分が惨めに思えて我慢していた。

だから本気で自分の不幸を人のせいにするのは初めてだったと思う。


「他人のせいにするのは良くない」


そんなの場合によりけりだ。

上級国民と言われた老人に娘と妻が車で轢かれた男性がいたが「お前が一緒にいて守ってやらなかったのが悪い」と言えるのか?

津波で子供が死んだ遺族が国、自治体に適切に避難命令を出さなかった事を訴えた事に「あんな大津波、前例もないし想定外だから責任は誰にもない」といえるのか?


ネットとかで顔を隠せば言えちゃうんだろうな。


それはともかくトラブルは人一人では起きない。

誰かと誰かが繋がってトラブルが発生する。

ならその時点で関わった全員に程度の差、処分の違いはあっても「責任の有無」は全員が持っている。


最初は自分の不幸を全部人のせいにした。

何度も憎んだ。

不幸の原因、それを掘り下げていくうちに周囲の環境にも目を向けて憎み始めた。

勿論、自分の心の中だけでね。体力的に実力行使なんてできなかったし。

肉体も精神的にも何かできる状態にはなれないが恨む事とその時間はあった。

そして何度も相手を責めるうちに詳細が見えてきた。

自分の不幸という大きな物が全部「自分ではない者」の所為にしていたが何度も繰り返して思い返すうちに次第に「人の所為」と「環境の所為」と分けられていた。

そしてそうやって自分の不幸から人の責任、環境の責任を抜かれていって残った物、それが自分の責任だった。


この経験からこの10ヶ月と少しの間、このエッセイでも何度も出てきている3分割。どんな事でも3つに分けるように考えてきた。

そしてもう2つめの教訓が「憎む事と責任を問う事は違う事」

3つめが「責める事は分析するという事の裏返し」。


なんでもかんでも全部自己責任、と言う人のせいで自己責任論自体がネガティブなイメージがついているし、自分も納得いってない。

それに自己責任という言葉を立場の弱い人間に叩きつけて自分という個人、あるいは自分達というグループ、環境の問題を棚上げしてる人も傍から見ればいるしね。


自己責任はあくまで自分の行動には自分の責任があると言うだけの事でしかない。

自分に責任がある=自分が悪い、という事ではなくそこから自分がどうするかが重要だ。

責任を取るべき自身が行った行動を振り返って分析(過去)、そしてそれが次の機会(未来)で生かせるように改善していく(現在) 。

その自分の責任の所在を見つけるために他責、相手の行動を分析する。

そして自分と相手の他にそのトラブルに関係してくる他のもの、環境や状況を分析。

環境とは関係者、という人間やグループかもしれない。

契約内容、ルールかもしれない。

あるいは顧客だとか少し遠い存在のことかもしれない。

それを明確に線引きする。

自分、相手、環境の3分割に過去現在未来の3分割。

そしてその3×3の9マスが出来たら自己責任に対して今の自分が行えるのはのはたった1マス。

正しく責めて分析さえできれば自分がそのトラブルにできる事はたった11%程度の事、たったそれだけ。

勿論、立場とかによって実際の労力とか時間や金の支払い額とかは異なるよ。

けどトラブル解決にかかると想定した100%の労力や支払い金額が11%になる事は現実的に考えて恐らくないだろうよ。

でも100%が75%や50%で済むかもしれない、と思えば少しは気も楽でしょ。

自分の分の自己責任を背負い込み、解決する事で成長できる。

逆にいえば他人も同じ。環境も同じ。

他人と環境の成長のためにも自分一人で背負い込めばその人達の成長の場を奪ってしまう。


とはいえ、だ。分割して労力が減る事に欲を出してはいけない。

他責で分析して9つのマスに分ける事が出来て

さらにその1マスすら分割して他所のマス目との境界を曖昧にして押し付けようとすればどこかでしっぺ返しがくる。

被害者が一転、加害者に。

恨むとは、欲を出すとは曖昧にすること。そういう事と同じ。

問題全ての責任を誰かに被せるな。

責任の所在を明確にすること。それが自責、他責という行為。

曖昧にするのは過去の責任ではなく、未来の景色。

恨みは許容に変わり、欲は夢に変わる。



しかし恨むな、と言われても最初は恨んじゃうよな。

それについては自分も人のこと言えないし。

だから恨むなら時間がある時に一度に繰り返し恨む。

恨むが責めるに変わるまで、責めるが分析に変わるまで恨みの感情を撹拌して濾過して、煮沸して純度の高い自己責任に変える。

「もう嫌だ、思い出したくない。」

「時間が足りない。」

「どう考えても分からない事がある。」

となってしまったら今の段階、状態をメモしろ。

一度に一気に出来なければ次もまた1から嫌なことを思い返すハメになる。

「 冒険の書を記録しますか?」

「恨みクエスト」 途中でやめたくなったらYESと返せ。

次やる時は記録の途中からだ。




「恨みクエスト 〜そして分析へ〜 」

我々が生まれた時から配信中。

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