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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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化粧

昨今では男も当たり前に化粧をする時代だがそれでも「化粧」といえば「女」がするもの、というイメージが強い。

化粧をする事で他人に向けて自分を「綺麗」に、あるいは「可愛らしく」、あるいは「強く」見せる。

同時に化粧をする事で「自信」を持ったり、「気持ちの切り替え」を行ったり、あるいは「役割」に入り込んだりと自分自身にも影響を与える。


この「化粧」とは前回の「優」で語ったものと実質的に同じだ。

「優しさ」と「優れる」という事の根源は「演技」であり、そして「優しさ」と「優れる」という手段を行うことによって得られるもの、「優しさ」と「優れる」という事を身につける求める目的は「イージーモード」だ。


「化粧」にしても同じで「化粧」によって簡単に「なりたい自分」に見た目を変える事ができる。

それによって周囲の人から好印象を持たれる事で「イージーモード」を手に入れ、能力以上の成果を得やすくなる。

簡単というのは整形したり筋肉をつけたり骨格や体質を変えたりするような事と比べれば、という話であるが。


結局の所「演技」も「化粧」も「術」であり、「志」に必要な技能だ。

そして「母親」になり「人生のチュートリアル」を子どもに教える役割が待っている「女」が取得しなければならないものだ。


前回の説明した通り、「優」の本質は「演技」だがそこから先には「優」を生み出した「憂う」というものがある。

「故人を憂う演技」をする「俳優」、「コンパニオン」。

そこから「演技」を消し去り、損得勘定無しで他人を「憂う」という事が身につく事で「魂」となる。

それが「母親」が持つべき「慈愛」の土台である。


では「化粧」の本質は何か。

「演技」ではない。

何もない。

「無駄」だ。


ファッションや化粧そのものに関連する仕事にでも就かない限り、化粧を落とせば無くなる。

朝化粧し、夜化粧を落とす。

その間もちょくちょく「化粧直し」をする。

「無駄」でしかない。

「優」は「イージーモード」を手に入れるための「演技」ではある。

しかし「優秀さ」は仕事の結果に直結するし、「優しさ」は仲間との連携を円滑にする。

だが「化粧」に関しては「見た目が良い」だけである。

ならば「最低限の身だしなみ」以上の物は不必要。

だが「最低限の身だしなみ」以上の事を女はやっている。



何故そんな事が許されているのか。

それでお互いに気持ちよく仕事ができるならそれで良い。

だから許されている。

「許容されている」という自覚が必要だ。

それが重要な事だ。


教育ママと呼ばれる存在が子どもの生活に勉強、習い事を詰め込み、遊びやゆとりを持たせないまま育てた結果、例え良い大学、良い会社に入ってもコミュニケーション能力がなくて挫折する。

