男らしいとは、女々しいとは。男らしくなるにはどうするべきか。
よく、物事をスパッと判断できる男に対して「男らしい」 と言う風に使われる。
逆にいつまでも引きずる男は「女々しい」と言われる。
今の御時世、性差別的な問題で中々テレビなどでは聞かない言葉になってしまったがそれでもなんやかんやで耳にする。
先日に投稿した通り、男には狩猟本能として問題解決の欲求がある。
女々しい、つまり未練がましい状態とはこの欲求が解決されないままきた、という事。
まず本当に男とは「男らしさ」が生まれ持って備わっているかといえばそれはノー。
女々しい、つまり未練がましいのが男のプレーンな状態だ。
何故なら狩猟するためにその未練がましさは必要となる。
狩猟民族とはいえど基本的には山菜、木の実などが主な主食であったらしいが狩猟だけでなく野生動物などの外敵とも男が矢面に立つ。
そこで直ぐ様「無理」と判断して男が逃げだしたら群れとしてはそっちの方が困る。
女子供を逃すため、あるいは狩りを成功させるために粘れるだけ粘る必要があり、それが「女々しい」に繋がる。
その状態から「男らしい」という状態になるには問題が解決した、つまり満足した、と男が欲求を解消する事にある。
据え膳食わぬは男の恥、というわけではないが結局この焦らされ続けて悶々としている状態が女々しい。
どうすればいいか、といえば納得いくまで解決させるしかない。
これをさせて言って納得して切り替える訓練をさせるのが男らしい男にするため道。
「男らしさ」を押しつけて周りが急かして物事をやらせても判断が出来ないから右往左往で失敗ばかり。
そうなれはスパッと判断できる「男らしい男」ではなく、すぐ諦める、あるいは最初からやる気がおきない「無気力」な人間になる。
そう考えると寸止めは身体に良くないとか、あるいは賢者タイムとか、中々繋がって面白いな、と思った。