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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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自作小説の主人公その2

長い。分割すればよかったかな。

主人公を考える上でどうすれば「基礎ステータス」の強みで「スキル重視の世界観」の中で戦えるのか。

そこでまずキャラメイク、というものを考えた。

本来、10分程度、納得いくまでやり直したとしても1時間で済むキャラメイクを自分は小説においてひたすら引き伸ばしに゙引き伸ばした。


そこでグローランサーのキャラメイクシステムを考えた時

・自分のした行動でステータスが変化する。

・様々な行動、様々なイベントをこなす事でステータス加算される。

という事となった。

その上でそれらを「もっと引き伸ばして書きたい」

となった際に゙何となく思い当たったのが育成ゲームだった。

育成ゲームもRPGと同様によくやってきたわけだがその中でも野球ゲームの「実況パワフルプロ野球」の一人の選手を育成するモード。

「サクセスモード」というものに思い当たった。


基本的に育成ゲームは他にもプレイしており、小説家に゙なろうを見ている世代の人間に゙伝わるか微妙なラインだが

・デジモンワールド

・牧場物語

・モンスターファーム

などをやってきたりした。

ただそれとサクセスが異なるのは明確に「本番」と「育成」が分かれている事。


野球ゲームの「本番」とはなんだろう、と考えればそれは「野球の試合」である。

サクセスモードでも確かに野球の試合は発生するのだが試合より圧倒的に「練習」にかける時間が多い。

「育成ゲーム」は「育成しながら◯◯をする」というのが基本だ。

・育成しながら冒険する。

・育成しながら牧場ライフを愉しむ

・育成しながらブリーダーとして頂点を目指す。

何らかの「目的」のために「育成」するという事が大前提であり、ゲームとしてはそれはそれで面白いのであるが「育成」と「目的」がごちゃ混ぜという意味では少し参考にしにくかった。

特にデジモンワールドにしろモンスターファームにしろ、それらはどちらかといえば「調教」であったし、牧場物語は「栽培」でもあり、グローランサーのキャラメイクのように「自分の分身の成長」という意味では何処かズレも感じていた。


しかし本来野球ゲームの実況パワフルプロ野球は明確に「本番」というものは「対戦モード」だとか「ペナントモード」だとかに相当する。

一方「サクセスモード」は「何度でもやり直せる」という「練習」に過ぎない。

そこがキャラメイクだとか、リセマラなどに似ている感覚があった。

そして「本番」と「練習」それぞれの「ステータス」を解釈すると

「本番」におけるステータスというのは「実績」だ。

打率、ホームラン数、打点、防御率、失点数等。

一方、「練習」におけるステータスというのはそのままキャラ「能力」だ。

パワー、守備力、投球スピード、変化球の数、特殊能力。


「能力」が高くても「本番」で活躍出来るとは限らない。

だから数値上の能力は高くても試合で活躍出来なければ特殊能力は取得は限られてくるし、難しい、

一方、「能力」が低くても「本番」で活躍出来る可能性がある。

能力が低くても試合で活躍できれば特殊能力を取得できるようになり、数値以上の能力を本番で出す事ができる。

それは結局プレイヤーの「プレイスキル」次第になってくる。


そこで自分は自作小説の主人公の強みとなる「基礎ステータス」を考える上で3段階のステータスに分ける事にした。

「一次ステータス」と「二次ステータス」と「三次ステータス」。

一次ステータスは力などの基本能力。

二次ステータスは装備やスキルを含めた総合的能力。

そしてストーリー上で主人公の実際の動きとなるパワフルプロ野球におけるプレイヤー自身のプレイスキルに相当する「三次ステータス」。


「三次ステータス」を描く上で「二次ステータス」が重要となる。

「本番」をプレイする上で「過去の本番」、つまり「実績」が必要になる。

しかし「実績」というのは「過去」には違いないがいったい「何時から何時まで」の期間を指すのか。


実況パワフルプロ野球において現実に存在する野球選手のステータスを考えると参照する「過去」とはシーズン開幕前ならば「前年度の成績」、あるいはシーズン終わりならば「今年度の成績」、その1年間の成績が参照されるデータだ。

