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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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叱ると褒める その3

「怒鳴り散らす」と言う事は緊急性が高いため、生命の危機につながるものだから告げるもの。

それはつまり「自分の言ったレールの上からはみ出るな」と言外に告げている。

レールの上から出れば「危険」だから「怒鳴る」のだ。

レールから外れれば助ける事ができないから「怒鳴る」のだ。


つまりは「助ける気」などないのだ。

「褒める」という事をしないから「正解」を伝える事がない。

「自由」という名目で教育を「放棄」する。

だから何をしていいのか、何をするべきなのか分からない。

それが危険な事なのかも分からない。

「警告」がない、「忠告」がない。

「面倒」だから。

ただ「ここから出るな」という事だけを伝えるために「怒鳴り散らす」。

子どもでも、あるいは人の言葉の通じない獣でも何度も「怒鳴り散らす」事で本能的に察する。

「ここから出たら危ない」という事が分かる。


「褒める教育」「叱る教育」どちらが良いか。

「どちらが良いか」ではない。

褒めるのも叱るのも教育するための手段でしかない。

褒めるか叱るかの2択には正解はない。

上下関係を上の者が認識して下の者の行動を「面倒」と思わずに受け入れて、躾をしたかどうか。


農家には「剪定」という作業がある。

果樹の枝を「切る」か「切らない」か。

それ自体に「正解」はない。

「切らない理由」は実をつけさせるためだ。

木を成長させるためでもある。

同じように「切る理由」がある。だから「切る」。

他の枝と交差して作業効率が悪くなったり、農薬散布のムラが出来たりするから切る。

「切りたい」けれど「切れない」時もある。

その時は紐を使って誘引したりする。

その果樹を見て理由を見つけて適切な処置をする。


農家じゃなくても、どんな仕事でも「対処すべき問題」があり、その「対処法」はある筈だ。

機械が相手なら「マニュアル」を見れば解決するかもしれないが「対人」の場合はそう上手くはいかない。

「相手次第」で自分が選択しなければならない。

「自分の説明で出来る奴がいるんだから出来ない奴がいても自分に落ち度はない」

その「出来ない奴」から質問はなかったか?

ないわけがない。

現実として「できてない」のだから。

「質問させてくれなかった」

「質問できる空気じゃなかった」

「そのくらい自分で考えろと言われた」

多分問題は様々出てくる。


ではその教育を「仕事」として明確に報酬が有ればやったのか?

「金」が絡む事で意識は変わっても多分出来ないと思う。

「褒めちぎる」か「怒鳴り散らす」の2択しかない人間は恐らく「自分の仕事」としての「結果」を出すために「正解」を探す。

空回りして意味もなく褒めちぎり、意味もなく怒鳴り散らす。

相手の行動を「支配」しようとする。


「報酬」に支配されている人間だからどう相手を支配するか、という事に囚われる。

報酬に支配されている自分と同じように報酬で釣る、あるいは脅す。

短期的にはそれで動くかもしれないが長期的には失敗する。

何故なら報酬に支配されている人間はケチだからだ。

教育は1回、2回で終わらない。

その都度報酬を支払って行動を支配していたら自分が破産する。

報酬があってもなくても、あるいは少なくても多くても教育を成功させる奴は成功させるし、失敗する奴は失敗する。

相手を見る。相手の話を聞く。相手が出力した物を見る。

そして褒めるため、あるいは叱るための「理由」を探し、その褒め方、叱り方の「手段」を選ぶ。

最低限、3×3の9択の中からすべき事を選ぶ。


「褒めちぎるか怒鳴り散らすか」の2択の「怒鳴りつける」先にある「無視」は「無関心」を表現したものだ。

だが「褒める3種」「叱る3種」、そして「褒めない、叱らない3種」。


この「褒めない、叱らない3種」は「静観する」と言う能力である。

そして「静観」は「見守る」を表現したもの。

9択の選択肢の内、「見守る」事が「褒めると叱る」の「正解」。

「下」の人間の行動に対して「褒める理由」も「叱る理由」もない。

優先順位をつける必要がない。

自分が事実を確認せずとも相手が既にその領域に達している。

当然ながら今更褒めちぎって自信をつけさせる事も、怒鳴りつけて危険性を示す必要もない。

過不足なく「次」へ向かう様子を「静観」出来る状態こそ、「上下関係」の正解であり、理想系。

「褒める」と「叱る」の終着点。

そしてまた「次」の「褒める」と「叱る」が始まる。

褒めて、叱って、静観出来るようになれば相手だって自信もついている。

そして「褒められた経験」があるから、静観され続ける現状について「また褒められたい」と物足りなさを感じる。


そうやって「褒められたい」と言う原動力によって「次」へと進み続けた結果、「褒めてもらいたい相手」が変化する。

「親」から「上司」、「性的に気になる相手」、「世間」。

老いて立場的に誰からも褒められなくなれば最後は「自分自身」から。

そうやって「褒められ足りない」事を自覚して「後悔」して今度は誰かの「上」に立つ。

他人を褒め、叱り、静観し、他人が成長する様に喜びを見出す。


死ぬ最後の時は一人きり。

だからこそ生きてきた中で親や上司、様々な人から褒められ、叱られてきた経験、自信をつけてきた事が多い人こそ、他人を褒めて叱ると言う事をしなければ「自分自身」を褒めてやる事は出来ない。




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