表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
何か書きたい。  作者: 冬の老人
334/354

「普通」の罪 その3

間が空いたのは他の所でゲームとか漫画の考察を垂れ流して投稿していたから。

エッセイ見てくれれば分かると思うが自分の考察も話が長くて書くのに時間がかかって大変なんだコレが。


前回、「自殺」の事に少し触れた。

そして今日本では一定数の人間が「安楽死」を望む。


「安楽死」を望む、というのは言ってしまえば「自殺を望む自分の意思」と「動物として生きようとする本能」の戦いにおいてそのギャップに苦しむ人の願いだ。


「自殺」にせよ、「安楽死」にせよ、「死を望む」というのは「自分の否定」であり、「動物の本能」を否定する「人間的理由」の出力なのだ。

無論、その理由の答えとして「死」を選ぶ事が「正しいかどうか」というのは一度自殺を図った身、そして現状生きている身としては肯定も否定も何とも言えない。

ただ、「凶悪犯罪者」に対して「一生刑務所にいろ」とか「囚人の死刑が決まったら生かすのは税金の無駄だから即刻死刑にしろ」という声も少なからずある。

結局その人のしてきた事柄の経緯、場合によって「死」というものが望まれたり、否定されたりと変わる以上、そうした背景を無視して「死が絶対正しい」とも「死は絶対間違い」とも言えない。


前回、「死を望む人」に対してそれを否定する「普通の人」の「理由」が弱い、それが罪であるとした。

それは上記の「背景を見ない」という事がある。

「凶悪犯罪者」には「即刻死刑」を望む人がいる。

その一方で「自殺を望む人」や「安楽死を望む人」には「死を否定」する。


さてここまで「自殺を望む人」と「安楽死を望む人」という風に分けてきたがこれは前述の通り「人間的理由」と「動物的本能」の戦いである。

その上で「自殺を望む人」というのはその「理由と本能の戦い」で「戦い続けている」のに対して「安楽死を求める人」というのは「本能に屈した」、「戦いから逃げた」と言える。

