表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
何か書きたい。  作者: 冬の老人
297/354

努力の根源

以前エッセイで紹介した「危機感」でバズった彼の新しい動画が流れてきた。

以前のバズった動画ではひたすらにモテない男に対して煽り、危機感持てよ、と言っているような内容だった。

今回流れてきた動画は世間的にどのくらいバズってるのかは知らないが以前のバズった動画で彼の代名詞ともなった「危機感」が何故必要なのか、と言う説明動画だった。

彼曰く、全ての努力や行動、挑戦の根源にあるのは危機感であり、危機感を持たないからモテない男は努力や行動を起こさない、との事。


以前のエッセイでも散々語ったが彼の主張は「正論」ではあるけど結局中身が薄い。誰でも言える。

あくまで価値があったのは主張の中身ではなく、ネットチームとなった一連の言葉の組み立て方。

◯◯構文と言われる類の価値である。

彼の情報商材を買ったり指導なんかを受けたら彼だけが到達した「教訓」を知り得る事ができるのかもしれないが、結論が「行動の根源は危機感」と言う結論なら個人的には聴く価値は無いと判断している。


今回の動画は以前の危機感という言葉を使った◯◯構文という目新しさもなく、面白みもなかった。

「行動の根源は危機感」という話も何かピンとこない話でつまらない。

以前と同じでコメント欄では「正論」として肯定している者もいたので「ビジネス」としては成功している判定なのだろう、という感想しかないのが本音だ。

その他にも細かい所でツッコミたい部分はあるがとりあえず置いておこう。


基本的に以前のエッセイで「反論」した挙句に「同情」したくらいには自分は彼の主張は認めていない。

そもそも正論を盾にして彼自身の主張がないのだから反論にもならない罵倒になる。

今回のエッセイの下書きで今回流れてきた動画に反論してみたが結局それは以前と変わらなかったために止めた。


彼の主張についてアレコレと反論しても仕方ないのではあるが再度確認。

「行動」や「挑戦」、あるいは「努力」をするための「根源」となる物は何か。

それが「危機感」という話が彼の主張だ。

一見すると「確かに」と思うかもしれない。

実際、動画のコメントにはそんな感想が多かった。


では実際に「何」に対して「危機感」を持ち、「行動」を起こすのか。

彼の主張ではこの「何」の部分が空白なのだ。

彼の言う通り、「モテない事」?

「ダサい事」?「スポーツ経験」?

何を入れても同じように当てはまる。

何故ならそこに入る言葉の本質は「命」だから。


「モテない事」が「死」に繋がるのであれば「モテない事」に「危機感」を覚えるようになる。

「ダサい事」が「死」に繋がるなら「ダサい事」が「危機感」となる。

「スポーツ経験の有無」が「死」に繋がるなら「スポーツ経験がない事」が「危機感」となる。


「危機感」と言うものは確かに行動や努力などの「動機」の一つにはなる。

しかし「危機感」が動機という事はその「根源」にあるのは「生命の危機」になる。

ではこの日本において「生命の危機」という事を実際に感じる瞬間はどのくらいあるのか。

世界でもトップクラスの生活水準。

何かと社会への不満を垂らせば即座に「日本に生まれた時点で恵まれている」とくらいには安全で平和な国。

勿論それでも交通事故は発生するし、治安の悪い場所もある。

だが「危機感」を持って行動すると交通事故は未然に防ごうとするから交通ルールを守る。

治安の悪い場所には極力近づかない。

「普通」に出てくる発想であり、その「普通」に生きる事こそが「危機感」由来の行動だ。


「危機感」というものを「爆発的な力を発揮する起爆剤」のように危機感の彼は語っている。

少なくともSNSに流れてくるショート動画の内容だけ見ればそのような印象がある。

しかし実際には「危機感」を動機にすれば「消極的」になる。

日本のような安全な国ではなく、もっと「生命の危険」に溢れた国の人間はどうか。


「飢え」に苦しむ途上国の人間は「危機感」から「行動」をしている人間はどの程度いる?

