教訓を作れ!だけどそれってこの時代には難しいと思う。
老人の役割は経験を経て自身で生み出した若い世代に教訓を伝える事。
老化とは弱体化して若い世代に席を譲り、話を聞いてもらうように仕向ける事。
そしてアンチエイジングとはその役目から逃げる事になる。
というのが自分の考えだけど、実際には難しい。
経験を経て教訓を生み出す事自体は誰でも可能だ。それは間違いない。
難しい理由は「殆どの物に対しての教訓が既にあって纏められている」という事。
大昔、石槍と弓矢持って狩猟をしていた時代じゃない。
農耕民族として後継者だけに親の教訓を伝えていた時代でもない。
口伝だけで自分の周囲の数人に伝えていた時代なら誰もが教訓を作り、それを伝えるのに何ら苦しむ必要もなかった。
今の時代、かつての教訓と呼ばれたものはマニュアルとして、あるいは正論として、あるいは専門家が担っている。
その時代、その土地で暮らす一般的な爺さん婆さんが考えた教訓なんてもはや書籍化、データ化、プロフェッショナルが既に身につけているし、よりわかりやすく、より高品質、そして問題の改善も行ったものが有償、無償でどこにでも広がっている。
たしかに便利ではあるが安心して老化するのもままならない。
「自分が考えだした教訓はあるのだけど、もう他の人が作っていたらどうしよう。もしかしたら自分よりもっと良いものかもしれない。というよりもしかしたら自分のは間違っているかもしれない。誰かに伝えたら恥ずかしい思いをするだけかもしれない」
とかね。
いや、爺さん婆さんだって自分を認めれば恥ずかしいも何もないのよ。
最近、切り抜き動画とかで経済の有識者、なんとかエモンとかの人の話見たりするけどあの人、一昔前はなんか金さえあればみたいな傲慢な人、ってイメージあったけどなんかその時イメージとは違うよね。
若々しくはあるけどドンドン老化してるのよ。
ドンドン老化して老人になって教訓を身に着けてハイ、それじゃココでの私はオシマイ、って感じで別の所にいってそこで赤ちゃんになる。
そこでまたすぐに成長して老化、老人になり教訓を作り終わって、また別の所。
である程度教訓を作ったら講演会みたいなのでバーッと伝えて、って感じ。
まぁ見たのは切り抜き動画だけだし、そもそもそこまで多くの切り抜きを見たわけじゃないからあの人の全体像は分からないけども。
若々しいってのは老いを否定したりするのではなく、老いを受け入れて、というよりむしろ迎えに行く勢いよな、あの人の場合は。
ともかく老化をしたら死んで生まれて成長する。
そうやって新陳代謝を起こす事。
もっともその側面についてはやっぱりスゲーなぁ、あの人、とは思うけどやっぱりそれでも主軸は経済という金儲けな感じ。
そこについてはやっぱり老いていきたくない、ってのを感じる。そこがあの人の人生における大黒柱見たいな価値観なのかもしれないけど。
そうやって「10も100も教訓を手にする人もいれば一生で一つしか教訓を手にする事ができない人もいる。」
だけど
「その一つに力を注げば充分」
という事。
それすらも教訓として老人が若者に伝えないから「冬の老人」なんて奴が浅いインスタント教訓をなろうで書いて講釈垂れた気になるのよ。