親は必要か?
ここでいう親は血の繋がりを持つ肉親という事。
子供を育てるために大人の存在は不可欠だ。
子供の衣食住の保持、生きる術を教えるため、教訓を与えるため。
いずれも強者である大人の役目ではあるがそれは血の繋がりが必要なのか、と言う話については疑問だ。
1日の内、朝1時間か2時間程度で子供は学校、親は仕事で分かれる。
会えるのは夕方以降、あるいは夜。
そして数時間で就寝。
就寝を除けば家庭でコミニュケーションを取るというのは一日数時間程度。
その短時間でしっかりコミニュケーションを取れるなら問題ないのだけど毒親、親モドキとなるにつれて難しくなるし、子供のほうとしてもあまりコミニュケーションを取りたくなくなる。
高校生でも寮生活というのは何十年も前からあるし、
もっと小さい子供でも事情のある子供達は児童養護施設のような物もある。
子供であっても大人の助けがあれば親は必要がない。
とはいえ、自分が過去に親からことあるごとに言われていた「奉公」に出すのが当たり前だった時代は人間の寿命というのは40代。
農家に生まれたら長男と予備の次男以外は6歳前後で何処かに奉公に出されて肉体労働を強いられて早ければ10代でもう駄目になる。
奉公先で20代頃になってようやく独立し、そこでお金を貯めて結婚は30前後頃。案外今と変わらないらしい。
そしたら即座に子供を作って後継者を育て上げて子供が10代になるかどうかの頃に逝く。
子供を大人として扱えば消耗するのも早い。
児童養護施設の問題点は多いのは知っている。
金もないし、人手も足りない。
また施設の問題で相部屋で過ごす必要があり、子供は自分の時間を持てない。
だから日本は外国にならって里親制度を更に進めようとしているらしいけど、そもそもそれが可能なら結婚も出生率も問題ないような気もするんだけどなぁ、と。
結局のところは「親」の責任を取らされているだけなんだからいっその事、役に立たなかった「親」をただの「大人」に戻して責任として金だけはちゃんと払わせて施設だとか人員確保とかそっちに舵切ったほうがいいんじゃないか、とか。
子育てにかかる金に手間、時間、それで結婚や子供を作るのに踏み切れないわけだから。
子供関連の税金とかの話も各家庭でアレコレやるより、そういう施設が専門家雇って一括でやったほうが早いんじゃないかとか。
子ども食堂、フードバンクとか言われてるのもそうなんだけど、そういう無駄を無くすには個別で消費する現代の生活モデルだから発生しているわけだ。
その生活モデルを成り立たせて無駄を作っているのは誰か、といえば我々「大人」。
まともな大人ばかりなら子供もまともに育つだろうが、現状を見てまともな大人と子供はどれだけいるか、という。
大人が「死ぬ気」で頑張って一人前の「親」になれれば良いだけの話、と言っちゃう人もいるだろうけど、ほぼ間違いなくその親は「死ぬ気」を正当化して子供に強制させるだろうね。
そして出来る事が少ないから子供が死ぬ気で出来る事は「我慢」だけだ。
だからこうやってグダグダと過去の話を語る自分や似たような無気力人間がいる。
教訓を残すには経験や努力といった物が必要ではあるが「死ぬ気」は教訓に使ったらもう終わり。
死なずに済むための教訓だ。
万が一、生きる為に死ぬ気にならざるを得なかった場合であってもそれはその前の段階を教訓として伝えるべきだ。
○○をしなかった、あるいはしてしまったから「死ぬ気」なんて物に縋ったのだと。
児童養護施設が子供にとってセーフティが下限なら、思考の下限を二分割から3分割に上げるように、セーフティもその下限としての質を上げるべき。
そしてどこまでその下限を上げるべきかがタイトルの「親は必要か?」の考えに金持ちでも貧乏でも、有名人でも犯罪者でもなんでもない極普通の一般人が思うくらいに充実させた方がいいんじゃないか、ってのが個人的な考え。
充実したセーフティがある上でそれでも肉親は必要だ、という考えの持ち主なら最低限、そのセーフティ以上の教育は子供にするだろうしね。
子供の奉公が一般的だった時代に戻してでも肉親の元で子供は育てるべき、という考えの人もいるのかもしれない。
血の繋がった子供を育てられなければ結婚して子供を持つ意味がない、という人もいるかもしれない。
その辺は拘りだろうね。
情けないのかどうかすらもよくわからないメンタル状態だけれど、自分はその拘りは持てないね。