賢者、勝者、敗者
何でも3分割の考え方で考えるようになってからツイッターとかで何度か弱者男性とか「弱者」というキーワードがトレンド入っているのを確認した。
一度3分割で考えるとこの手の強弱で分けられた2分割はちょっと待てよ、と言いたくなる。
まぁ「この世には2種類の人間がいる」みたいなのはインパクト強い台詞だし、言ってみたいとは思うけどね。
そして「この世には3種類の人間がいる」という事を前提でどのようにわけるべきか、と考える。
それが賢者と勝者と敗者。
賢者の部分は強弱で分けられた強者弱者と区別するために変えただけだから別にそこは強者のままでもいいし、逆に馬鹿とか。傾奇者でも何でもいいや。
3分割した場合、凄く単純に言えば一つの問題に対して2/3の人間が成功する。
それが賢者と勝者。失敗するのが敗者。
過半数、というか6割以上、四捨五入すれば7割成功してるんだから失敗した敗者側に問題があるように思える。
だから敗者側が意見や申し立てしたところで「努力不足」とか「自己責任」とか責めちゃうのが勝者。
勿論そういう場合もある、と敗者を掘り下げると細かくなるからとりあえずは置いておく。
この勝者、強弱の二分割の考えで行けば強者側になる。
問題に対して成功や解決なりしてるんだから。
けど一方でよくこんな話もある。「同じステージの者同士でしか争いは起こらない」
だから敗者に対して努力不足とか自己責任とかを振りかざした時点で二分割では弱者になる。
一方で賢者と敗者だけど分かりやすく強弱に分けられる。
賢者は勿論だけど敗者側は自分が弱者だと自覚があるから勘違いしない。
問題を解く必要があって賢者と勝者は一発で正解、敗者は不正解。
なら自分がおかしいと自覚していたならやり方が間違えていたと今度は別のアプローチを考える。
仮に10通りのアプローチを考えで最後に解決した。
勝者は自分が1回で出来た事に10回もかけてやっと正解した敗者を笑う。
正解に辿り着くまでの9回は無駄、と考えるのが勝者。
けど実際は違う。
問題一つを一発で解決したというだけの薄い成功体験を積んたのが勝者。
問題一つから10通りのアプローチ方法を身に着けたのが敗者。
賢者ってのは一発で解決した後も他のアプローチ方法、解決方法は無いか、あるいはこの問題からさらに発展する問題はないか、と独自に考える事ができる。
日本人の、と主語をデカくすると問題あるけど従来の教育方法は勝者を作る事。
一つの問題に対して解法は一つあればいい、それ以外は考えるだけ無駄。
何故無駄なのか。金がない、時間がない、労力がない。
だから勝者の人々はよく「金さえあればなんとかなる
」「時間さえくれれば仕上げます」「人手があれば期日までに…」と「○○さえあれば」を口癖のように言う。
それは一つあれば自分は有能なので、或いはプロなのでやります、とやってきた結果先細りで金も時間も体力もない。
自分は強弱の二分割で考えて生きていた時は強者のつもりだった。
今思えば単にその時その時でたまたま成功していただけの勝者でしかなくて、結局気づけば弱者に転落していた。
けれ勝者だと思っていたから間違いに気づけずにいたよね。
今は敗者だと受け入れている。
諦めただけ、と言われたら確かにそうかもしれないけど、闇雲にもがくくらいなら次の機会のために体力とか温存するよ。