肉体的年齢と精神的年齢と社会的年齢
本当は適当な昔のなろうのよもやま話でもしようと思ったけど、なんかつい…。
何度か「人生100年時代」と言うワードを使っているが自分はソレに対してちっとも良い印象を持っていない。
それは多分、世間的にも「安楽死」を求める声が大きくなっている事から特別な事でもないように思える。
ところで自分は「冬の老人」名乗っているが四季は4分割だ。
いつも3分割だが4分割で少し人生100年時代を考えてみる。
四季をそのままだと難しい。
植物の、もっと言えば果物、果樹辺りのイメージで語ってみる。
子供→成長
若者→成熟
中年→実り
老人→休眠
非常に雑だし、夏の果物とか色々あるけどあくまでイメージの話。
果樹の話だけど人間と同じ生き物であるから通じるものがあると思う。
さて自分は老化には意味があるし、それは身を引いて次の世代に教訓を伝えること、そして現代の人間の生涯現役やアンチエイジングなどの言葉はそれから逃げている、という考えだ。
果樹の生育で見れば教訓となる答えを出すのが「実り」であり、秋の季節である。
冬とは次の世代に向けて実った果樹の種、教訓を伝える季節。
春はその種や腐り落ちた実を養分として成長し、そして夏は秋に向けて成熟していく、とそれぞれ役割がある。
人生100年時代の何が問題か、というとそのバランスが壊れた状態を放置して、「夏」という成熟の時期を春にも、秋の季節も侵食していっているということ。ソレは結果的に冬の季節にも影響を与えている。
かつての人生40年と言われた昔ならある意味バランスが取れていた。
なぜなら人生の四季が10年前後の単位で区切られていたから。
そしてそれは肉体的、精神的、そして社会的に求められる年齢、全てが同様だったから。
人生100年時代の前は人生80年。
これも人生40年時代から比べるととんでもなく寿命が伸びたが20年単位で区切られていた。
そして同様に肉体、精神、社会、それぞれから求められるものバランスも良かった。
それを踏まえて人生100年時代をどう見るか。
成人年齢が引き下げられ18になった。
高齢化に伴い高齢者の区分けがされるようになり、
60歳定年は無くなり65歳まで、さらにはそれ以上でも働く人もいる。
さらには「 即戦力」 と「伸びしろ」 の両方を求められて「夏」と「秋」が混在しどんどん曖昧になっていく。
おそらく一番良かったのは成人年齢を引き下げるのではなく100÷4で25歳まで引き上げる事。
そしてその後、若手としての扱いを50歳程、定年を75。
そんなふうに区切れば「社会的」には丸く収まった。
しかしここで問題なのは残りの肉体的、精神的な年齢。
社会的な年齢をそうやって区切ったところで肉体的な年齢は15歳から30歳辺りが基本的にはピーク。どうケアしても40くらいまで引き伸ばせるか、というもの。
それが肉体的な夏だ。
一方で精神的な夏とは20から40くらいだろう。ある程度度しっかりと成長しきり、それでいて柔軟性もある。
肉体的、精神的、そして社会的な年齢がチグハグな状態を放置したまま人生100年時代に突入した。
そんなチグハグな人達が言う悩みへの対処法が「金さえあれば」「 若ささえ、時間さえあれば」「体力さえあれば、病気さえなければ」。
その「○○さえあれば」ってどれか一つあれば、というからここまで拗れているんだ、というのが問題から逃げてるんだ、と自分は思うよ。
何、偉そうな事言ってんだ。とは自分でも思うけど、実際25年くらいで分けていければ人生100年時代も好意的に受け入れられと思わない?
まぁ安楽死とか不満が出る事を「努力不足」とそれを切り捨てるのも「勝者」が選んでいる道なのでそこは「自己責任」でお願い致しますよ。