おじいちゃん子は3文安い、だから?
親が当事者扱いされてないのはおかしな話だ。
おじいちゃん子は3文安い、これは祖父、祖母に甘やかされた子供は甘えん坊になる事が多いことから作られた諺、のように良く語られる。
けどさ、3文って今の価値にしたら50円程度らしい。
3文といえば別のことわざで「早起きは三文の得」なんて言う言葉がある。
早起き、ってのは基本的に一日に1回のカウントだ。
コレにならって仮におじいちゃん子は3文安いが1日につき、って話だとすると毎日甘えてべったりしたとして1年間、365日×50円値段が下がるとする。
年間通して18250円安くなるわけだ。
これが20年続いたとしたら365000円安い子供、その頃には大人になるわけだ。
さて36万5000円をどう見るか。
諺で殊更に3文安いなんて言うから恐ろしい値段のように感じるけど別に大した額ではなくない?
これが「おじいちゃん子は《3両》安い」だととんでもない額になる。
ちなみに1両が約20万らしいから同じ式に当てはめるとたった1年で7000万以上の安くなる計算だ。
自分は祖父には甘えた記憶はあるような…ないような。
小学校に上がる前に亡くしたし、祖母は毒親以上にクソで甘えた記憶もないし、そもそも祖父が死んですぐに家の金を持って逃げ去った(証拠はないがほぼ確定)ので「おじいちゃん子は3文安い」には当てはまらない。
祖父母に甘えずともこういうダメ人間になってる。
こっから「おじいちゃん子は3文安い」になるならもう死んでるか犯罪者になって牢屋で暮らしてるだろ。
でもそんな単純な話か?
もしも仮にあの時自分が甘えられる人が居たら。
支えてもらっていれば。
そう思うと自分はこんな風になってないないのではないか、そんなふうに思ってしまうこともある。
勿論、たらればだ。
諺通り、今より3文安い人間になったかもしれない。
だがそれも同じようにたられば話だ。
こっから舵を戻さないとまたヘラり続けるだけなので話を戻す。
この諺で責められているのは文章だけからパッと見れば「甘やかす祖父母」と「甘える子供」を責めているように見える。
そもそも何故子供が祖父母に甘えるのか。
お小遣いをくれるから?欲しい物を買ってくれるから?
それは盆や正月にたまに合うからだろう。
仮にその時期にそれぞれ1週間甘え倒したとして年間50円×14日で700円。20年その頻度で甘えても14000円。
大した額じゃない。
また同居している家族で流石に毎日小遣いだとか欲しい物を買ってもらえるだとかあり得ない。
それでもなお祖父母が子供を甘やかし、子供も甘える、ってそれはもう親がヤバいじゃん。
子供が祖父母に救難信号をだして祖父母も甘やかす事でしか対処できないそんな家庭なんじゃないのか?
この諺の解釈は勿論人による、というかネットとか見てもこういう見方をしてる奴を見かけないから自分が少数派なのは自覚はある。
けれど祖父母と子供がベタベタしてるのを遠目で見てアレコレ文句を言ってるのは誰か。
「子供が祖父母に甘やかされて甘ったれた大人になる。困ったわ~」
という意識があってそれでもなお何もしないならそこはもう自己責任。甘ったれの大人なった子供を受け入れるしかない。
けれど何も考えずにただ引き離したところで何も解決になっちゃいない。
それは嫌味を言っていた人間の行動が実力行使の脅迫に変わっただけ。
こんな風に考えると3文安い、ってのは子供の値段じゃなく、親である自分の値段が安くなるんじゃないのかね。
そしてそう考えると確かに一日3文、50円って計算だとしても大きい額に感じる。
子供の年齢にもよるがお小遣い計算で年間2万弱、一般的な家庭と比べて少ない、って話になるわけだから。
追記
大人にとっての一日50円と子供にとっての一日50円は価値が違う、みたいな事を言いたかった。
一日50円、一週間で350円。
休みの日に350円で経験出来る事が子供にとってはデカい。
そんな気はしない?
この金のかかる時代にこの諺がリメイクされたら3文、50円で済むのかな?