そのため1年ズレるとステータスは変化する事が殆どだ。

特殊能力も追加されたり、あるいは去年まであった特殊能力が追加されたり。

また「運」の要素もある。

例え同じ能力でもゲームで実際に操作したり、あるいはコンピュータに自動で試合を任せるなどしても毎回同じ結果になるとは限らない。

だいたいブレが生じる。


しかし、「小説家になろう」においてはこのブレは生まれにくい。

例えば「剣術レベル3」を取得した後、強力な槍が手に入ったから槍の訓練をしたとしても多くの作品で「剣術レベル3」が失われる事もなければレベルが下がる描写が描かれる事はほぼない。

この「一度取得してしまえば能力は消失しない」というのは現実でも水泳や自転車の例があるからないわけではない。

しかし「一度取得すれば衰えない」というのは老人は勿論の事、例え若者であっても遠ざかれば遠ざかるほど能力は衰える。

勿論、経験があるため、「衰えても復活させるスピードは早い」という理屈には繋がる。

しかし、なろう系では逆に一度能力を消失、あるいは衰えさせると基本的にはまた1からやり直しの場合が殆どだ。


これは結局のところ「人間」と「機械」の違いといえる。

人間は衰えやすいし、忘れやすい。

しかし一度取得した能力は復帰させやすい。

一方で機械というのは半永久的に能力を維持する。

長期間動かなくても能力は起動する。

しかし、その機械を動かすプログラムが消去されていたり、物理的な基盤や配線に支障があったり、可動部分が経年劣化で破損していたり錆びていたりするともはやどうにもならない。

購入時の状態にリセットする、故障を直す、新しく買い直すという方法しか取れない。


という事は「二次ステータス」というのは「人間」と「機械」の合計値と言い換える事が出来る。

実際、「ドラゴンと真正面からタイマンで戦える戦士」というのは「高い技術を持った戦士」というのは間違いないがその技術を活かすための「スキル」や「装備」といった「外部ツール」が必要だ。