しかし、それでもなお「自殺したい」。

だから「他人の協力」のもとで本能を殺し、願いを叶えたい。


この「生きるか死ぬか」という生物として重大な選択に対して「他人任せ」な事が嫌悪感を生み、更に「自分で自殺もできないヘタレ」などと馬鹿にしたりするわけだ。

この罵倒とは大した理由もなく、人の背景も碌に見ない「普通」の人間が反射的に行う。

つまり「人間的」ではなく「動物的」な本能からくる嫌悪感だ。

動物的な嫌悪感とは即ち「危険をもたらす」という事に対する「恥」から来る罵倒である。


とはいえ、本当に「動物的」であるなら「他人」が死のうが生きようが関係ない。

少なくとも自殺の手段で他人を巻き込む恐れがある場合を除けば他人が老衰で死のうが病死だろうが事故死だろうが自殺だろうが全て同じ「死」でしかない。

他人の自殺によって動物的な意味の「生命の危険性」ではない。

脅かされるのは自分自身を作り上げてきた「自殺は悪い事」という事をふくめた「教育」、そして「環境」。

そしてそれを信じて生きた「自分自身」。

「教育の正当化」への信頼が曖昧になる。

という事はつまり「子ども」に自分の受けた教育で指導出来ない事になる。

つまりそれを否定されるという事は「新しい教育」を構築しなければならない。

だから「自殺」を否定しなければならない。

かといって否定できるだけの「哲学」がない。

「哲学」に落とし込む「理由」がない、しかしそれでも「自殺」を否定しなければならない。

「行動第一」、そこから「第二」「第三」のステージに向かわず「行動」で止まっている人間が「否定」を出力するためには「暴力」や「罵倒」となる。



結局、何を言いたいかと言えば「死ぬ事を否定」して「恥」だと思わなければ「自分も簡単に安楽死を求める」という弱さの証明でもある。

何かの拍子に今の立場から足を踏み外して転落した時そこから這い上がるためには「何か」が必要になる。

「若さ」が有れば時間と体力で強引に巻き返せる。

だけど足を踏み外して転落するだけの高さの立場に立つにはそれなりの年月が必要だ。

その立場は「若さ」と引き換えに得たものでもう「若さ」はない場合が殆どだ。


「若さ」以外で立ち上がるには「理由」が

必要となる。

「若さ」と言うものを理由に置き換えるなら「自分のため」と言う「理由」だ。

だから「自分」以外の「理由」が必要だ。

「誰かのため」という「理由」

「夢を叶えるため」という「理由」

「贖罪のため」という「理由」。

「若さ」を失った人間には「理由」と言う「中身」があるから「行動」に出せる。

「普通だから」といった言葉を盾に、そしてそれを「理由」にして生きてきた人間は転落したらその理由を見失う。

あとは「罪悪感」と向き合うかどうか。

獣となるか、人間となるかの選択で「獣」を選べば「闇バイト」や「パパ活」と言った法に触れる強引を選び、「人間」を選べば「自殺」を求める。

自分もまた「理由」を持たず後者だったから自殺を求めた。


「自殺を求める、即ち生きようとする本能と戦う」

この「自殺」部分を他の物に変えて見る。

「報酬を求めて仕事をする。即ち休みたい本能と戦う」

「パートナーを求めて自己投資をする。即ち自分の欲求を優先させたい本能と戦う」


「人間として生きる」というのはつまり「本能との戦い」であり、「生き死に」に限った事ではなく、日常で行われている行為である。

そのフィールドが「生き死に」と「仕事」「趣味」「人間関係」との話。


「自殺」とは「悪い」と言う事の理由を尋ねられた時「普通」で言うように

「仕事をする」のが「普通」と言う。そこに仕事をする理由と哲学がないから「無職」や「低賃金の仕事」などを馬鹿にする。

「自己投資する」のが「普通」と言う。

そこに自己投資の理由と哲学がないから、「モテない人間」や「不細工な人間」、「能力の劣る人間」を馬鹿にする。

だからこそ、「若さ」を失った時に「若者」相手に「金」でしか、すなわち「過去」でしかマウントを取れなくなる。

だから若者、あるいは新参者に攻撃的になる。

何もない「理由」として苦肉の策として「実績」を置くしかない。

「自分はこれだけの実績があるから」

と言う事を理由にしなければその「立場」を追われてしまう。

だからその実績を脅かす者を排除する。

結果としてそれが最終的に不利になろうとも、「逃げ切り」まで持てば良い。

後は知らない。


「生きる意味」も考えない。

「生きる哲学」も考えない。

ただ「生きるための行動」を取る。

「成功するための行動」「得をするための行動」「損をしない行動」

「行動第一」で止まっている限り、「若くありつづけたい」。

つまり理由は「自分のため」

その行動の果てに「若さ」を保ったまま老衰で死にたい。

若いまま老衰したい、矛盾しているようだがつまりは「本能」に勝てない以上、「自殺も出来ないヘタレ」と馬鹿にしていた「安楽死」と大差がない。


「普通の人間」と「安楽死を求める人間」との違いは「自殺」を求めるほどの「トラブル」が起きたか、起きていないかというだけ。

だからこそ「普通」はそのために「お金を貯める」「力をつける」「仲間を増やす」というトラブルが起きた時に被害を抑える方法を持とうとするのだがそれはあくまで「軽減」であり、根本的な「解決」ではない。


そしてその「解決方法」を「国民」の「上流」である「政治家」に求め、「不満の捌け口」を「国民」の「底辺」に求める。

そうした意味では「普通」とは「イケメン」や「お金持ち」に身を委ねる「女」であり、「陰キャラ」や「オタク」を足蹴にする「女」である。


さてその「普通≒女」という考え方。

つまり「普通≒捨てる役割」という物だがそれは何故捨てるのか。

「女」がやたら体重を落としてダイエットをしたがるのは「オシャレ」をしたいから。

何故「オシャレ」をするのか、と言えば「良い男」や「強い仲間」を得るため。

力を得ることでトラブル発生時の「被害軽減」であり、「根本的解決」を他者に委ねるため。

これでは堂々巡りなので少し視点を変えて解釈を変えると「臭いものには蓋」という話だ。


つまり現状の「普通」とは「臭いものに蓋」のスタンスであるがそれが最初の「自殺」や「安楽死」に結びつけて考えるとどうなるか。

つまり「普通の人間」が少数派である自殺や安楽死を求める行為や人を罵倒する、というのは「自分の見えない所でやれよ」というだけの話。


「イケメン」や「お金持ち」の苦労なんて知らない。

ただ「女」である自分に快楽をもたらしてくれ。

「陰キャ」や「オタク」の気持ちは知らない。

ただ「陽キャラ」である自分のストレスを発散させろ。

それらと同じように「別にお前が死のうが生きようがどうでも良いが自分達『普通の人間』に迷惑をかけたり不快にならないように視界に入らないように隅の方で静かにやってろ」という事。