その結果、引きこもりになったり、あるいは犯罪者となったりする。

その割に、教育ママ自体はガッツリ化粧をしたり身を着飾っていたりする。


コロナ禍の頃にリモート飲み会をSNSで配信し、「デカくなるだけの筋トレは無駄だから男はするな」と言って炎上した女のグラビアアイドル兼タレントがいた。

彼女自身は「プロポーション維持」のために「筋トレ」をしている画像をSNSに投稿しているのが発覚し、その炎上にさらに油を注いだ。

一般人の筋トレは「趣味」であり、「無駄」だ。

しかしグラビアアイドルでもある自分の筋トレは「仕事」の一環で「価値がある」という話だろう。


確かに一般人の筋トレは「無駄」だ。

そしてグラビアアイドルの筋トレは「価値がある」というは間違っちゃいない。

だが勘違いしているのは「芸能」そのものが「無駄」の塊だ。

生活する上で「無駄」な事を仕事にしている。

何故許されているのか。

日々の生活で疲れた「癒し」になるからだ。

身体の「活力」になるからだ。

心の「支え」となるからだ。

だから仕事として「許容」されている。


化粧に時間やコストをかけるくらいなら「優秀」、「優しさ」を身につけた方が「無駄」はない。

だがそれには「時間」と「労力」がかかる。

また優秀さも優しさも社会的な評価である以上、一定の基準がある。

基準があるという事は「優劣」があるという事。


優劣がある以上、才能や環境、かける事のできる金や時間、労力、そうした差がある。

「強者」がいる。「弱者」がいる。

その上で「弱者」が「強者」に勝つためには「技術」がいる。そして「戦略」がいる。

「技術の習得」には時間と労力がかかるが、「戦略」なら「情報」である以上、技術の習得よりも短時間、あるいは金で解決出来る。



昨今の「美的センス」、というより「性癖」も多様化している。

グラビアアイドルにしても単に「普通にウケる」化粧をしていても「元の素材」が「普通にウケる」人間の方が少ない労力、時間で成功できる。

「元の素材」が「普通ではない」場合は正攻法でやったら勝てない。

だから「自分の素質」に合わせて「化粧」をして特定の層を狙い撃ちする事で「固定のファン」を獲得し、結果的に「一部界隈で人気」として一般にも顔が知られて成功に繋がる事もある。

「一般的」には綺麗とは言えなくても「特定の層」 を味方につける事で対抗する。

「化粧」とは「戦略」だ。

才能のない「弱者」が才能のある「強者」に勝め、あるいは対等な勝負に持ち込むために必要なものである。

それを一般的には「工夫」と言う。


「弱者がイージーモードを手に入れる手段」、その「工夫」が「優」という「演技」と「化粧」だ。

だが「工夫」というのは「考える」という段階が発生する。

「考える」段階とは具体的に何か?

「普通」とは異なる事をする、「普通」とは異なる方法を考える。

「普通」とは異なる事をする以上、「自己責任」だから自分で「責任」を取る。


「特殊な感性」から発言したり「特殊な行動」を取る女はネットでいうところの「おもしれー女」だ。

しかしただ自分の思うがままに行動するだけなら迷惑なだけ。

特殊な感性で行動した後にちゃんと責任をとって終わらせる。

男に迷惑をかけない。

だから「おもしれー女」。

そんな女だから男が支えたくなる。


特殊な行動をとっても男に助けを求めず自分で解決する女は何処まで一人で行けるのだろう。

何処まで行けば一人ではどうしようもない、と諦めて助けを求めるのだろう。

そんな時、自分は男としてそんな特殊な状況で彼女を助けられるのだろうか。

男のプライドとして助けてやりたい。


生まれ持っての特殊な「 おもしれー女」には慣れないかもしれないが後天的に近い存在にはなれる。

「優秀」で「優しさ」があり、「化粧」で「工夫」をする事で「他の女」とは違う事をしながらもそれが効率的であり、トラブルがあればちゃんと責任を取る。

「志」のあるべき姿、仕事をする人間として見た目も能力も、コミュニケーション能力も理想の姿。


「優秀」と「優しさ」は才能や性質で個人差がある。

だが「化粧」の「工夫」なら誰でもできる。

出来ない理由は「自分が好きだから化粧をしている」からだ。

「化粧をする事」自体が「努力」であり、自分の価値を高める「工夫」になっている。

「化粧が好きで化粧をしている」というわけではない。

「自分」のために化粧は出来ても

「自分」のための化粧という「工夫」の為にさらにダイエットしたり、知識を集めたりするのは自分で何をしているのか分からなくなる。


だから「工夫」もできなければ責任も持てない。

「自分の事が好き」なのは構わないが「化粧」の事を「好き」にならない限り、「化粧の工夫」なんてしない。

「流行り」に乗る事も「工夫」と言えなくもないがそれは周りの人間も同じだ。

周りの人間が同じようにやっている以上、工夫ではない。

「イージーモードの席」を誰よりも先に得たいなら皆がやってるのと同じような「流行りにのる」よりも「自分がそれを好きになる」しか「イージーモード」を得る術はない。

才能が無いものは「術」を愛して「道」にするより「イージーモード」を手に入れる術を道に変えるしか方法がない。


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