教訓とノウハウのニュアンスの違い。
前話とかで世代を区切ったけど「若くても教訓が得られる。アンタの言う夏や秋、あるいは春の世代でも努力すれば得られる!」
と怒り心頭な人もいるかもしれん。
もっとも、そんな人はこんな夏だの冬だの言ってる面倒臭いエッセイ見てないと思うが。
結論としては若くても得られるよ、たしかに。
だって自分の思う「教訓」っていうのは経験から考えて答えを出してそれを伝えれば良いだけの話なんだから。別におかしな話じゃない。
実際居るよ。自分も最近よく見る。
だけど若者の場合、それは「賢者」というよりも「敗者」だった人に多い気がするね。
むしろ凡人だからこそ、って感じ。
しかし「経験」から変わった物としてそこには「教訓」と「ノウハウ」という個人的に二種類の異なるニュアンスの産物がある。
簡単に言えば「取引」するかしないか。
「有償か無償か」というもの。
大体伝えたいことは伝わると思うけど自分の中で「教訓」は「無償」。
「ノウハウ」 は「有償」で伝わる。
ここはあくまで個人的なイメージの違いだから「ノウハウ」より適した言葉や、そもそもノウハウの正確な意味が違っていたら申し訳ない。
この有償、無償は単に金額だけの話ではない。
「教訓とは教えた相手に対価を求めない。」コレが一番表現としては適切か。
「経験から得た学び」はその人にとって「武器」になる。
学校で、仕事で、社会で様々な困難が降りかかる。
その人がそんな道を渡り歩くための武器だ。
だから武器は「財産」になる。
そんな「財産」をただで他人に教えるのは勿体無い。
だから「売る」。
例えば「情報商材」だったり、何らかの見返りとして伝えたり。
「ノウハウを買う」あるいは「ノウハウを売る」 ってのを耳にするからそういう行為は「教訓」と分けている。
そしてそんな価値あるものをタダで上げる行為が「教訓」となる。
そんな馬鹿な行為をする奴がいるのか、という答えが「老人」。
正確に言えば「その場、その世代を引退した人」という事。
何故そんな事が出来るのか、といえば「次のステージ」に行ったから。
「 自分にはもはやそこまで有益な物ではないがそれを欲している人がいるなら教えてあげよう」。
そんな感覚かね。
まぁ、一応この話はコレで終わりではあるけど自分が最近良く見る、といった若い世代の教訓の持ち主とは誰か、という話だけどVtuberの方々。
無償でそんな事してる若い世代はそれくらいかな、と。
勿論、個人レベルで見ていけば色んな分野にそんな人達はいる。
ただ普通の人とVtuberには決定的な「違い」がある。
それは「顔を隠している」という事。
基本的に教訓に繋がる「経験」とは「苦労話」だったり、「失敗」だったりする。
その出来事自体は言い換えれば「恥」だ。
顔を隠す事でその恥を他人事のようにして話す事自体が楽になる。
そして過去のそんな経験とそれを学びに変えた事。
それを伝えることの出来る配信。
中々この行為は素顔や対面では難しいんじゃないか、若いなら。
コレがVtuberが「教訓を持った若い世代」として自分が語る理由。
個人レベルで見ていくと、どの分野、組織にもそういうお人好しはいるんだけど、あくまで「その枠の中の」の先輩後輩、上司部下という関係で教訓が伝わる。
外部の人間とやり取りすればどうしても対価を求める。
何より「タダより怖いものはない」って言うしね。
受け取る側としても外からの無料の情報は怖いよ。
「Vtuberの配信は仕事だ」 という反論が来そうだが、そう思うならそう思ってくださいよ、という。
慈善事業とは自分も思ってないが、雑談配信やら何やら全てが全て計算、金目的って正直キツ過ぎるでしょ。
顔を隠せば恥ずかしい事が出来る。
教訓を伝えたり、誰にも話せない悩みを打ち明けたり。
後は馬鹿な事もね。
馬鹿な事は…法に触れない、誰にも迷惑かけない範囲で程々にね。