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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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完璧主義その4

七月も後半になり今更だがとりあえず経口補水液、なければスポーツドリンクを飲め。

この時期に「胸が痛い」と感じている場合、脱水症状でドロドロになった血液を心臓が無理をして全身に巡らせているから。

「喉の渇き」がなくても痛みが有れば身体が無理をしている。

これはエッセイとは無関係の「危機感」の話。

「学生は100点を取れれば褒められるけど、社会人は100点を取るのは当たり前」という。

そんな言葉を吐く人間が最初から100点の社会人だとは思えないし、そして今現在100点以上をとっているとも思えない。

100点に満たない実力でも適当に100点に見せるような体裁を取り、それでも足りないなら相手に「媚びる」。相手が目下の人間なら「脅す」。

そうやって「楽」をする。


時間は人間に等しく与えられ、体力は個人差がある。

そして環境などのスタート地点は体力よりさらに大きな差がある。

だからこそ全ての人間が100点を取り続けるのは無理があり、あまつさえそれ以上を取るのは不可能だ。

「100点をとって当たり前」という事を「最低限」に設定していれば結局「競い合い」は膠着し、「足の引っ張り合い」に変わる。


100点を取り続ける事ができる人間は媚びる事なくそもそも次のステージへ駒を進めなきゃいけい。

また実力がないのに100点に見せかけてきた人間は実力で100点を出さなきゃいけない。

「上位」の者が「事実」を見なくてはならない。

「現実」を「見下ろす」だけでは足りない。

「現実」を「下」から「見上げる」必要がある。

そして「第三者」の視点から「見つめる」必要もある。

そうしない限り、「上」の立場から見ただけでは基準が高くあり続ける。

「何故自分がこんなに努力しているのにコイツらはできないのか」と悪態をつくのは見下ろしているだけだ。

「何故こんなに要望を出しても上の連中は分かってくれないんだ」と愚痴りながら下から上の者に対して睨みつける者と同じなのだ。

それでは他人から与えられた「役職」の上では上下関係ではあっても、「人」としては同レベルでしかない。


「行動あるのみ」で成功者、上位の者となった。

「行動あるのみ」は確かに挑戦者、下位の者としては重要な事だ。

しかし、下から上に上がったらそれだけではダメなのだ。

上のものは「完璧主義」でなくてはならない。

上から、下から、外から見ても綺麗でなくてはならない。

勿論、人間は不完全だから実際には不可能だ。

けれどそれは「行動あるのみ」という言葉にも当てはまる。

あくまで「行動あるのみ」、「行動」だけでどうにかなるのはある程度のレベルまで。

他人からの受け売り、教科書通りの知識である程度には到達出来るがそこから先は「完璧主義」の領域。

「拘り」の領域。


筋トレだって最初は教科書通りに回数をこなし、教科書通りのフォームを組んでやれば何も考えなくても「それなり」にやれば「ある程度」にはなる。

けれどそれ以上のもの、例えば大会に出るには自分の骨格や筋肉を知り、筋トレ種目の動作を知り、自分の感覚を感じながら弱点を潰していかなければならなくなる。

そのためには「痛み」の種類を知らなければならない。

「成長のための心地よい痛み」なのか。

「生命の危険を知らせる痛み」なのか。

それとも「今まで感じていたのに感じなくなった無痛状態」なのか。

成長のための痛みは必要だが生命の危険を知らせる痛みは遠ざける必要がある。

感じなくなった痛みはそれはただ疲労を蓄積させる無駄な状態。

長年筋トレをしていて自分の身体を分かっているつもりでも、その日の体調や年齢などで「痛み」の種類が少しずつ変化してくる。


自分自身の事でも把握しきれないのだ。

他人の事となれば外から見ただけで把握出来なくて当たり前であり、そのためには会話してその情報を正確に知る必要がある。

その時に相手に「媚びさせる」ような事をしては正確な情報が入ってこない。

「本当は痛いけど、我慢しないと」と思えば「生命の危険を知らせる痛み」の情報を把握出来なくなる。

「痛くないけど面倒臭いし、痛いと答えて楽をしよ」となれば「無痛状態」を認識出来なくなる。

何処がどう痛いのか、未熟な者にはそれを表現するための技術が足りない。

上位の者が配慮し、自分の経験に照らし合わせて「◯◯のような痛みか?」「△△のような痛み?」「ココが痛む?それともコッチが痛む?」と伝えながら虱潰しに原因を考える必要がある。

