心の中の突きつけられた銃口。食事の話。
苦労話を自分がすれば自分語り。
唐突だが自分は挑戦出来ない人間だ。
結論としては3分割で考えていった時に毒親にそれの原因がある、と自覚してからは自分の中でスッと消えた。
小さい頃からずっとメモリの中を無駄なアプリが後ろでずっと稼働していた。
ソレが消えた感覚だった。
自分は食事が嫌いだ。
今思えば外食恐怖症というのに近いのかもしれないが基本的に外だろうが家だろうが他人と一緒に食事するのが嫌だった。
一番古い記憶にあるのは小学生に上がる前の幼少期、口の中をカレーに入っていた豚肉の塊を、もうカレーの味すらなくガムのようにただ噛んでいた記憶。
自分には好き嫌いは無かったが、少食で身体も小さくて噛む力も弱かった。
そこに大人サイズの肉の塊はどうやっても食べる事が出来なかった。
それを家の中で家族から怒られ、笑われ、憐れな目を向けられ、泣きながらいつも食べていた記憶がある。
だからカレーは好きなのにトラウマだった。
他にも家で親が調理した食べ物を皆と一緒に食べるのが嫌だった。
どんな手の込んだ…いや、ウチでは手の込んだ料理なんて出なかったな。
それ自体は家庭料理だし文句を言うつもりもないし、そもそも家の料理が嫌いだったんだから手の込み具合なんて関係ない。
子供向けのレトルトカレー、ソレが一番好きだった。
それでも成長し、大きくなればそこそこ食べるようになる。
というより、好き嫌いがない分、色んな物に興味を持ったと思う。
それに学校で友達が出来れば遊びに行ってお小遣いの中から外で食べたりもした。
どうやら親はソレが癪に障ったようだ。
子どもが自分達の用意した物以外を食べる事も睨まれた。
親の作った料理以外だとカップラーメンぐらいしか認められなかった。
ハンバーガーとか食べたかったな、とは思う。
しかし親は自分達の子供の頃を引き合いに出して贅沢品だと怒鳴られた。
子供の頃はそれを信じて我儘を言わないように、とハンバーガーとかピザとか子供心に興味があった食べ物を口にしないようにした。
それでも昔はラーメンは好きだったから従っていたが、次第にラーメンが食べられなくなった。
頭痛、吐き気、カップラーメンだけでなく店で食べるような物もそうだ。
結局、家族で何処かに出かければラーメン、がお決まりだったので次第に自分は出かけても一人で家族の食事が終わるのを店の外で待っていた。
そういえば自分が初めて食べた寿司は回転寿司だった。
少食でいつももっと食べろと食事の度に叱られていたが、食べやすい大きさの寿司は自分でも食べる事が出来た。
いつもより多く食べる事が出来て褒められた。
食事で初めて、もしかしたら食事を問わず人生で初めて褒められたかもしれない。
結局、食べやすいだろうがなんだろうがそもそも少食だから食べ終わり会計を済ませた時点で吐き出した。
褒められた事に調子に乗りすぎて許容量をオーバーしていた。
結局親からは金が無駄になった、とこっぴどく叱られた。
それから結局、成長してからも食事が嫌いで、でも親はどうしても食卓を「一家団欒」の図で囲みたいらしく、否が応でもその場に居合わせなければならなかった。
結局、3分割で分けられるようになるまで自分にとって食事はただただ苦痛な作業だった。
美味しい物は勿論食べたい。
誰かと一緒に「食事の楽しみ」とやらを気兼ねなく味わってみたい。
しかし気付けばチェーン店のハンバーガーショップや牛丼屋すら近寄るのも出来なくなっていた。
呼吸が乱れ、挙動不審になった。
今思えばただ食事するだけなのに。
友人と食事に行くのすら気が引ける、仕事の人間となんてもってのほか。
結局、そのおかげでドンドン人間関係は希薄になった。
今となっては食事自体はどうでもよくなった。
楽しくはないが、過剰な恐怖もない。食べる行為は楽ではある。
心の中に向けられた「食事」を楽しむ事への銃口は自分の恐怖、親の過剰な叱責、食べ物のトラウマで作られた。
3分割でその銃口は解体した。
しかし、以前のように恐怖しながらも楽しさに憧れていた方がマシだったんじゃないか、とたまに思うこともある。
「世の中には食べたくても食べられない子供もいるんだぞ」という言葉も散々聞いたから、言わなくていいよ。
今となってはもはやどうでもいいけど、当時はトラウマの銃弾でしかなかった言葉だから。
保育園に通っていたけど、給食のオバちゃんの「無理だったら残してもいいんだよ」って言葉に助けられたのを今でも覚えている。