日本人より危機感を感じている筈でその危機感が行動的にさせるのであればとっくの昔に途上国などなくなっている筈だ。

「戦争」の脅威に巻き込まれている人間はどんな「行動」をとっている?

攻撃が止むのを待ち、敵兵にみつからないように過ぎ去るのを息を潜めて待つ。

危機感から抵抗するという答えに辿り着くには「生き残る」という目的のために様々な道が絶たれて「やらなければやられる」という段階でなりふり構わなくなってようやく出てくる「最後の手段」である。


こうした「飢え」や「戦争」に近い事を日本の中で起きている事に置き換えるとそれは「ネグレクト」や「イジメ」である。

そうした被害者の多くは「飢え」や「戦争」に巻き込まれた者たちと同じように行動が「消極的」になる。

抵抗できるのは「心のゆとり」があるからだ。

その「心のゆとり」というのは金銭的な余裕、肉体や技能の強さの余裕、時間の余裕からくる。

つまりそれら「セーフティ」が存在している場合。

セーフティ無しではもう「最後の手段」となる。

しかし、その「最後の手段」さえ失敗すれば精神的に「死」に近い状態になる。

そしてそうなると今度は肉体的にも完全に「死」を意識してしまい、常に死の選択肢が頭の中によぎるようになる。


「危機感が努力の根源である」と主張する彼の説明の中で彼は「挫折したダサい男の多くは堕ちるところまで堕ちる」としている。

そして「共感」を得ようとして努力せず、同じレベルの男達と群れる。

そんな事をすれば立ち上がるのが遅れるだけで何の意味もない。

早く改善しろ。そのためのやり方は自分がおしえてやる。


こうした考え方を見た時に本当に「悪い意味で女っぽいんだな」と感じた。

「何故堕ちるところまで堕ちるのか」という「理由」を理解していない。あるいは理解した上で言っているならなおのことタチが悪い。

挫折して立ち直るには「死の直前」まで行く必要がある。

それを「堕ちるところまで堕ちる」と形容しているがそれが「男」にとって何を意味するのか。

それは「自分にとって大切な事」を見つけるのが「堕ちる理由」だ。

選択肢があるから「大切な事」を見失う。

物に溢れかえった日本だから特にそうだ。

そして「危機感」を持っているからこそ様々な選択肢を得るために「普通」に生きてきたからこそ「これだけは譲れない」という「拘り」を心の奥に封じ込める。


「美味しいものを食べたい」「おしゃれな服が欲しい」「モテたい」「遊びに行きたい」

すべて生きるためには不必要な欲求だ。

しかし見た「喜び」を得る為には必要不可欠な欲求でもある。

「拘り」を見失うのは「普通」という「社会の基準」、あるいは「他人の基準」が干渉してくるからだ。

「普通」に生きなければ「命に関わる」。

だから「拘り」を満たしつつ、「普通」の基準も満たす。

その「普通」の中に「拘り」が入っていれば楽だ。

「普通」に生きる事で「拘り」も満たせる。

だが「普通」の外に「拘り」が有れば「普通」に生きるのとは別に「拘り」を満たす必要がある。

それが「趣味」だったり「性癖」だったりする。


「死の直前」まで行く事で「普通」という選択肢を無くしていき、それでもなお手放せない「拘り」が自然に見えてくる。

それは他人からとやかく言われて気づくものではない。

「お前ダサいよ」と言われようが好きなのは好きなのだ。

そして「拘り」が有れば大抵の事は目を瞑る事が出来る。

自分が生きる為の「優先順位」が出来る。


何故「危機感の彼」をこのタイミングでまた取り上げたかといえば「優先順位」のためには「喜び」が必要だからだ。

つまり「褒める事」と同じ。

自分の幸せのために導いてくれる「上の存在」から「優先順位」を指示されるという経験が「女」と比べた時に「男」は少ない。


「貴方のために言っているの」と母親から価値観を押し付けられる。

「一人で考えろ」と父親から突き放される。

それでも「報酬」があればまだマシだ。

