エリート同士の夫婦の子供は割と鬱になりやすい。
エリート、というのは経済的、学歴や人格など高水準に纏まっているような人間だ。
どれかが一つ突出していてもそれはエリートにはならない。
そして仕事も勉強も人格もシンプルに見ていけば男の性質「多様な事柄に興味を持ち、その物事に拘りを持つ」という事と女の性質「取捨選択、優先順位を早く決める」という事の2つの性質を「バランス」を取って行く能力を求められる。
そして父と母がその能力が高水準であるなら子供もエリートになる筈。
しかし実際は?
確かに多くの場合はそうかもしれないが絶対にそうなるというわけでもない。
旧統一教会が騒がれる事の発端となった事件の容疑者もエリートの家庭で育つ筈だったし、本人も子供の頃は学力は高かったと言われてる。
「元農水事務次官長男殺害事件」なんてのも2019年、最近の事だ。
親がエリートだから絶対に子もエリートになる、とは言い切れないのが現実だ。
夫婦両者とも高水準であると言うことは他人に求める「基準」も高水準になるという事。
そして両者とも強者であるという事は弱者の立場や意見、考えを汲み取れないという事。
その認識の違いを「努力不足」や「無能」といったレッテルを貼る事で強者である自分の考えを正当化する。
男と女の性質が高次元でバランスが取れているゆえに一度そのバランスが崩壊すれば非常に危険だ。
平凡な一軒家が倒壊するより高層ビルが倒壊したほうが周囲への危険はデカい。
「高水準」という強い拘りの男の性質、その「高水準」を基盤にした0か1の極端な判断である女の性質。
一対一なら同じような能力、価値観の人間は都合が良い。
何より楽。
男同士、あるいは女同士なら裸になる事も然程恥ずかしい物ではない。
それが同じような体型ならなおの事。
身体だけではなく、精神的な強みや弱みを出す事も別に苦ではない。
それがエリート夫婦は男女差はあるがエリートという部分で繋がってしまう。
それはつまり目線が同じ目線で固定されてしまう可能性があるという事。
故に絶対に弱者として存在する「子供」という存在に対して上から目線になる。
それを「俯瞰視点」だと勘違いしてしまう。
上から目線だけではなく、同じ立場からの目線、あるいは子供に対して下からの目線に立つ事が出来なくなる可能性が出てくる。
本来は学校や部活、そして仕事で平凡な人間より強く上下関係、そして横の繋がりを学んできた筈だが、エリート故に常にそうした組織の中で上の立場になりがちでそんな人間がパートナーに選ぶのはお互いに同格の存在となる。
夫婦生活だけを考えればそれは正解だ。
しかしその1対1の夫婦生活を土台に子供という弱者を入れたバランスを考えるとなると難しい。
子供を中心に考えなければ子供は育たない。
そのためには夫婦の拘りを崩す必要が有る場面が絶対に出てくる。
それが出てこないまま子供が成長してしまった場合、それは子供が無理をしていた、という事の証明にもなる。
親が家庭内で強者という立場を曲げない限り、ドンドン弱者は痩せ細る。
だからこそ現代の若い世代、若い価値観のエリートは「広くて多様な経験」を重視するんだろうな。
強者であるからあえて弱さを手に入れる。常に挑戦者という弱者の性質を入れる事で男女の性質とバランスを取る性質を常に意識していく。
そして一部のエリートが強弱の性質を独占しようとすればするほど社会において格差が広がるとも言える。
強者が弱さを手に入れる事で元々そこにいた筈の弱者は追いやられる。
弱肉強食だから、と言われれば確かにそうだけど弱者が強者に育つ前に食らうなんて事を繰り返しても次第に食らう物が無くなる。
そうした結果が晩婚化や出生率の低下。
良いじゃないか。
弱者が選んだ道ではあるけどそれを誘発したり追い込むのを選んだのは強者達。
結局、自己責任だし他人の責任、周りの責任。
日本で起きている日本の問題ならそこには日本人全てが当事者だ。
弱者には弱者の責任、強者には強者の責任がある。
さてコレを踏まえて前話のベーシックインカムの最低限の金だけを与えてどうにかなるのか?というエッセイを重ねる。
金だけ与えて居たら果たして元首相銃殺事件は起こらなかったのか?
8050問題なんて言われる高齢化していく引きこもり問題は解決するのか?
地方の過疎化、担い手不足と言われる一次産業、肉体労働系の仕事の人員不足は解消するのか。
全てを弱者の責任にするのか?
それじゃあエリート夫婦の子供が鬱になっている様子と変わらない。
勿論、エリート夫婦の全ての子供が鬱になるわけじゃないけど仕方ない、
だってそうしたエリート達が馬鹿にしたり居場所を奪われてきた弱者からすれば「知ったこっちゃない」。
これもまた追い込まれた人間が出す一つの結論。子供が自殺するのもな。
無責任?誰のことだか。
スタートが違っても結局、似たようなところに話が落ち着く。
堂々巡りさえ馬鹿の一つ覚えのように多用されるワードになっちまうよ。