その「臭いものに蓋」こそが「田舎」への第一歩でもある。

「臭いもの」に対して責任を持って「残すか捨てるか」を選択できない。

「臭い」と分かっているのにそれを隠すと言うのは「罪」と向き合ってもいない。

歳をとり、かつての魅力を失い、イケメンも金持ちも立ち去る。

罪をなすりつけてきた不細工も貧乏人もオタクも死んだ。


そこで「後悔」すれば良い。

「自分が間違っていた」と反省すれば良い。

だけど出来ない。

自分と同じような「仲間」がいるから。

「仲間」がいるから「自分は間違っていない」と思ってしまう。

「後悔する必要なんてない」と思う。

むしろ自分を「成功者」として認識してしまうり

成功体験としてしまう。

けれど「人材流出」や「出生率低下」として「田舎」の「結果」が目に見えてしまう。

「結果」を出せない限り「間違い」だ。


だけどその「成功者」の範疇から外れた「外側」の自分からすれば「盛者必衰」であり、「衰退すべきタイミング」が来ただけであり、「間違い」ではない。

あくまでも「成功者」としては「結果」を出していない以上、「間違い」と言うだけ。

衰退すると言うのはごく自然な事。

ごく自然、つまり「動物的」だと言うこと。

「普通」を盾にして人間的な「理由」を持たず、「行動」と「若さ」の中で「老衰」を望む維持「死」は免れない。


あれだけ男に、陰キャラに「理由」を求めてきておいて「普通」を振りかざしていきる自分達はその「理由」を持たずに動物的なままで生きた。

人間として「理由」を持とうとしないなら、「責任」を取ろうとしないなら、「罪」と向き合えないなら「衰退」を受け入れるべきだ。

「外側」にいる限りら誰も「衰退」を責めやしないし、「衰退」を責める権利もない。

「自然」である以上、人間誰しも逆らえない。

結局、それを責めるのは「責任逃れ」をしてお互いを責める「内側」の人間。

「罪」の意識を感じるのも「内側」の人間。


ただし、「外側」にいる人間を「内輪揉め」に巻き込まないでくれ。

「別にお前が死のうが生きようがどうでも良いが自分達『普通の人間』に迷惑をかけたり不快にならないように視界に入らないように隅の方で静かにやってろ」

衰退してしまう事は「少数派」となる事。

かつて自分達が輝いていた頃に踏みつけてきた人間ね吐いて来た言葉が自分に返ってくる。

ブーメランは一番辛い時に戻って来て自分の傷をさらに抉る。


「普通」の罪とは「普通」の人間が「上」に、そして「下」に向けて来た悪意のブーメラン。

「自分」が受け止めなければ「子ども」がその未熟な身体と心に受け止める事になる。

「加害者」だから「責任」を取って「罰」を受ける。

ただ罰から逃げて代わりに背負う「子ども」からすれば「理不尽」な事この上ない。

自分が背負う「理由」がない。

だから理不尽の罰を背負わされた子どもは親を憎んでも良い。

それだけの「理由」がある。

本能的に子どもが好意を向ける「親」を嫌い、憎むのは「理由」がある。


全て「理由」の不足。

「理由」を安易に「普通だから」で済ませてきた弊害。

「理解」してもらうには「時間」がかかる、「労力」がいる。

「若さ」を捨てる事になる。


違う。

「理由」を得るのだ。

その為に「若さ」を犠牲にするほかない。

「若さ」を犠牲にするだけの価値が「理由」にはある。

それに気づかないまま口にする「普通」とは無価値だ。

ただ生きるだけの人生が無価値であるのと同様だ。

そして「理由」に気づくからこそ「普通」というものが如何に得難い価値のあるものか気づける。

「行動」はその「理由」にたどり着くためのきっかけに過ぎない。


ブレないための「理由」があってそれが「芯が強い」という事になる。

「普通」というのは「外側」だ。

「芯」を作るのは「自分」しかいない。

それは「上流」の人間も「底辺」の人間も、そして「普通」の人間も同じだ。

喜怒哀楽。

喜びを求めて行動し、

だけど行動に対して理解されない事に怒りながら理由を考え、

他人の怒りに共感して哀しみを深めながら同時に自分の理由を哲学へと深める。

それを笑って話せるくらいに気楽に他人に説明出来るようになる。


別に自分は笑える程まだ達観できはしないが、それでも理由を考えた上で他人の怒りを理解しようとはしている。

ただ、どこまでいっても自分は「第三者」で「他人」だ。

あくまで「自分の理由」を深めるために「第三者」「他人」の立場に立つ事で「別の視点」から「自分の理由」を見直している。


だから話が長いんだ。

自分の怒りや哀しみを笑って話せる程、要点だけを話せるほど洗練されていない。

けれどそれを待っていたらエッセイに書くことなく自分は終わってしまう。

だから喜怒哀楽の内、喜怒哀のままで出す。

あとはもう気が「楽」になる。そして「楽しむ」という事でもある。

エッセイを投稿した後に自分の「楽」が始まる。

それがエッセイとか考察とかを書く「理由」よな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