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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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褒め方を考える。その2

「褒めない文化」

それが日本の、特に田舎の文化。

そこから「褒めなくても良いもの」として「高性能な道具」が生まれる。

実際に伝統工芸品だとかその土地の風土にあった独自の物、あるいはシステムなどを見れば科学などが発展しなくてもいかに「高性能な道具」を作り上げてきたか分かる。

そして、その「高性能な道具」もその時代背景を考えると力が強い人間、地主だとかあるいは武家が作ったわけではない。

力の弱い者達、弱者がその弱い力でも賄えるように創意工夫のもと作り上げた作品。


現代に置き換えるなら「陽キャラ」に虐げられた「陰キャラ」が作り上げたものが「高性能な道具」となってその土地に根付いた。

現代でもパソコン、ネットワークは一般人から馬鹿にされたオタク達、弱者が今の時代の基盤を作った。

といえば「最初は軍事活動のためだ」という反論もあるだろうが、それだって物資や武力に劣る者が勝る者を相手にいかにして限られた物資や武力を有効に使う方法を模索していく中で敵や味方の正確な「情報」が重要だと気づいた軍事力において相対的な「弱者」の産んだものだ。

あくまで「弱者」が自分達のために生み出したものであり、「強者」はその基盤、基準の上に有る個体差でしかない。


日本における長い歴史の「伝統」「文化」の中で生み出された「方言」が「褒めない」ものである一方、一過性の「流行り言葉」は「褒める」類のものか多い。

例えばだが食レポのコメント。

あるタレントが「◯◯の宝石箱や〜」という表現をして、それが一時期流行った。

流石に今となっては古臭いのだが、そもそも「古臭い」と感じられるほどに様々な人が真似をし、アレンジを加えられたりしてしゃぶり尽くされた言葉だからこそ、そんなふうに感じるのだ。


軽くだが考察しよう。

何故あの言葉が流行ったのか。

結局アレも「弱者」であり、「陰」の性質が強い。

まず、そもそもの台詞を発したタレント。

元々は細身でイケメンの俳優だか歌手だか知らないが食レポであの台詞で爆発的に人気を得るまで、今でいうバズるまで自分は知らない芸能人だった。

芸能人という綺羅びやかな世界にいながらまるで聞いたことのない存在。

そしてかつての細身でイケメンという風貌とはかけ離れた肥満体型。

お世辞にも「女にモテる」見た目とはいえない。


芸能人になるくらいのメンタルだ。

もともと自分にそれなりの自信があり「強者」と「陽キャラ」のメンタルだったのだろう。

だが現実には細身でイケメンなんて芸能人には彼のレベルはゴロゴロいて、モブキャラに埋もれていく。

様々な葛藤、怒りがあっただろう。

不貞腐れる事もあっただろう。

彼の根源は「陽キャラ」。

しかし打ち砕かれて「陰」に染まる。

そしてスポットライトの当たらない場所を見つめる。


「◯◯の宝石箱や〜」と言うのはまさに陰陽を表現している。

単に「価値がある」とか「綺麗である」と言うのなら「宝石箱」意外の表現がある。

例えば「宝石」そのもので例える。

「ダイヤモンド」でも「ルビー」でも良いのである。

それ以外の表現でも良いがなぜ「宝石」ではなく「宝石箱」なのか。

それが示す意味を考える。

「宝石箱」と言うのはそれ自体が芸術品として価値がある「陽」の価値があり、蓋を開ければさらにその中には宝石箱以上に美しく綺麗な宝石やアクセサリーがあるという「陰」の価値を示す。