そして「外部ツール」さえ強力であればドラゴンでも倒せる。

現代社会が当にそれで素人に「剣」を与えても人を殺すのは難しい。

だが「銃」を渡せば人を殺すのは簡単だ。

そして「剣」は切り続ければ人の血や脂で切れにくくなるがそれを拭き取ったりすれば比較的簡単に復活する。

仮に途中から折れたとしても刃がある限り剣は剣として機能する。

しかし「銃」は弾を打ち尽くせばもう使えない。

弾を補充しなければ荷物にしかならない上、もし銃そのものに欠陥が発生すればもう使えない。


「基礎ステータス」を強みにした場合、この「二次ステータス」を参照したところで意味がない。

そして自分の小説における異世界の「スキル重視、ステータス軽視」という世界観はこの「二次ステータス」を参照する、という事を意味している。


さてここまで語って「基礎ステータス」=「一次ステータス」だが、問題はどう考えるべきなのか。

多くのRPGなどではレベル上昇に従い、見た目も能力補正も肉体的にひ弱な「魔法使い」であっても物理面も上昇する。

例え物理専門職の「戦士」や「武闘家」であっても圧倒的レベル差があれば魔法使いの物理能力で打ち勝てたりする。

それは装備なども同様で店売りの「鉄の剣」よりも一見ただの木の杖のような「伝説の杖」などの方が物理攻撃力も高かったりする。

とすると「一次ステータス」には「レベル」と「レベル上昇値」というものは含まない方が良いのではないか、という結論に至る。


全てのキャラを同じレベルに揃えた上で能力を比較する。

つまり、人間における「才能」や機械の「スペック」そのものの話になる。

現実的にはそれを強化するのは不可能に近い。

いくらテストの成績が良くても社会では通用しなかったり、逆に学校の成績が悪くても社会で成功を納めたり。

肉体的な物であっても同じ事でいくらスポーツの天才的な技術を持っていたとしても日本人の体格では海外の大きな体格の選手を凌ぐには難しい。

骨延長手術を施しても日常生活が可能になるまではリハビリを必要とし、そこからスポーツの技術の転用となると途方もない時間と労力が必要となる。

筋トレについても同じ事で大きな筋肉があってもそこからパワーを発生させたり、あるいは身体全体の動きとして連動させるのも別の練習が必要となる。

だからこそ、敢えて現実には不可能に近い事を強化していくのが自作小説の主人公に与えた「強み」である。


長々と語ったがコレは言ってしまえば「ジョブ」や「スキル」の成長と同じである。

それらに言い換えるとしたら「種族レベル1」といったところである。

ジョブレベルが上がるとステータス補正が上昇したり、新たなスキルを覚える。

ジョブをマスターすれば上級ジョブへのクラスアップする。

スキルレベルが上がると威力が上がったり、燃費が向上したり、効果範囲が広がる、追加効果が発生する。

スキルマスターでスキルが派生したりする。


それらを「種族:人間レベル」というものに置き換える。

その上で人間の能力をステータスとして細分化してそれぞれを特殊能力を考えていく。

例えば「力」。

・力=物理攻撃力という計算式が力×1.1=物理攻撃力になる。

・両手持ち武器を片手で使用できるようになる。

・物理攻撃した場合、相手の物理防御力を0.8倍で計算する。

こうした様々な「特殊能力」を与えていく。

やっている事自体はジョブやスキルと同じだ。

しかしこうして考える事で

「ドラゴンとタイマンできる強い戦士」を差し置いて「超人」となる理屈が生まれる。


異世界の戦士達が「ジョブ」の力を高めていた一方で主人公は「種族」の力を高めていた。

だから「ジョブをマスターして上級ジョブへクラスアップする」ように「種族の限界を越えて超人に進化した」。

そうする事で「上級ジョブを更にマスターした達人は怪物じみた超人」というものについての設定を「ジョブの力やスキルの力を高める過程で種族の力が副次的に強化されていった」といつ設定に変えられる。


「スキル重視、ステータス軽視」の世界観において「超人」というもの自体が「ジョブやスキルの到達点」の副次的な結果の産物であるため、「遠回り」して「超人」になる。

しかし主人公は「ジョブやスキル」を副次的なものと見なし、あくまで「超人」になるために「最短距離」を突っ走るからこそ、ジョブやスキルが未熟なままで「超人」に至る。


例えばパソコンなどのスペック。

「最新のゲームがやりたい」から求めるスペックは確かに高い。

しかし「超ハイスペックコンピュータ」を求めた際のスペックとは比べ物にならない。

目的が違えば主従関係が逆転する事もある。


「ヒーロー」に゙なるのが目的ならば「他人」の事を考える必要がある。

「他人」から認められるためには「手柄」を立てる必要があり、そのためには「より強力な相手」を倒す必要がある。

そのためには「より効率的に相手を倒す力」が必要となり、それが「ジョブ」や「スキル」の力に繋がる。

一方で「生き残る」のを目的にすれば「一人で全てをこなす力」や「無駄な戦闘」を避ける力が必要になる。

「他人の評価」を二の次にする事で「強い相手を倒すこと」ではなく「自分の力を高める事」が目的となり、「強い相手を倒すこと」は単なる「目安」に過ぎなくなる。

結果として「相手を効率的に倒す力」より「自分の力を効率的に高める力」を優先する。


この場合、「ヒーローになろう、他人からの評価を得よう」とするは「女」であるし、「生き残ろう、自分の力を高めよう」とするのは「男」である。

勿論、最終的には両方必要ではあるが散々過去のエッセイでも語ってきた通り、どちらを「土台」にすればどういう「結果」になるかは想像がつくだろうし、現実の社会を見ればわかる筈だ。

そして自己投影した主人公というのはつまり「間違えていた後悔」からくる「反転」である。

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