肝っ玉母さんは好かれる理由とは
男と女はそれぞれの性質を手に入れる事で成長する。
肝っ玉母さんというのは昭和から平成にかけて好まれた一つの母親像だ。
肝っ玉母さんというのは世間的には「男勝り」と言われる側面があるためどうしても男寄りのように思われがちだが、これまでのエッセイで書いてきた女の性質として考えれば実際は非常に女の性質が強い。
「男勝り」とはあくまで「男らしさ」基準での「男らしい」であって実際の男の性質とは異なるからだ。
その気質で言えば「女の性質の強い女」という事になるのだが逆に考えればそれは周囲には「男の性質の強い男」に居た環境で自分がシンプルに女の性質を求められてきた、という事にもなる。
例えば父親。
なんでも物を与える。甘やかす、物を与える。
父親は男の性質である拘りを示している。
しかしソレに対して女の性質が強いために興味を示さない。
0か1、その0を突きつけている。
故に父親は更にもっと、もっとと与え続ける。
何故なら娘が自分を好いている、1を出しているのは明白だからだ。
父親が与えてくれるもの全てに1を出していればどんどん「男が理想とするお淑やかな女性」なっていく。それはそれで好かれる。
しかし与えられる全てに0を出し続け、唯一その根っこ、供給者である父親相手に1を叩きつける「はっきりした性格の女性」もまた魅力的になる。
この肝っ玉母さんは女としての性質が強いのだが、逆に言えばそうした数少ない「1」を表明した物については非常に高い拘りを持っている。
持ちうる男の性質は少ないが女の性質を上手く使い、切り捨てて絶対に必要な物に対して全賭けできる能力を持つ。
1を向ける対象、全賭けが父親から子供に変わったからこそ所謂「肝っ玉母さん」が好かれた理由だと思う。
とはいえモノが溢れかえる現代では非常に難しい。
そうした肝っ玉母さんになるような素質を持った人は全賭けの対象として既に子供ではなく「夢」に当てているからだ。
女優、歌手、アイドル、あるいは最近はストリーマー。
両立を上手くやってる人はそうそう見かけない。
女としての性質と男としての性質のバランスをとった上にその男としての性質から更に夢と子供のバランスをとる。
たまに見る「上手くやってる人」は周囲の助けもあるが夢と子供を重ねる事で天秤の振れ幅を抑えている。
女優の子供が芸能界に、だとかスポーツ選手の子供がスポーツ選手。
これは何時ぞやで告げた「男親と息子の理想的コミュニケーション」とほぼ同じ。
仕事を通じる事でコミニュケーションと教育の両立を図る。
仕事を通じるから本人の夢も止めずに済む。
女性と男性の性質の受け皿の大きさには偏りがあっても結局のところ、重要なのはバランスだ。
たまにおバカ判定のクイズで「紙1キロ、鉄1キロ、水1キロの内、一番重いのはドレ?」なんて言う引っ掛けクイズがある。
勿論、答えは全部一緒。
だから女性の受け皿がフライパンぐらいの広さ、対しては男性用の受け皿が寿司の醤油皿ぐらいの狭さしかないとしてもその皿乗せる物が違えば重さが異なる。だからその重さでバランスは取れる。
力強い男の手には武器を、ひ弱な女の手には花を。
男女混合神の手の高さはそれで同じになる。