「頑張ったわね」と母親から褒美を与えられたら頑張れる。

父親が言う通り「一人」で自由気ままに考える事ができるのなら自分なりにやってみる。

だけど実際にはそれもままならない。

頑張っても母親からは褒美を与えられないまま「次」が指示される。

一人で自分なりに考えて行動すれば父親から「面倒をかけさせるな」と時間や行動を制限される。


その「碌に報酬を与えない親」と同じ立場に「危機感の彼」はなろうとしている。

けどそれが分かったところで彼を責めきれない。

「大人」だから。

「自己責任」で彼の主張を受け入れたから。

「正論」だから。

彼に反論する、と言うのは誰でも言える「正論」に反論すると言う事。

即ち、「多数派」に向けて「少数派」が戦いを挑む事に他ならない。

そして恐らく彼はそれに取り合わない。

メリットがない。

ブロックして無視して終わり。

仮に相手をしても「見せしめ」として「論破」で終わり。


「拘り」とは他人に理解されにくい。

「生きるか死ぬか」と言う「危機感」を基準を持ち出して「拘り」を否定する「女っぽい」彼には伝わらない。

「モテるかどうか」「ダサいかどうか」「スポーツ経験の有無」といった「命の危機」とはかけ離れたものに「危機感」と言う言葉を使っている。

「雑」な認識。

ならデザイナーやスポーツ選手、あるいは自衛隊にでもならば良い。

でも彼はネットで活動している。

どこに「命の危機」がある?

結局、彼を動かしているのも「危機感」などではなく、「自分の喜び」のため。

「自分の拘り」のためでしかない。

彼のやっている事と話す言葉。

かけ離れていて「女」のようで信じるのが難しい。


「駆け引き」に付き合ってられるほど暇ではない。

「共感」して欲しいなら素直にそう言えば良い。

「他人の拘り」を否定しておいて「自分の拘り」は肯定されたいなんて虫が良すぎる。

自分で決めた「優先順位」。

その自分の優先順位を優先かせるために他人を犠牲にする。

そうするしか出来ないならその「責任」をとって「一人」になれ。

「孤高」であれ。

でもそれが無理だから「モテない男」「ダサい男」に焦点を絞って「俺達は仲間だ」「俺が教えてやる」と言ってくる。

まるで怪しい宗教勧誘だ。


また、悪口になってしまう。

同情している。同族嫌悪だ。

お互いがお互いに譲れぬ「拘り」を持つからこそ「理解」は一生できないが「共感」してしまう。

ただ一ついえる事は「努力の根源」は「喜び」であり、「喜び」とは人それぞれの「拘り」から生まれる。

彼の拘りに付き合えば彼の拘りに寄り添う事は出来ても自分の拘りは分からないまま。

「拘り」が分からない以上、仲間を作るのは当然だ。

「喜びを分かち合えば倍になり、悲しみを分かち合えば半減する」

正確な倍率はともかく、分かち合う事で「倍」になる喜びと「半減」する悲しみ。

一人でいれば倍率が変わらないから気づくのが時間がかかる。


だから「群れ」ても良い。

「譲れない拘り」は自分のなかの「喜び」と「悲しみ」が知らせてくれるもの。

「これだけは絶対やりたい」

「これだけは絶対やりたくない」

だから見失っている「拘り」を知るために「群れ」になる。

それが「群れ」になる「理由」。

理由があれば「群れ」が必要なくなった時に後腐れなく離れる事ができる。

理由がないから意味もなく「群れ」で有り続ける。

その理由があるなら「 危機感の彼」の作り上げたコミュニティに入るのも一つの手だ。

そして同時にそこから抜けるのも理由一つあれば良い。


「褒められる経験の少なかった男」だからこそ、自分だけが満たす事のできる「拘り」が必要であり、他人を受け入れ、あるいは拒絶するために伝える事の出来る「理由」が必要だ。

拘りが「根」となり、理由が「幹」となる。

そこから行動や挑戦、努力といった「枝」が伸び、成果として「実」が結ぶ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