基準 その1
エッセイとは関係ないが暑さとコロナでダウンしていた。
それで体調も戻りかけていたからそろそろ書きたい、と活動報告に書いてから10日経過して投稿。
まだ体調が万全ではない、仕事も忙しくなってきた、と言う事もあるが我ながらこの腰の重さは情けなくなるな。
1ヶ月、あるいは2ヶ月くらい前、何かのラジオで聞いた事がある。
「最近の日本の企業は優秀な人材を正社員として確保する。
一方で世界のトップクラスの企業は優れた人柄の人間を正社員として確保する流れになっている」
自分はこれを聞いて思ったのは
「日本は「総合点」で判断し、世界のトップクラスの企業は「基準」で判断している。」
という事だ。
自分の言う「総合点」、「基準」とはどういう事か。
学校のテストの点数にして例えて見る。
国社数理英。
五教科のテスト。
一人は総合点410点。
もう一人は総合点400点。
日本企業は前者を、世界の企業は後者を取る。
ただこれだけでは何故日本は410点を選び、世界の企業は400点を選んだのか分からない。
内訳を見なければならない。
前者の410点の者は国語100点、社会80点、数学50点、理科90点、英語90点。赤点1つ。
後者はオール80点。赤点無し。
日本は「総合点」の高さに魅力を感じ、「赤点一つ」を目をつぶった。
世界のトップクラスの企業は「赤点一つ」にリスクを感じ、「赤点がない者」を採用した。
「人を育てる能力の高い企業」ならば「赤点」も問題なく、採用後の教育で修正すれば良いのだから問題がない。
問題は現代の日本企業、あるいは社会全体が「人を育てる事」について得意だと言い切れない、むしろ苦手であると言ってもいいくらいだと言う事。
上記の例はテストの点数で表したが別の見方、
自分の過去のエッセイで語った「罪悪感」の感度の話で見ていくと日本は「能力的に優秀」だからという理由で「罪悪感に鈍い獣」を招きいれ、世界企業は逆に「いくら優秀でも獣を人間と同じ場所で働かせられない」という考えだ。
日本の採用方針も世界の採用方針も両方メリット、デメリットがある。
日本は教育さえ出来ればその破格の能力が低価格で自社のためだけに使われる。
世界の方は外部の優秀な人材をその都度契約を結ばなくてはならないためコストがかかるがリスクは抑えられる。
「優秀な獣」が獣たる所以は「弱肉強食」が思想の根幹にある事だ。
初期段階なら健全な「競争」の領域だ。
そのため「短期的」に見た場合は獣達が競い合う事で一気にレベルが上がる。
しかし「成功するためなら手段は厭わない」という獣さながらのマインドですぐに正規のルールに則った「競争」から盤外戦術、社内政治、なんでもありの「足の引っ張り合い」に発展する。
具体的に短期的とはどのくらいかと言うと長くて3年前後だろう。
そして「中長期的」に見た場合。
短期が3年とした場合、中長期は10年〜20年単位である。
その「中長期」的に見た時に世界のトップ企業が導き出した「優秀な獣より、多少能力的に劣っているとしても人柄が良い人間を採用する理由」だという。
勿論、大前提として比較に出されているのは世界のトップ企業だから基礎的な能力も高い。
あくまで「何でもありの獣」と比較しているから成果は物足りないかもしれないがそれでも平凡な人間より数段高い能力があるのは言うまでもない。
適切な「競争」によって会社が発展、成長するならともかく、それを通り越して「足の引っ張りあい」まで行って会社を崩壊させながらも当の獣たちは優秀故に機を見て抜け出して誰も責任など取らない。
結果的にそこに残った多くの「普通の者」が貧乏くじを引かされる羽目になる。




