3分割の考え方の目的
3分割の考え方は過去現在未来とか自分と相手と回りとか、そんなふうにどんな事柄でも常に3つの要素が常に対になっているんだ、という事。
三位一体、あるいは3段論法、序破急とか元々ある考え方といえばそれまでで別におかしな話ではない。
だから3分割の考え方自体は「我、真理を見つけたり」とかアホな事を言いたいわけでも誇るような内容ではない。
極めて普通の話。
だけどその普通が出来ない、あるいはできなくなるから2分割で考えてしまう。
だから何故敢えて「3分割」 とするのか、というのは考える時の「下限」を底上げするためだ。
上限は無数に存在するし、そこにはやはり「才能」や「知識」 「経験」という物が関わってくる。
「白って実は200種類あんねん」
何か最近テレビか何かで有名になった言葉らしいけど言われた所で正直「はぁ…凄いですね」としかならん。
これは自分がそこまで色というものに対して興味がないからかもしれない。
だからデザインの事に関心を持つ人間はまた違った印象を持つかもしれないが、正直、200種類の白の絵の具を出されても
「だから?」となる。
仮に白を使い分けする機会がこの先、自分の人生にあったとして、かなり限定的な場面だ。
それよりももっと雑な選択肢が人生の中には多い筈だ。
例えばこの季節だと冷たい物より温かい物を食べたい人が多いだろう。
そこで「何が食べたい?」と言われてそのまま2択で「温かい物」と答えるより「鍋がいい」、「ラーメンが食いたい」などある程度明確な答えのほうがいい。
しかし明確、とはいっても「○○県☓☓の□□店の△△」とか限定し過ぎると相手の方も面倒になる。
そこは相手との信頼関係もあるし、相手の方の懐事情や時間の都合なども関わってくる。
2択で答えるのは幅が広すぎる、かといって限定しすぎると面倒になる。
だから3分割。
思考の上限を上げるなら際限がないし膨大な情報とそれを処理する力と時間が必要だ。
200の上限を300に上げるのはかなり厳しい。
しかし下限ならほんのちょっと、変えるだけ。
2から3ならなんとかなりそうじゃない?
それを普段からやっておこうと。
そんな理屈。筋トレみたいなもんだね。
むしろ脳トレ、ボケ防止ってのがコレなのかな。ちゃんと脳トレとかしたことないからわからないけど。
まぁそりゃあそうだよね、って話。
最初に3分割の時に書いてある筈だけど、ここで明確にその目的を。