また、様々な素材が絡み合う「多様性」。

そのまったく異なる物同士が個性を主張しつつもバラバラではなく1つの料理として統一されている「調和」。

単に無造作に置かれた宝石ではなく、大切に保管されているという「付加価値」が宝石箱というワードから連想される。


と長々と昔の流行語についての自分の解釈を語ると「そこまで考えていないと思うよ」という野次が飛んで来そうだが、それで良い。

あくまで「褒め方を考える」。

あのタレントにしたってどんな風にあの流行語を生み出したのか、その経緯なんて結局その人にしか分からない。

どんな風に考えてどんな経験がその流行語を産んだのか教えてくれるのが一番だが、結局「がむしゃらにやった」と言う答えが帰ってきそうなのは察しがついている。


「本人にも分からないことを考えても仕方ない」。

それではどこまでいっても「陽」なのだ。

田舎のラジオリスナーが生歌や寸劇に送った感想の当たり障りのない、文字数は多いがその文字数に見合わない内容の薄さ。

ただ褒め散らかすだけ、ただ相手が気持ちよくなるだけの言葉。

それでは返ってくるお礼の言葉もただコチラを気持ち良くするだけのもの。

その一方であれだけ多種多様な侮蔑的な意味合いを持たせているの方言を生み出して「短い言葉」の中に様々な意味、様々な意図を含ませている。

そしてそれを匂わせて相手の罪悪感を刺激する。

お互いに直接攻撃せず、「雰囲気」によって「平和的」に争いを「止める」。


「侮蔑的な意味の方言」というのが争いが発生するまえに止めるという「緊急性」を要する事だから生まれた、と解釈するなら何故「褒める方言」がないのか、が見えてくる。

「緊急性」ないから作られない。

差し迫った「目的」がないから。

だから「方言」として作られない。


だが「褒める目的」ならある。

「未熟な人を育てる」という目的。

「挫けそうな人を助ける」という目的。

「正しさに迷う人を導く」という目的。

しかし「侮蔑的な方言」とは異なり「将来」を見据えなければならない。

「緊急性」があるというのは

・「誰」に関係がある事なのか。

・「いつ」それが起きるのか。

・「何」 が起きるのか。

という事が事前に分かっている。

そして何もしなければ「自分」に影響がある。

だから防衛反応から怒鳴りつける。


しかし「褒める必要性」は「自分」には無関係なのだ。

正確には無関係ではないのだが、関係性を見いだせない。

なぜなら「他人」だから。

「怒鳴りつける」のはそれが必要だから。

「怒鳴らない」でいれば「自分」に災いが訪れる。

「褒める」と言うのもそれが必要性があれば「褒める方言」と言うものが作られたと思う。

だがそれが作られていない。

「褒めない」と言う事が「自分」にいつ、どんな状況で、どんなふうに影響を及ぼすのか見当がつかない。

子どもや部下、後輩を褒めたとしてそれが「恩」となって返ってくるのはいつなのか。

明日?明後日?1週間後?1ヶ月?1年?10年?それとももっと先?

明確に「契約」を交わすならともかく、不確定な未来に返ってくるかわからない、コストに見合うかどうか分からないもののために面倒な事はしたくない。


しかし、「他人」であっても、「面倒」であっても例えば「可愛い女の子」や「イケメン」と言った存在は「褒める」

あるいは「将来有望」な能力を持った人材を「褒める」。

つまり「自分の好み」、言い換えれば「自分のため」に「褒める」という行為を行っている。


そうやって「自分の好み」、「自分のため」に「褒める」という事を都合よく使っていると「上から目線」になり、大抵嫌われる。

何故ならその「上下関係」は職場などの限定した関係であるから。

「自分のため」に「褒める」人間はそれが「自分の欲求」であるという事を極力外に出さない。

露骨に下心が見え透いていては相手は警戒してしまう。


これが褒める相手が陰キャラである場合、その下心を察知しづらい。

自分のように最初から相手を信じない、だとか警戒心が強ければ別だが努力を続け、その努力が報われた、という「喜び」の感情が優先されれば相手の下心は見えづらくなる。


しかし相手が陽キャラである場合は「自分のため」にその「褒められる」という事を受け入れて自分の立場を良くしようとしている。

お互いに「陽キャラ」である故に「スポットライトの下」にいようとする「下心」 を察する。

そのため「褒める」という事で感謝をしてもらい、相手に「恩」を売っているつもりでも相手の感謝は社交辞令。

お互いに持ちつ持たれつ、「力」以外の上下関係はなく、恩など感じる事はない。


とはいえ、例え「陽キャラ」でもしっかりと自分の努力を褒められれば嬉しい。

田舎のラジオリスナーと同様にまともに聞いてなくてもかけるような褒め方をするから刺さらない。

刺さらないからメッセージを読んでもパーソナリティとしても話を広げられず、こちらも「ありがとうございます」とどんなメッセージにでも返せるテンプレの感謝の言葉を述べて終わらせる。


