褒めるスタンスと叱るスタンス その2
「褒めちぎる」か「怒鳴りつける」というだけであれば相手の実績など考えずに好き勝手にできる。
お気に入りの美人がトラブルを起こしても「可愛げ」として褒めちぎる事もできるし、気に入らないブスが良い事をしても「調子にのるな」と怒鳴りつける事もできる。
褒めちぎる場合というのは自分の中に「怒り」があってもそれを我慢して「褒める」として出力する必要がある。
逆に怒鳴りつける場合は自分の中の「怒り」をそのまま出力出来る。
美人が良い事をする→褒めちぎる
美人がトラブルを起こす→自分の中の怒りを無視して褒めちぎる
ブスが良い事をする→怒鳴りつける
ブスがトラブルを起こす→二重の怒りで強く怒鳴りつける。
表面的には半分が「褒めちぎる」、半分が「怒鳴りつける」。
だけれど内部を見ると1/4しか純粋に心の底から褒めていない。
対して3/4が「怒り」を抱えている。
「褒めるスタンス」と「叱るスタンス」。
見た目にはどっちも変わらないように思えるが実際には「心の底から褒める事ができる機会」は「怒りに任せて叱る機会」に比べて圧倒的に少ない。
「褒める」というのも「叱る」というのも何か他人が起こした事象に対する「受け身」から発生する行動である。
けれどいくら「褒めるスタンス」で待っていても他人は自分が思う通りの行動をとってくれるわけがない。
そのためにも「褒める機会」を上位の人間が自ら積極的に作って誘導して行かなけれはならない。
「褒めるための機会」を作り、そこに下位の人間を誘導し、「褒める」ための軌道を示す。
そうしなければ他人を自分の思う通りに動くわけがない。
その一方で「叱るスタンス」なら何もしなくても勝手に自動的に「叱る機会」が来る。
けれど「叱るスタンス」で来たもの全てを叱るべきかどうかと判断していく、となると面倒になる。
何故なら「叱る」と言うのは時間的、体力的な「余裕の無さを示しており、「怒り」からくるものだから。
余裕がない、というのはつまり「上と下」に挟まれている、という事だ。
「期日」や「取引相手」という「上位」の存在、あるいは概念と実際に行動する「部下」「子ども」が「下位」の存在。
そこに「上司」である自分はどこにいるのか。
安全圏にいながら第三者の立場でそれぞれとそれぞれの立場でやり取りをする。
「期日」「取引相手」に「媚び」を売り、
「部下」「子ども」に対して「脅し」をかける。
あくまで自分は自分の立場でそれぞれと交流するだけでその交流先の二つの間には直接的に割って入らない。
「部下」や「子ども」、そうした「下位」の存在である時は「上下」の圧力に挟まれて生まれた「怒り」のエネルギーは自分のために「努力」に変えることが出来る人はいる。
多くがその怒りを努力に変える力があるから「人の上」に立つ権利を得るまでの能力に至ったと言える。
けれど実際には「叱るスタンス」の場合は「怒り」を「叱る」にして発散するしか「努力」としての表現の仕方がない。
「怒り」はあくまで「自分のため」のエネルギーに変換する事は出来ても「他人」のエネルギーとして変換はできない。
自分がいくら熱意を持っても他人にやる気が無ければ空回りするだけ。
勿論その逆も然り。
単に「怒鳴りつける」だけでは自身の怒りを発散出来ても相手の行動を萎縮させるだけでそれ以上の効果はない。
「動くな!」と銃を突きつけるような「生命の危険」を知らせる効果しか「怒鳴りつける」にはないのである。
だから次第に自分と相手との温度差を理解して諦めて「もう何もしなくて良い、後は自分が全部やるから」と「叱るスタンス」すら投げ出す。
「褒めるスタンス」も「叱るスタンス」も投げ出して「自分が全て背負うスタンス」ではそれはもう部下を必要としない、勿論部下も育たない。
それはつまり上司である必要がない事でもある。
「怒り」を「相手のため」のエネルギーに向けるには「怒り」から「哀しみ」を向け、相手を哀れまなけれらならない。
哀れむ相手に対して口調は自然と「荒さ」が抜ける。
「叱る」という事は「余裕の無さ」という「怒り」が出発点となるが、結局の所「やってしまったものは仕方ない」。
求められた成果を出さなかった。
トラブルを起こしてしまった。
勿論、「叱る」事は必要だが怒鳴り散らした所でもうもうにもならない。
その上で「まだ生きている」という事実があり、生きているという事は「次の機会」がある。
だからその「次の機会」で同じ失敗をしないように
「起きたものを評価して何が悪かったのか叱る」
理想的なのはさらにそこから「次の機会にむけて何をするべきか優先順位をつけながら叱る」
けれどそれを上司が放棄して怒りに任せて「怒鳴り散らす」とそれは「動くな」「余計な事をするな」と言っているのと同じ。
だから「下位の人間」は反省しようにもできなくなる。
恐らく「同じ失敗」を繰り返すだろう。
仮に部下が優秀で独力で改善して次の機会に成功させ、仮にその時に褒めちぎったとしてもその時にはもう遅い。
その時には「動くな」「余計な事をするな」という事しか伝えなかった上司を信用しなくなる。
そして「同じ失敗を繰り返す部下」により強い怒りを覚えて怒鳴り散らす。
独力で失敗を反省し乗り越えた優秀な部下からはあしらわれるようになり、手元に置いておきたいと願う上司の思いとは逆に外へと優秀な部下は逃れていく。
どれだけ叱ってやっているにも関わらず「何度も同じ失敗をする無能な部下」が残り、
どれだけ手をかけても「自力で改善して成功する優秀な部下」は外に出ていく。
レアリティがNやRばかりが手元に残り、せっかく集めて育てたSSRやURは外に逃げる。
自分の行動が裏目に出続ければ次第に「怒る」という事に向き合わなくなる。
最近は「怒り」を制御するのを「アンガーマネジメント」などと言ったりするが「怒りを制御する事」と「他人に期待せず諦める事」は似ているようで別物だ。




