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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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自作小説の主人公その3

「スキル重視の世界」において「基礎ステータス重視」の主人公に自己投影させて活躍させたい。


そこから「ステータス」というものを3つの段階に分けていき、それをRPGのシステムに分けいく。

1次ステータス→キャラメイク

2次ステータス→レベルやジョブ、装備やスキルなど

3次ステータス→実際にストーリーで描かれる部分。

そうした場合、自分の「基礎ステータス重視の主人公」とは一次ステータスを強みにした存在である。


3次ステータスの前に2次ステータスがあるわけだが、コレはつまり、「他者」との比較が必要になる。

物理が苦手な魔法使いでもレベルさえ圧倒的に強ければレベル補正で低レベルの戦士や武闘家にも勝てるようにゲームのシステムでそうなっている。

実際に小説家になろうの作品の中にも「未熟さ」、あるいは「圧倒的実力差」を示す為に敢えて「得意分野」を封じるというハンデを描く時もある。


そうした意味合いを辿れば「一次ステータスを武器にしたい」というのは他者との争いをしたくない、という側面、他者との競争からの逃げ、があるのは否定できない。

あくまで一次ステータスは「過去の自分との今の自分」の比較である。

そして逆に言えば何故そんなことを強みにしたいのか、と言えば「常に誰かと比較されてきた」という気持ちがあることに他ならない。


「褒められた経験」がほぼない。

いくら頑張っても「自分の若い頃は」とか「周りの子は」「妹は」と比較され、常に比較対象を持ち出された。

満点、あるいは一位をとったとしても報酬はない。

「頑張ったな」とか「凄いじゃないか」という言葉、評価があれば良い。

だがそれを行うには評価する側がコチラの「過程」を見なくてはならない。

過程を見ることで「努力」を「加点」で評価できる。

しかし過程を見ずに「結果」しか見なければ「サボった」という「減点」でしか評価出来ない。


普段は60点の成績しか取れないのに80点を取った。

コレを「過程」を見ていればその努力は「加点」となる。

だから80点を取った事よりその「20点分の努力」を褒める事ができる。

しかし「結果」だけしか見ていないなら努力は見えない。

「80点」が取れるのに普段の点数は「20点分サボってきた」という風に解釈する。

だから叱る口実にはなっても褒める材料にはならない。


努力すればするだけ叱られる。

結果を出せば出すだけ苦しくなる。

加えて言えば自分の場合は親から努力している様子を見せる事も咎められた。

「テストのために勉強しろ」とはいうが「努力の様を見せるな」という。

つまり何もせずとも結果を出す「天才」「秀才」の類しか求めていない、という事だ。


学校の授業だけ、最低限の宿題だけで最大限のテストの点数。

「真剣に授業を受ければ分かる筈」

「真面目に宿題をやれば分かる筈」

親が子供の成長の過程ではなく、成長の結果だけを求める。

自分の時代、環境がら塾や家庭教師は少数派だったが現代ならそこに

「ちゃんと塾を受けていれば分かる筈」

というのも入ったりするだろう。

母親、そして父親が親として未熟であり、未だに「女」と「男」という状態、「一人で幸せを感じる事が出来ない」。

だから子供のもたらした「良い結果」を与えられて「喜び」を感じ、

子供がもたらした「悪い結果」を与えられて「怒り」を感じる。

ギャンブルと同じ。


子供という責任を負わなければならない存在に対して無関心も過干渉もギャンブラー気質の現れ。

自分にリターンがあるから関心を向け、リターンがなければ関心がない。

その上で関心がある事については「負け」を笑って済ませられない余裕のなさがある。

常に「親の自分が苦労をしている」という気持ちがあるから「遊び」ではなく、「ビジネス」としてギャンブルを行なっている。

だから期待通りにいかなければ「イカサマ」を疑う。

「自分がこんなに親として努力しているのに子供の成績が伸びない」

だから子供の通う「学校」のせいにしたり、「塾」のせいにしたり、「子供の交友関係」のせいにしたり、「子供自身」のせいにする。

検討違いの責任者探し。

責任は「80点の結果では認めない親自身」と「子供の努力を見ない親自身」、そして「子供の成果を自分の努力と勘違いしている親自身」にある。


パワプロのサクセスモードでも自分で発生させるイベントの他にランダムで突然発生するイベントがある。

イベント発生後、選択肢が出されるイベントもあれば最後までプレイヤーの意思とは関係なく進むイベントがある。

効果はイベント発生した後に確率で変化する。

例えばだが


1.60%で疲労が溜まる、調子が下がる

