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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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均せばトントン

日本の「察する力」は低い、これまでの話で語ってきたが、それは「言うほど高くはない」と言うだけであり、他国と比べて特段劣っているというわけではない。

単に「偏っている」というだけであり、「強み」だけを武器に゙戦うのはもう無理がある。

「克服」しなければならない「弱み」に目を向けなければならない、という話だ。


突出した能力がある、というのは武器になる。

しかし、それに頼り続ける事で当然の事ながら使われなくなった物の練度が下がる。

日本の歴史、というより、人類や技術の進歩は


突出した能力を伸ばす。

しばらくは突出した能力で無双する。

相手がその能力を避け、相手の弱点を突くようになる。

能力を避けた上で能力を解析する。

その能力を完膚なきまでにたたき伏せる


こんな風にバトル漫画に出てくる必殺技のような運命にある。

文化などは別に敵でも害悪でもないのだが結局はその土地、環境に則した能力である以上は日本独自の「技術」を他国が真似ただけでは「劣化コピー」にしかならない。

いや、「劣化コピー」ならマシな方でむしろあまりに適さない場合は無意味、害悪にすらなりかねない。

だからこそ「技術」だけではなく、環境や土地と言える「土台」を知ってそれを真似、日本人の思想や文化という「心」を知って真似る。

「日本の文化」に憧れて観光や視察に来るというのはつまりそうした意味だ。

言い換えれば「技術」の模倣、解析から日本の「心技体」の模倣、解析が行われていると言っていい。

「人類の進歩」としてはそれ自体は良いのだが、「人種や国の競争」とした場合は先述した4番目の「解析」の段階にある。

その成果の一つがロボットやAIによるサポートだろう。


日本の強みは弱みと表裏一体だ。

「察する能力」と「勘の良さ」に秀でた結果、賞賛される一方で「日本人は本音を言わない」だとかそうしたネガティブな見方をされる事もある。

問題はその表裏一体の短所の部分も含めて日本なのだと自覚するのではなく、「強み」としてゴリ押しし、「お前らだって人の事言えるかよ」と反論する事。

勿論他人の長所だって見方を変えれば短所になる。だからそれはそうだ。

逆に言えば日本は他国と比べて何も秀でていない。

「争いは同じレベルの者同士しか発生しない」

この台詞を上から目線で他国や価値観の異なる者同士の争いを外野から馬鹿にしてきた日本人だが、日本人も対して変わらないという自覚が足りない。

それはやはり「異質さ」を強みにしてきたからこそ、その「異質さ」に胡座をかいて着たからこその感覚だと思う。


現代のスポーツ事情を見れば分かるが世界的な人気スポーツでもあるサッカーなども全盛期に比べてかなり人気が低迷しているという。

それは趣味の多様化した時代の流れというものもあるが「解析」によって「スター」が生まれにくい環境に゙あるからというのも要因の一つだ。

「個人レベルの戦力」より「連携プレーの戦術」、そしてそれよりも「チームレベルでの戦略」。

サッカーは11人。

いくら1人のスター選手が2人分、3人分の力を発揮したところで戦術によって封じられ、戦略的に殺される。

「一発逆転のプレー」や「スーパープレー」がなくなり、「安定した連携」、「高水準のチーム」になった。

一昔前に比べれば選手一人一人のレベルが上がったが、ソレ故に面白みもなくなった。

すくなくとも素人目で分かるような派手なプレーがなくなった。

サッカーとは違う種目になるが結果としてアメリカのメジャーリーグの大谷のような単なるレベルの高い選手ではなく既存のルールをはみ出すような「規格外」のような存在しか素人でも分かるようなスターになれなくなる。


