「若い頃何もしてこなかった貴方に…」
たまたまそんなタイトルの動画を見たので。
タイトルのニュアンスの言葉、なんかよく聞くけどさ。
刺さる時期はなんか個人的にはもう過ぎちゃったな。
何もしていなかったわけじゃないが、小さい頃からずっとただ我慢していた。
我慢と努力は別物って言われても自分の身体も心も一つ。
そしてその心と身体のエネルギーを我慢する事に使っていたし。
不平不満を押し殺して、夢を叶える努力、どころか夢を探す事すら封じ込めて。
「でも今日と言う日が一番若いです!今からでも遅くはありません!」
という言葉も正直聞き飽きた。
この言葉で挑戦に行ける奴はそれなりに既に動いている。
後押しの言葉だけを待つ人間と迷いとしがらみでがんじがらめになって動けない奴とは違う。
押し殺した感情は重りになってから身体が動かない。
不安と迷いは心を鈍らせる。
しがらみのせいで重りを取り除く事と不安と迷いを断つことも叶わない。
「死ぬ気になれば何でもやれる」
それは確かにやれるものならするだろうさ。生きたいなら。
「死ぬ気」は魔法でもなんでもない。
生きるか死ぬかの二択に追い込んで選択肢を減らしただけだ。
0か1かで判断すればあとは自分にとって必要か不要か、損が得を選ぶだけ。
Q.親は良い親でしたか?A.今の自分が不幸だから悪い親。
Q.今の仕事は好きですか?A.疲れるから嫌い。
Q.友人はいますか?A.心の内を吐き出せるかわからないから友人なんていない。
「死ぬ気」とはそんなふうに選択肢を2択のシンプルに絞り、そして曖昧なものを切り捨てるだけだと個人的には思っている。
こう考えると「瀬戸際まで追いつめられて何とかなりやすいのは女の方だ」と言われる事についても別に不思議でも何でもない。
死ぬ気の状態の二択と女の本能的な物事をシンプルに判断する思考は似ているというか相性が良い。
普段「女らしさ」を求められて不要な物を身に着けた女が本来の思考に立ち返っただけなんだから。
だから自殺者の数を見た時に男の方が圧倒的に多いのかもしれない。
男の場合、いくら死ぬ気になろうが本能とは真逆の事をしようとしているんだから。
単に「死ぬ気」になるだけでどうにかなるのは男には難しい。
だから「納得する」しかない。
「今の自分は不幸」「自分は間違っていた」「アレは誰のせいだったんだ?」
全てに納得するのは時間がかかるのかもしれない。
同じ死ぬ気であってもシンプルに考えられる女からして見れば怠けているようで「女々しくてみっともない」のかもな。
だが男はそうしないと無理だと思う。
ほら見ろ、また想像上の「女」という他人の事を考えてる。
女でなくても誰の視線を感じた?友人?恋人?親兄妹?職場の人間?
そんなふうに男はどうやっても考えてしまう物なんだよ。
いくら「死ぬ気」なってもな。
男と女は「他人」の事を考えるときに根本的にスタートが違う。
女は生きるか死ぬか、のときに生きるために自分の事を考える。
男は死ぬ気になった時にまず死んだ後の事を考える。
自分が死んだ後の後始末は?見られて恥ずかしいものは?
失敗したら?
そこまで考えて、ようやく「死ぬ気」になれる。
良い悪いじゃない。それが性の本能だ。
男が行動するとき、動機がいる。
それは生きるための理由になる。
だから努力するのも動機が必要で動けない理由を解決しなければ動き出せない。
そして動けない理由をどんな結果であれ、自分の中で消化できたらそれが「納得」した事になりようやく動機を見つけ出せる。
だから動き出すのは遅いが動き出してしまえば努力し続けられる。
それが男にとって「拘り」となり、そして「性癖」とも通じる。
だからそれまで動けなかった奴が死ぬ気になったところで良いことはない。
動けなかった理由を解決して性癖を満足させる。
ムラムラしたままじゃ拘りを強みに変えられない。
人間は誕生するのは卵子と精子が結合した時で死ぬ時も活動を停止した時。そこには男女差はない。
だが生きる上で男女差があるなら死ぬために必要な事も男女差があると思う。