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何か書きたい。  作者: 冬の老人
321/354

母性神話 「視点」その1

4つ連投します。

1年以上前の動画に今更になって自分の感想を書き込む。

前回語ったように感想の殆どが「母親可哀想」である事から今更感想を書いた所で見る人は少ないだろう、とはいえまったく逆の「母親に問題があるかもしれない」と1人で語るのは多少の勇気はいる。


しかし自分なりに考えて「可能性がある」と言うのは自信があったし、何より「感想」だ。

「正解」を言いあう場でもない。

だからこそ「可能性がある」と言う事を繰り返し何度も告げて感想を書いた。

「逃げ」と捉えられるかもしれないが実際、確証はないのだからどうしようもないのである。


そして半ば「過去の感想」への苛立ちと反論を乗せた感想を書きつつも「考察部分」は書かなかった。

正直どう思われても構わない、というスタンスではあったが感想を書いて数日後ある返信があった。


シンプルな返信だ。

「憶測なら何とでも言える」

実際にそれは確かであり、自分の感想でも何回も「可能性」の話であり、「掲示板に書き込まれた情報が正確である事が絶対条件」と言う事も何度も書いた。

その上でその返信内容だったため、正直なところ苦笑いしかでなかった。

とはいえ、「母親可哀想」で埋まっている感想欄に「むしろ逆に母親に問題があるがしれない」と言う感想が出てきたらそういう返信の可能性が高いだろうとは予想はしていた。


だから「考察」そのものは書かなかったが自分が気になって「考察した部分のポイント」だけはあらかじめ感想に書いておいた。

「まず自分で考えてくれ」

そういう意図があったのだがまず察してくれるわけがないだろう、という予想もしていた。

自分は「息子から女叩きの被害を受けて母親可哀想」という陣営の人間ではない。

「仲間」ではないから「察する」というのも難しい。


だからそうやって「憶測ならなんとでも言える」と来た時点で「敵」とまではいかないが適切な表現が見つからないが、言うならば「相手」として解釈した。

ネットには様々な人間がいるのは承知だが「憶測なら何とでも言える」と言うのは「正解を求める場」ではなく「感想を述べる場」では「高圧的」で「苛立ち」を覚えた。

多少大人気ないが少し強く反論させてもらった。

そちらの言葉の使い方に不快感があると言う事を伝え、「自分の感想が憶測ならば、母親が鬱になったから父親が悪い、Aがそれに便乗していたのは正しい、というのは結果論でしかなく、誰でも言える」と指摘すると向こうも素直に謝罪をしてきた。


ここまでは前置きだ。

そして向こう側は自分に謝罪した後で一度考えてみたがやはり自分の語る「母親に問題がある可能性」について腑に落ちないらしかった。

そして「Aの女叩きの原因が母親にあるとするのなら、モラハラの八つ当たりでAがそうなったのではないか?」と仮説を立てて見たがモラハラで鬱なのだからその線は低い、と言う。


自分が動画を見て「母親に問題がある」と言う事を判断したきっかけは掲示板に書き込んだ幼馴染がAと出会い、「陰気な性格」と表現した「幼稚園、あるいは小学校低学年〜女叩きを始める前」の長い期間の事を指し、「既にAは家庭内で孤立していた」と言う考えからくる「母親に問題がある」と言う事だ。

なので「母親がどのタイミングでAに対して加害者となったのか」という事自体の認識にそもそも自分と向こうの認識はズレてはいる。

しかしそれはどうでも良いことだ。

「母親がAに対して八つ当たりをした事が女叩きを始めた理由ではない」と言う点では一致している。

それよりも「仮説」を立ててそれに対して「否定」するにしても「肯定」するにしてもどんな「視点」で考えて結論を出すかだ。

だから向こうが立てた仮説、そしてその仮説への否定

について自分も乗っかって考える事にした。


「母親の八つ当たりでAは女叩きするようになったかもしれない」

と言う仮説に対して向こう側の答えは「母親が鬱であるという事実があるためその線の可能性は低い。」としか答えなかった。

自分はそれに加えて離婚後に遭遇した「Aに対する弟の反応」を考えた。

弟は離婚後に偶然Aに対して遭遇した時「兄ちゃん」と言う言葉を使った。

「仲は悪くはない」と言う事が感じ取れる。

あくまで個人的な感想でしかないものの、自分以外にも「弟の反応」について指摘して「弟には優しい兄だったのかもしれない」という感想は見受けられた。


もしも「母親からAが八つ当たりを受けていた」と言うのなら今度はそのストレスが「より弱い存在」に向かう可能性が高い。

そもそもの仮説の「八つ当たり」も「夫からのモラハラのストレス」が原因なのだから。

だから仮にAが母親から八つ当たりを受けていたら「弟」と遭遇した時にもっとおかしな反応になる可能性が強いがそうではなかったために「弟視点」から見た時も否定。


そしてもう一つ、今度は「もしもAが八つ当たりを受けていたとして、Aはどうなっていたか」と言う「A視点」について考えてみた。

「元々は陰気な性格」「女叩きをしてワルそうに振る舞うようになった」「捨てられてからは陰気な性格に逆戻り」「離婚後の遭遇でママ!と叫んで駆け出すくらいには母親が好き」

