叱ると褒める その1
ここのところ一話が長くなりがちなので分割してみた。
叱ると褒める。
叱るは緊急性の高い場合、褒めるは平常時に行う。
緊急性が高いというのは3つ上げるとするなら「時間」がない場合や「命」に関わる場合、あとは「第三者」に迷惑をかけた場合だろう。
そして褒めるにはこれまで語ったように3種類あるように叱るにも3種類ある。
というよりも叱ると褒めるの違いが「緊急性の高さ」によるものなので本質は変わらず「人を育てる」という事にある。
なので3種の褒めるに対応する形で3種の叱るが存在する事になる。
3種の褒めるは
・優先順位を決めてやる「褒める」
・あるがままを評価する「褒める」
・とりあえず自信をつけさせる「褒めちぎる」
の3種。
緊急性の違いなので「叱る」は
・優先順位を決め、すぐに行動させる「警告」的な「叱る」
・あるがままを評価した上でそれでは足りない、という事を認識させる「忠告」的な「叱る」。
・とにかく考えずに行動を急かす「怒鳴る」という「叱る」
「褒める」というものを「甘やかす」という認識の人間、つまり「褒めちぎる」しか使えない人間は「叱る」という事についての認識も「怒鳴る」という物しか使えない。
「ありのままを評価する」という褒め方が出来る人間は同じように「忠告」ができる。
「優先順位をつけてやる」という褒め方が出来る人間は「警告」もできる。
「褒める」のエッセイでも語った通り全部使い分けるのが理想だ。
一見、無意味に見えそうな感情的に声を荒げて「怒鳴る」という事も「危機的状況」なら必要な叱り方である。
ただそれでも「緊急性」がある上で使うべきなのが「叱る」である。
にも関わらず、自分のように「子供の頃から褒められた経験はなく、叱られてばかりだった」という人間はそれなりに多くいる。
社会に出てしまえば「褒められたかどうか」などはそんな事は言い訳にならないが問題は「子どもの頃から」と言う部分だ。
「褒める理由」なんてのはいくらでも見つける事ができる。
明確に学校のテストや部活、そうした分かりやすい指標があるのだから。
にも関わらず、褒める事が出来ない親がいる。
考えられる理由は3つ。
・優先順位をつけてやる能力がない。
・ありのままを受け入れられない。
・時間がない。
こうした理由が「上位」の者にある。
「配慮」についてのエッセイで紹介したSNSに流れてきたエッセイ漫画の生徒と講師なやり取りにおいても自分なりに「優先順位をつけさせる褒め方」を述べた。
漫画のプロ目線で見れば生徒のストーリーも画力も足りない、そんなのは分かっている。
しかしその上で漫画家として重要なのは「配慮」であり、それがこの生徒には足りない、というのであれば「配慮」の習得に集中させるために「ストーリー」や「画力」を褒めてソレらの向上に費やす時間や労力を「配慮」の習得に向けさせる。
だから「優先順位」をつけてやる能力があるならば能力が劣る子程「褒める」事が増える。
アレも足りない、コレも足りない、だからその都度褒めて優先順位を決めて上げなければならないのだから。
また、「ありのまま」を受け入れられない、というのも「伸びる奴」のエッセイの通りだ。
「結局、素直に話を聞く奴が一番伸びる」という事を盾にして「出来なかった奴」は「素直に聞かなかった」、あるいは「努力不足」であると決めつける。
とはいえ「言った通りやれば出来る」という言葉な通り、言われた通りにやって出来る奴は出来る。
だが出来ない奴は出来ない。
才能の差、熱量の差、かける事のできる時間の差。
どれだけ素直に聞いても個人差がある以上、結果にも差が生まれる。
「素直さ」を命令した相手に求めるなら、命令した自分自身も「説明不足」や「信頼関係の構築が不十分」などを認める必要がある。
そして「時間」がない。
つまるところ、「褒めない」というのはコレに集約されるところもあるが結局は「相手に興味がない」から時間もかけたくない。
だから「褒めない」。
だからそんな相手が時間をかけさせるから「怒鳴る」。
時間も手間もかけたくない。
相手とやり取りしたくない。
つまり「情け」をかけたくない。
「褒める」ための時間はある。緊急性など本来ならない。
選択肢は3種。
けど優先順位を決めてやるのも面倒くさい。
事実を確認するのも面倒くさい。
褒めちぎる、というのは甘やかす事になる。
自分が子どもの頃はこんな事では褒められなかった、という記憶が蘇る。
だから「褒めない」。
代わりに「怒鳴る」。
そこからいずれ「無視する」というのが「時間をかけない」という意味での到達点ではある。