2.20%で変動無し

3.15%で各種育成ポイントゲット

4.5%で特殊能力取得。


未熟な親が自分一人で幸せになれない故に子供を道具にして機嫌を取る。

それは子供にとっては理不尽に起きるランダムイベントでしかない。

そんなランダムイベントを引き起こした親は「子どものためを思って」と言い訳をし、子供が思う通りの結果を出さなければ「情けない」と語る。

思い通りの結果を出せば「自分の行動は正しい」と「運任せ」の行動を正当化する。


ゲームのランダムイベントは本当にランダムだが、「人」と「人」とのやり取りでランダムイベントなど殆どないと言っていい。

ましてそれが「親」と「子供」の関係なら。

ちゃんと子供の事を「見て」、子供の言葉を「聴き」、それらをもとに大人として「考え」、それから「行動」に移せば本来ならランダムイベントの確率の割合は繰り上がる。

先述した例なら

1.疲労が溜まり、調子が下がる

というのは

4、特殊能力取得

の発生確率になり、それぞれ確率が置き換わっていき最も高い確率から

1→2

2→3

3→4

4→1

と置き換わっておかしくない。

60%で何も変化なし。

20%でポイント取得

15%で特殊能力取得

5%でマイナス。


やるべきタイミングで発生させれば「やり得」といっておかしくないのに

、あくまで親の気まぐれで発生させるから「ランダムイベント」と大差なくなってしまう。

そしてやるべき事でなければ「やらなければいい」。

スーパーの値引きシールが貼ってあってお得だから、という理由でついつい必要のないカゴに入れてしまう心理は分からなくもないが、そうした心理で「思い立ったら」やってしまう。

「タイムセール」「今がお買い得」、そんな言葉に釣られて買ってしまう衝動買いを「やらない」という選択を取れない。

そして買った後、家に帰って冷静になって「いらないかも」と後悔する。

自分の買い物なら損をするのは自分だが、子育てにおいて損をするのは子供。

だから「後悔」しない。後悔しないから同じ事を繰り返す。

そして最終的に子供が成長した時に親の期待通りに育たなければ「不幸な自分」と責任から逃れる。

一次ステータス重視、そのためにキャラメイク、サクセスを参考にした設定や話を描くというのを好むのは恐らくはそうした「理不尽な他人からのランダムイベント」を極力減らしたいからだ。


ネットを見るとたまに「過去に戻れたら」という「もしも」の話がある。

それに対して事前に「宝くじ」の当選番号などを覚えておいて過去に戻って金持ちになる、といった類の「幸運」を「確定」させたい、というような案が出たりする。

自分がもしも「過去に戻れたら」と考えると「備える」。

もう「不運なランダムイベント」を起こしてくる存在がいるのは確定している。

子供だから逃れられない。

だから相手をしない。

「喜び」も「怒り」も見せない。

「喜び」を見せれば調子に゙乗って同じ事をするし、「怒り」を見せれば連鎖的に理不尽なランダムイベントが続いて面倒な事になる。

誰かのために生きても「幸運」など起こらなかったし、誰かのために頑張っても「奪われる」だけだった。

だから他人に「喜び」も「怒り」も見せない。

自分の力で「喜び」を手に入れる、その喜びを手にいれるため、自分のために「怒る」。


ランダムイベントを可能な限り排除し、高水準なキャラメイクとサクセスを完了させる。

「不確定」な事に喜びを感じる、と語る人間いるが、それならホームレスにでもなれば良い。

あるいは安全な日本の環境、常識とはかけ離れた土地で暮らせば良い。

明日どうなるか、それどころか今日どうなるかも分からない不確定に身を預ければ良い。

だが基本的に誰もそんな事を喜びとは思わない。

ある程度の安全があってようやく「不確定な運任せ」を楽しめる。

「理不尽なランダムイベント」に振り回され「ロケハン」、「捨て石」のようにされた実用性のない「一次ステータス」では「二次ステータス」の選択肢も「三次ステータス」を描くこともかなわない。


パワプロのPS1時代のサクセスは現在のハードやアプリに比べて楽に高いステータスの選手を作れた。

とはいえステータスにおいて「オール最大値」や全ての特殊能力を取得した「最強」は流石に難しい。

それは野球ゲームという設定からどうしてもサクセスモード内の「試合」

で好成績を出さなければならなかったし、その他にこのエッセイで書いた「ランダムイベント」で「幸運」にも恵まれなければいけない。

だが、当時の育成では「オールAランク」の選手はしっかり練習をこなせば野球の試合操作が苦手な自分でも作れたのだ。

「しっかり考えてしっかり選択さえできれば」

「運任せ」が嫌だから「一次ステータス」を重視する。

だから自分は「スキル重視」ではなく「ステータス重視」を強みとした主人公に自己投影したいのだ。

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