そのために相手に痛みを与えるという「罪悪感」と「後悔」を感じる事が必要。


世間的にはまるで障害かのように語られる完璧主義だが、悪ではない。

そして善でもない。

ただ、「上位」の存在には必要であり、ないのであれば優先順位を高くしなければならない。

一方で「行動」しなければならない「下位」の存在には不要であり、もし完璧に固執するのであれば優先順位を低くするように促す必要がある。


悪なのは未熟な存在に対して「完璧」を求める事。

悪なのは人の上に立つのに人の下にいた頃のように自分の「行動」ばかりを求める事。

完璧を求めれば身動きの幅が制限される。

行動の幅を求めれば完成度が落ちる。

両方を得ようとすれば「部外者」が犠牲になる。


陰陽、男女、そうしたものが両方必要なように「行動あるのみ」と「完璧主義」も両方必要。

そしていずれは老いる。

自ら「行動」するのが困難になる。

未熟な内、子供のうちは獣のように行動する。

成熟していけば人間としての完成度を求める。

そして老いるに従い、完璧に近づく。

最後は「完全」となって死ぬ。

理想的、生き方。

理想的、死に方。


完璧主義では生きるのは不自由だ。それは自分が言わなくても誰しも感じている筈だ。

それは「完全」に近いからだ。

つまりそこから先にあるのは死。

肉体的には自由がない一方で精神は自由自在。

そのギャップに不自由を感じるだけで、肉体と精神の自由度が逆転していたとしてもそれは自堕落になる。

肉体だけが自由でも、精神だけが自由でも苦痛。

だけど肉体と精神が同程度の自由度、あるいは同程度の不自由度のバランスが取れている完璧主義。

その完璧主義のバランスの取れた自由は「余裕」を生み、バランスの取れた不自由は「自制」を生む。


「行動あるのみ」はつまり「若さ」だ。

「若さ」だけの考え方では死んでも死にきれない。

そんな人間が悔いなく死ぬには「絶頂」の刹那、まだ若い内、体が思い通りに動く内に一つの事に集中している内に死ぬしかない。

けどそんな人間に限って長生きしたがるし、欲の数も膨大だ。

何か一つを極めたい、という思いはない。若いから。

ただやみくもに色んな事に手を出したい。若いから。

一つの事で「達人」として後に続く者に何かを残すよりも、「英雄」として多方面から賞賛されたい。

だけど「英雄」は限られている。

才能の壁、環境の壁、あるいは運。

努力で超えられない壁があるから、という問題がないわけではないが本質的には「努力」というもの自体が「怒り」の力だからだ。

「負けたくない」という誰かと比較するものがエネルギーとなっている。

だから「80点」をとってしまえば満足してしまう。

大多数の人間を見下ろせる。

だが一番ではない。

しかしそこから先は「達人」の、あるいは「職人」の領域。

「好きでやってる連中」、「楽しんでいる連中」という頭のおかしなオタク的な連中の領域。


だけどそうした連中が「上位」としての「教訓」を持っている。

才能に乏しく、60点に到達するのもやっとの人間が「下位」としての「教訓」を得たように80点から先の「上位」の者にしか得る事の出来ない「教訓」、あるいは「境地」がある。

「他人と比較しない、自分との戦い」

よく見かける台詞、考え方だが60点すら危うい者はこの考え方が出来なければ挫けてしまう。

周りの皆は苦もなく60点を飛び越えている中で自分だけ這いつくばってやっとの思いで乗り越えるのは惨めだから。

そして80点から先を目指す者はそもそも比較対象がガクっと減る。

比較する相手がいない以上、この考え方ができなければ100点を目指す事はできない。


60点ぐらいならつまづく事もなく、他人と比較しながら80点を目指す事の出来る「普通」の人間。

多数の人間が「他人と比較しない、自分との戦い」という考えを知っていて、その考えを理解しているつもりでも現実として「見栄え」を気にしたり、「媚び」を売ったり、とにかく他人を気にする。

「普通」や「常識」、「正論」というものを重視している。

それが一概に悪い事というわけではないが結局「他人と比較しない、自分との戦い」という考えを理解しているようで理解してしていない。

他人と比較するから自分の弱みや強みと向き合わないから「教訓」なんて生まれる事もない。

そうした「教訓」を持たない人間が「上」に立ってきた。

「能力」や「実績」、確かに分かりやすいがそうした物、数値のみで人の上に立つと既に可視化されている実績以外の「経験」の言語化、「目標」の言語化、「行動」の言語化が苦手になる。

そして「素直な奴が一番伸びる」と主張する。

「伸びた部下」は「自分の指導のおかげ」。

「伸びない部下」の責任は「素直に話を聞かない部下が悪い」。


「上司」になって人の上に立ってもトップではないから「部下」でもある。

確かにそれはそうだ。

例え「教師」になっても「校長」の下にいる。

「親」になって子供を守る立場になっても一般人で警察や自衛隊、あるいはさまざまな制度や規則に守られている。

常に誰かの「部下」である。

「守られている弱者」である。

けど誰かの「上司」になった。

「守る対象」が生まれ、「守る責任」が生まれた。

「育てる理由」と「育てる責任」がある。

そのために今より自分が「強くなる必要」がある。

警察や自衛隊、国や自治体の制度は融通が利かないがその融通の利かなさがあるからこそ、日本は安全に暮らしていける。

上に立つ者だからこそ人を支えるために「完璧主義」が必要になる。




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