自分にはそんなAがモラハラの父親がいる家庭環境にいる中で母親からも八つ当たりを受けたのであればそもそも「女叩き」すら出来ない状態になると思う。


母親から八つ当たりされたらそのストレスはより弱い者に向かい、それは一番身近な弟の可能性が高い。

しかしそれは先述した通りに離婚後の弟の反応からその線は低い。

またその場合、家庭内で行う上、Aも弟も子どもという事から隠し通すには無理があり、母親にはすぐバレる。

バレたらまた先述したルートでどのみち弟の反応からやはりその線は低い。


またもう一つとしてAから弟への八つ当たりを母親が客観視できればそれが母親自身がAにしてきた事である事を理解せざるを得ない。

「Aが弟にしている事は、自分がAにしている事」と言うのを自覚すればまともな母親なら謝罪するだろう。

その場合、Aの人柄から考えると恐らく女叩きはしない。

逆にそこでAが「謝罪してきた母親」に調子にのって女叩きをするような人格だったのであれば離婚後は女叩きをやめるどころか輪をかけて過激な女叩きをすると考えられるため、離婚後はそれをしなかったAを考えるとやはり可能性が低い。


「では八つ当たりのはけ口がAにとっての女叩きなのではないか」という仮説を新たに立てるがそれも結局見捨てられてモラハラの父親と二人暮らしになったのに「女叩きを止め、大人しく陰気な性格に戻った」という事実がAにとって「女叩きはストレスのはけ口ではない」という事になる。


結論としては

「母親からの八つ当たりを受けていたならAはストレスを解消するためにもっと周囲に攻撃的になっていただろうが、離婚して見捨てられて更にストレスを抱え込んだ筈なのにその際は元の陰気な性格に戻ったからAの女叩きは八つ当たりのストレスによるものとは言えない、だから母親からの八つ当たりはなかった。」

と言うのが自分の結論だ。


自分と自分の感想に返信してきた人間の結論は同じ。

けどその結論に至るまでの視点は自分は3つ。

相手は1つ。

相手と自分が共通して考えた「母親がAに八つ当たりした」と言う仮説に対しての反論である「母親は

鬱状態でありそんな事はできない」と言うのは動画内でも「母親は鬱状態だった」と言う「事実」を元に考えている。

つまりは確定している「過去」の話である。


そして自分が考えた「弟の視点」。

これは「もしもAが母親から八つ当たりを受けていたら同じように自分より弱い者に八つ当たりをしていたかもしれない」と言う前提から「離婚後の弟の反応」を見て導きだしたもの。

離婚を境にして分かれてしまった兄弟の「未来」の姿を見て考えた話である。

「母親の目線で弱い立場の兄が八つ当たりを受けていたら更に弱い弟へ八つ当たりが向く可能性が高い」

しかしそれが離婚後の弟の反応を見る限り無かった。


そして「A視点」。

「Aが母親から八つ当たりを受けていたらAはどうなったか」。

そうつまりは「女叩きを始めるきっかけ」となりうるかどうかの「現在」の話となる。


起きてしまった確定している「過去」だけ語るのは簡単だ。

けれどそれでは不確定なのだ。

勿論、「過去」は大事だがそれは結果論であり「レッテル貼り」と変わらない。

だから「未来」を予測し、「現在」の姿をみる。

勿論人間だから「未来予知」や「自分以外の他人の現在の視点」を感じ取るのは不可能であり、観測出来るのは全て「過去」となってしまう。

だけどその過去でも時系列に対して「基準」を設ければ「過去」「現在」「未来」が生まれる。


「正しいかどうか」はこの際関係ない。

創作か、そもそもネットの掲示板に書かれていたものが全て正解なのかどうかも分からない以上、「正解」を求めても仕方のない事だ。

だからどうしても感想は「憶測」になってしまう。


とはいえ、今回は動画の「感想」ではなく、自分の感想に反論してきた向こうさんが立てた「仮説」をどう否定するかだ。

「1つの立場」から見たものと「3つの立場」から見たものでは仮説を否定、肯定するための「公平性」が異なる。

そして「1つの時間軸」と「3つの時間軸」から見た場合では論理の「整合性」が異なる。

勿論、「1つの事柄」と「3つの事柄」を考えるのだから結論のための「スピード」も異なる。

テストや期日が決められているわけではないため「スピード」はさほど重要ではない。

仮説を立てた以上、重要なのは「公平性」と「整合性」。


向こう側の「1つの視点だけ」の結論では結局「線は低い」だけでその理由も「鬱になったから」という理由でしかない。

「モラハラを受けてギリギリ鬱になる前にストレスを解消するために八つ当たりをした」という線もある。

向こう側の主張はあくまで「母親が鬱になった後に八つ当たりをした線」を潰しただけで仮説の「母親からの八つ当たり」そのものは否定しきれていないと思う。

しかし自分の3つの視点、3つの時間軸から考えたそれは「母親の八つ当たり」そのものの仮説を否定した、少なくとも向こうさんの1つの視点、1つの時間軸からのみ考えた結論よりは信憑性は高いと思う。



ちょうど「基準」の話を練っていたから、余計に考えずに語る感想を見て苛ついたのだと思う。


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