短気は損気
罵倒とか冗談とか、人を馬鹿にする言葉は言われもしたし、自分も言ってきた。
その中でも小学校の頃にこの「短気は損気」という言葉を何回も自分に対して投げかけて来た女子がいた事を動画を見ていてたまたま耳にしたので思いだした。
シンプルなチビとかバカとか、そういう言葉ではなく、何故そういう慣用句的な言葉を自分に向けていたのかは今となっては分からない。
当時はまだ慣用句という言葉も授業で習ってなかっただろうし、テレビ番組か何かで見たのを使っていたのかもしれない。
結局、その言葉を受けた自分もただ短気野郎と言われているようにしか思ってなかったし、反応すればそれでまた言い返されるし、面倒臭くなってドンドン関わらなくなった。
今の子供はどうか知らないが自分のころの小学生といえば男女で仲良くすればそもそもからかわれたりしたし、クラスメイトだからといって異性なら話さなくなってもさほど問題はなかった。
とはいえその短気は損気という言葉は今となって振り返ってみれば割りと当てはまっていた言葉だな、と思う。
自分がおかしくなったきっかけは中学のイジメだったけど、それ以前からずっと不満など我慢していた。
家庭内で安心できず、自分を隠しているから落ち着けずに学校では無駄に喧嘩っぱやいというか。
別に喧嘩といっても小学生の喧嘩だ。悪自慢とかじゃない。
喧嘩っぱやい、つまりは被害妄想、誇大妄想、加虐性があったことに他ならない。
喧嘩をふっかける相手や理由、そういうのは全然考えていなかった気がする。
それを子供だからとかで済ませるのは今にして思えば違うよな、と。
短絡的、短気と言われても仕方ない。
実際それが当たり前になってそれでこうして損をしている、不幸というか色々面倒な事になっているわけだからまさしく「短気は損気」だったんだろうな、と。
自己責任、というより自業自得ではあるのだけど。
とはいえ当時の時代と環境を考えると携帯もなければネットもない。勿論金もない。
短気であることや家に安心感を持てないと自覚したところで小学生の自分はどうするのがよかったんだろうな。
と考えてみたがそれこそ今更か。