心の中の突きつけられた銃口。名前の話。
さてこの銃口シリーズ、言ってしまえばトラウマってだけの話なんだけどこのエッセイを見ている人は自分自身の名前(リアルの方)にどんなイメージというか感覚を持っているのだろう。
自分は自分の事を自分の名前で呼ばれる感覚があまりなくてかなりピンと来ていない。
キラキラネームではないが割りと珍しい名前だから呼ばれたら自分の事だと分かるには分かる。
中学生ぐらいから名前よりも名字で呼ばれる事が多くなったし、友人関係では名前そのものよりアダ名のほうがお互いに多かった。
今の子どもはアダ名禁止とか言われてるんだっけ。
「アダ名は親しい間柄で行える愛称だから信頼の証」 という反論も見た記憶あるけど、個人的に言えばどうなんだろうな、とは思う。
海外のような長い名前を短縮化したようなニックネームなら理屈としては分かるしそれは別に良いと思う。
ただ日本のあだ名って呼びやすいようにしている、というよりもその人のイメージというか何というか。
仮に大柄な体型なら「ゴリラ」とか言われてもそれが許される空気になるし、その人のキャラにもよるが許さなきゃ空気読めない、みたいな感じもある。
逆に受け入れたら受け入れたでいまいち反応悪い、みたいな別の面倒臭さもあるし。
そんなの気にしてたら生きていくのシンドイけど。
けど実際シンドイからこんなことを書いている。
ともかく、基本的に自分個人としては学校の時も社会に出てからも基本的には名前で呼ばれる機会は少なかった。
でもコレ自体は日本人なら割りと通る道じゃないのかな。
とはいえ個人的には名前に愛着ってのはない。
多分この流れはいつもの流れなので代わり映えしないけど、結局の所その自分の名前に愛着を持たせるのが親の役割。
基本的に名前で呼ばれる事は無かった。
それはニックネーム的な「○○○」という名前を短縮して「○○ちゃん」「○○君」と呼ばれていた、というわけではなく、親が自分を呼ぶときは「おい」といって呼びつける。
親が他人に自分を紹介するときは「アレ」とか「コレ」そんな感じでで呼ばれていた。
ソレに自分が反応出来なかったら怒られていたこともあり、小さな時から家庭内で常に気を張っていたと思う。
また自分の名前をハッキリと呼ばれる時というのは8割9割は叱られる時で親から名前を呼ばれる時というのは自分の心がいつもモヤモヤというかゾワゾワ、何というか焦っていた。
妹については親はニックネームで読んでいた事もあったし、一度か二度、自分もこれから名前で読んでほしい、と進言した事もあったがソレくらい普通だと逆に咎められたし、改善もされなかった。
その後、それが普通だと思って過ごしていたがある漫画を読んだ時にアレ?となった。
その漫画は格闘技漫画、というか喧嘩物のバトル漫画だけどあるキャラクターが怒りを発露する場面。
「俺には名前がある、犬猫みたいによぶんじゃねぇ!」
そのキャラは捨て子でヤクザに育てられたがヤクザは可哀想だとかいう理由で育てたわけではなく、あくまで自分の道具として使うために育てたわけで届けなども出さずそのキャラには名前もなかった。
そのキャラは成長して自身の力で他人の戸籍を買い取り、自分のものとして自称する。
そのキャラが名前を得て最初の「仕事」の依頼が育ての親のヤクザを始末すること。
そこで育ての親はいつものように「おい」 「オマエ」という風に語りかけたところに怒りが爆発して先の台詞で親を締め上げた。
許しを請うヤクザは「名前で読んでほしかったのか」が最後の言葉になったわけだ。
この一連の話を見た時にアレ?と思った。
クールというか普段は感情をあまり出さないキャラが怒り狂うシーン。
割とそんなのはどんな漫画でもあるにはあるのだけど、それよりも「あんなふうに名前で呼ばない、呼ばれないのは普通じゃないの?」と疑問が先に浮かんだ。コレって怒ってよかった事なの?不幸な事だったの?
自分にはどっちが本来の「普通」なのか、未だに分からん。
だけどそうやって名前で呼ばれず、呼ばれる時は怒られる時だけ。
その結果、名前に愛着どころか若干の違和感というか嫌悪感というかモヤモヤした気持ちがある。
そのモヤモヤはまだ完全には言語化できていないが、とりあえず子どもに自分の名前の愛着持たせたいならしっかり親が名前で呼べばいい。
子ども側が自分の名前にモヤモヤした気持ちと親が名前を読んでくれていない、と感じた事があるなら、一度話し合えばいい。
とりあえず、それで親が改善しないようなら仕方ないけど「毒親」チェックシートにチェックを入れて、いつか向き合うなり、逃げるなり、耐えるなりするときに備えておきなさいよ。