大谷に限らず、世界で活躍する選手を日本の誇り、としたりするがその誰しもが「技術」だけではない。

「心技体」全てが世界に通じる。

「1つの事さえ出来れば」という時代がもう過去の事というのは誰しもが理解しているだろう。

だが何処かで「得意分野で巻き返せる」という「苦手分野」を見て見ぬふりをする、隠そうとする気質が日本人にはある。

勿論、自分もそうだ。

「最低限」というラインも結局は「自分」ではなく「周り」に゙合わせなければならない。

「人より習熟に時間がかかる」から「苦手」なのだ。

「苦手」だから「モチベーション」を維持できない。

そこはやはり「餌」が必要なのだ。


「独自性」を武器にしてきた故に他国に比べて「世界基準」の下限に届いていない面が多い日本人はそれだけ「餌」が必要になる。

「独自性」以外が不得意科目である以上、当たり前だ。

しかしその「モチベーションを保つための餌」を自分で見つける能力も劣っている。

いや、正確には劣ってはいない。

むしろ趣味の多様性により様々なものがある日本は極めて高い「餌」を造ることも、得る事も可能になっている。

オタク趣味もスポーツも、様々な娯楽が溢れかえっていて餌には困らない。


ただ問題は「旧世代の女」が劣っている。

一人で幸せを感じ取れない女、母親になる覚悟も権利も持たない女。

与えられなければ価値を感じ取れない「旧世代の女」

周りを見ればコストもかからず楽しい事などすぐに見つかる。

だがそうした一部の「お姫さま」でいたいという女がいるおかけで周りの人間、パートナー、息子、娘が不幸になる。

だから女嫌いとなり、女に無関心になる事でそれぞれ女とはかけ離れた餌を求める。

しかも「与えられた餌」はお姫さまは独り占めにしなければ気が済まない。

その癖、独り占めされた餌を諦め、各々で餌を探そうとすれば制限をかける。

「自分の手の中にあるもの」に価値が無ければ不安で仕方がない。

自分に傅く王子様。家来。

「与えられた餌」だけではなく、そうした「価値を保証」してくれる他人がいなければ自分の価値を満たせない。

それも遡れば幼少期から成年までの環境に問題があった、と考えるべきだが、それを語ればいつもの通り、「子供の頃の家庭環境、教育環境」に問題あり。

遡ったところで犯人は大人なのには変わらない。


結局のところ、何を言いたいのかと言えば老人や大人の「若い頃の苦労」など若者を含めた違う価値観の人間、「同類」以外には「察してもらう事」は不可能という事だ。

その上で「希望」を子供や若者、そして他人に期待するなら、「伝える」能力を高めるしかない。

日本人が得意な「言外の意図を察する」ではなく、「多くの情報を相手に理解してもらうように伝える」という苦手分野の克服。

そのために「普通」では括れない少数派がいる。

自分には体現したことのない普通のとは異なる苦悩を抱えた弱者がいる。

日本人の中ですら「異質さ」が目に゙見えて存在し、耳で聴こえる「主張」をしている。

それを察しようとしないのか、あるいは察する事が最初から出来ないのか。


以前ラジオで「宮大工の団体」のまとめ役だという女将が後継者不足の問題を世間に投げかけるために出演していた。

宮大工の伝統や日本文化における重要性をラジオで説いていてパーソナリティもそれに相槌を打っていたが、一つ自分は引っかかった。

「宮大工というのは口伝ではなく『目伝』であり、見て覚えるものだ」

という。

目伝というものはネットで調べても見つからないため、造語だと思われる。

「察する能力」「勘の良さ」

確かに宮大工という特殊な仕事には必須かもしれないが、その後継者がいなくなっている、という事はもう『目伝』なんて流暢な事、自分達のやり方を押し通せる時代ではなくなっている。

恐らく、流石に現代において目で伝えるだけの伝承方法ではないと思う。

察する能力や勘を磨いて欲しい、というものだとは思う。

だがそうした時代でもない。


虱潰しに不正解を潰し、正解を探し当て、裏付けをとる。

確かに職人として技量に厚みや深みはでるかもしれかい。

だが時代そのものが「仕事だけしていれば幸せが保証される」時代ではないのだ。

周りの同世代の一般人と比較して不幸を感じる、それを掻き消そうと没頭すれば技量は高まるかもしれないがドンドン取り残される感覚がよぎる。 

「一つの事に縋るしかない弱くて普通の人間」ほどその不幸を感じるのは顕著だ。

身体は一つ、時間も1日24時間。

よほど素質のある一部の天才しか幸せになれない仕事はもうそれだけで破綻している。

だから少しでも多くの「伝える方法」を確立させなければならない。


「日本は言うほど察する能力がない」。

だが特別劣っているわけでもなく、卑下するほどでもない。

しかし間違いなく「強み」は失われていく。

「伝え方が分からない」のは「察してもらう」事でどうにかなってきた。

しかし時代の流れ、価値観の多様化で「同類」だった筈の存在が枝分かれしていき価値観を違えていく結果「察する能力」が日本から消えていく。

その一方でドンドン「察する能力」が解析されていく。


タイトルの「均せばトントン」というのは「強みと弱み」を均す事でプラマイゼロ、という現状だ。

それがいずれ足りなくなる。

「技」だけで持ちこたえられている中、「心」と「体」を高めなければいけない。

いずれ「神業」は「機械」と「AI」に取って代わられ、「娯楽」になる。

「意志の伝達」は「音」の速度。

「情報の伝達」は「稲妻」の速度。

音の速度は、光に勝てない。

速度を求めれば人の意志など必要ない。


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