「相手の事」を考えないまま自分本位で「褒める」

だから「褒める」ポイントが「的外れ」なのだ。

かつての軍事利用されたネットワーク。

物資や力に劣る者が情報を駆使して力が上回る者を打ち破る。

それは見方を変えれば力がある者が「慢心」し、多少の犠牲覚悟で「強引」に行おうとするからこそ、劣る者でも勝てた。

それと同じ。

「金」や「権力」、そうしたものは全て「過去」の産物。

「過去」の力で相手の「未来」を自分の意のままに変えようとしている。

つまり「支配」である。


この一方的な「支配」だとしても民を思う「王」の器を持つ者ならその支配は民にとっても有益だ。

民は自分の子。

支配する代わりに慈しみ、助け、導く。

そんな責任感を持つ者ならともかく、そんなのはいない。

少なくとも陽キャラの中には。

あくまで自分が輝くため、搾取するために褒め、敵意を向けられないように感謝しておく。

獣同士が隙を狙いつつも無駄な争いを避けているだけだ。


では陰キャラ、所謂「推し活」などはどうなるか。

結局、陰キャラだって似たようなものだ。

弱者が「高性能な道具」を作ったとは言ってもそれだって「強者」という敵がいなければ必要なかった。

「高性能な道具」を生み出すには「競い合い」が重要である。

「敵より遠く、我より近く」

相手より強い部分で勝負し、自分の弱みは見せない。

相手の懐へ飛び込み、相手の攻撃が届かない所へ。

「陽キャラ」を打ち倒せば自分達がスポットライトに照らされる。

「自分達も陽キャラに成りたい」

大多数の人間が思っている。

「もううんざりだ」

と思った自分でさえエッセイを投稿している。

だから陰キャラの「他者に価値を見出す」にしてもそれは巡り巡って「自分のため」。


じゃあ結局、どうするべきか。

「自信」をつける事。

それは自分に「満足」する事。

それは見方によっては「諦め」と言える。

その自信の基準は人によって異なる。

100点〜60点。

100点の自分でなければならないと傲慢になる。

60点の自分で良い、と諦めれば自分のように無気力になる。

80点を目指す。

自分に自信はあるけれど、傲慢に成れるほどの過剰さはない。

かといって自分にも他人にも興味を向けられなくなるほどどうでもいいわけでもない。

「腹八分目」の満たされつつも多少の飢えを感じる。

腹いっぱいで動けないわけでもないし、腹が減りすぎて力が湧かないわけでもない。

今すぐに倒れてしまう事はないが、次の食事を用意しなくてはならない。

「動くためのエネルギー」と「動くための目的」があるから身体と精神は適切に動く。


そして結局、自信をつけるためにはどうするべきか、といえばシンプルな話だが「地道にコツコツ」しかない。

スタートから順に飛ばさずにゴールまでしっかり。

無論、それが出来たらここまで悩んだり苦労しないわけだが。


レベル1〜10まで課題があり、最終試験がある。

自分が順にこなしていくなか、いきなり最終試験に挑みクリアする者がいる。

驚きで気が散る。

自分と同じスタートを切ったのに、自分より1つ、2つ先にいる者達がいる。

劣等感を感じる。

その一方で進みが自分より遅い者がいる。

優越感を感じる。

そしてレベル1で躓いている者がいる。

呆れてしまう。

一人でやれるならその課題や試験に集中できる。

しかし、「時間」 があり、「比較対象」がいて、「審査」の目がある。

目の前の課題に集中したいのに、色んな事が気になって集中できない。

だから課題以外の「細かい事」で悩む。


だからこそ「他人の目」を気にしないように訓練する。

「細かい事は気にしない」ようにする。

方法はいくつかあるが自分が受けてきた教育は「褒めない教育」。

本番と同様のストレス状況下に日頃からいれば「馴れる筈」。

「褒めない教育」に理由があるとすればそうした所なのだろうがソレはつまり家族同士でもストレスだらけで居場所がない事に繋がる。


何のためにレベルに分けられたいくつもの課題をクリアし、最終試験に望むという工程をとるのか。

「未熟」な存在から「成長」するため。

そして「成長」するというのは「自信」を持つことである。

例え、ストレス状況下に馴れておらず最初は戸惑ったとしても「能力」があれば対応できる。

そして対応するためには自分の能力を把握する必要がある。

そのためには「自信」が自分の能力を自覚させる。


それを考慮して「自分のため」ではなく、「相手のため」を思って「褒める」というのは

「目的以外の細かい事を気にしなくて済むようにする事」が目的。

「本番の状況」に馴れさせるためにストレスを与える必要はない。

「本番」でも自信を持って力を発揮できる自信が必要でそのためにしっかりと「褒める」。

その目的のために「相手の気分を良くさせる」言葉を用いる手段があるだけ。

つまりは「安心させる」のが「褒める」と言うことの本質であり大枠なのではないか、と思う。



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