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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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察する能力

日本の文化の一つ、そして日本人特有の能力として「察する能力」が海外との違いとして話題に上がる事が増えてきた。

日本人はその場の空気や心情を読み取る能力に優れている。

またそうした能力を示すような文化もある。


現実にそうした評価はされているから間違ってはいないのだろう。

なら何故「自分」のような者は理解されないのだろうか。

「察する能力」が高いなら、自分を含めた少数派、弱者の「我慢」のそれは何故察してくれないのか。


別に「察してくれ」とかいう話をここでしたいわけではない。

現実に「察する事ができない」という事実があるのに何故日本人は「察する能力が高い」と言われるのだろうか、と疑問に思うわけだ。

単に「他国と比較して」という事だろうか。

勿論「察しようという気持ち」自体はあると思う。

だが「察する能力」というものは日本人だから高いとは自分は思わない。


どんな物でもストーリーがある。

だがそのストーリーから誰しもが同じ事を感じるとは限らない。

「赤色」を見て「赤い薔薇」を考える人もいる。

「赤い血」を想像する人もいる。

「赤い服」を想像する人もいる。

更に赤色から連想したものからさらに連想して最終的に全く赤色とは無関係のものを連想することもある。

自分の「察する」はこの「連想を重ねる」事に近い。

そして他人という自分とは異なる存在を「察する」に当たっては相手の言葉、相手の仕草、見た目、様々な事から「推察」する必要がある。


ところが実際の社会に求められているところの「察する」とは別のところにある。

そこにあるのは「スピード」だ。

「察する」という能力よりも重要なのは「スピード」、つまり「時間」の能力。

「短時間」で「他人」の事を「察する」というのは不可解だ。

勿論「高い次元」で、という事であり「低い次元」なら可能だ。


例えば「飲み物が欲しい」と言ってきた人間がいたらそのまま飲み物を与えるのも「察する」という行動の一つでもある。

「察しない」のであればその人間の要求を無視しても構わない。

何故なら「自分」という存在を指定していないからだ。

「名前」だとか、自分を示すような役職や立場の「記号」を言うわけでもない。

そもそもとして「欲しい」と言う「欲求」を口にしているがそれは他人へ向けた「要求」でもなければ「交渉」でもない。

「◯◯さん、喉が渇いたので飲み物を下さい」。

ここまで言語化して「要求」となる筈であり、そこから金銭のやり取りだとか飲み物の種類だとか、そうした「交渉」へ繋がる。


そうした工程を省く事を「察する能力」と社会では言っているわけだが、それは「欲求」を「要求」として察する「低い次元」の「察する能力」であり、その程度なら別に日本人でなくとも出来るだろう。

日本人が評価される高い次元の「察する能力」は「欲求」から「要求」を飛び越えて「交渉」へ。

場合によってはその「交渉」すらも省略して「結果」を出す事だろう。

勿論、中には高速で察する能力を持ったそうした勘の鋭い者もいるが日本人全てが勘が鋭いわけではない。

でも日本人の多くがある程度以上の「察する能力」を有していると思われている。

「能力」がないのにあるように評価されている。

それは「能力」ではなく「意識」を統一しているからそのように評価されているに過ぎない。

だから「意識」の統一のために「普通」という感覚、「常識」という知識、「経験」という価値観が重視されているからこそ、「欲求」から「要求」「交渉」を省いて「おもてなし」を返す事ができる。


社会の「察する能力」が「能力の高さ」ではなく「スピード」であるというのは田舎の文化の成り立ち、職人、業界用語といったものに現れている。

「◯◯」といえば「何をするか」決まっている。

だからこそ異なる価値観の「外部」の人間にはまるで意味がわからない。

けど一言二言の「入力」で一気に「出力」されるわけだ。


ところがあくまでも同じ価値観の人間にしか通じないためにそれ以外の欲求には通用しない。

前回のエッセイで「『オタク』にじゃなくて『俺』に理解のあるギャルが良いんでしょう?」というギャルのソレが答えでもある。

オタクの主張、そして語彙力ではオタクと同じ仲間にしかその「主張」が伝わらないのである。

同時にギャルもまた察する能力、そしてオタクの主張を察しようとする気持ちも無いために低次元の「察する能力」で結論付けて〆としている。


オタクの望みそのものが「俺に理解のあるギャル」だったのかもしれない。

そこについてはイラストでも後づけでも説明がないため分からない。

ただ「最低限」のラインとして理解できる事がそうした意味合いだったのだろう。

だがそのオタクの主張を聞いた人間が同レベルの知識を持つ「オタク」であればそれ以上のニュアンスを感じ取れたかもしれない。

オタクの責任としてはそうした同じ知識、価値観を持つ人間にしか伝わらない語彙力しか持ち合わせていなかった、というのがオタクの責任だ。

一方でギャルの方が相手の語彙力から言外のニュアンスを感じ取るための知識や経験がなかった、それはつまり他者への「察する能力」がなかったという責任である。


もしもこの「オタク」と「ギャル」の他にそれを裁定する「第三者」がイラストの中にいれば責任と反省点、そしてやるべき事が明らかになったかもしれない。

だがイラストレーターは「架空のオタク」の主張に対して自分の主張を乗せて「ギャル」として表現し、「第三者」となるそのイラストを見た人間に向けて主張した。

だから自分を含めて様々な人からアレコレ言われる。

オタクの主張を「社会の役割」に置き換えたところ「オタクの我儘」で片付くシンプルになったように第三者としてイラストを観測した全ての人間が「我儘」を抱えている。

皆生きている以上、悩みを抱え、幸せになろうとしている以上は欲が出る。

だからそのイラストを見た観測者の多くが「意見」する。


「意見」の多くに様々な理由はあるが突き詰めれば「オタクの主張をバッサリと切り捨てたギャルは人のことが言えるのか?」という物になる。

「何故ギャル風のファッションをするの?」

「ギャル風ファッションの何処に社会的価値があるの?」

そうした疑問を投げかければ「正当化」するために答えは返ってくるだろう。

あるいは「無視」するだろうか。


自分はそうしたファッションに知識もなければ興味もない。

ならイラストに゙描かれたようにギャルと同じように「余所見」をしながら適当に鼻歌交じりで「社会的価値」に置き換えれば同じ答えに゙なる。

「ギャル風のファッションの価値、ってつまり自分の我儘を通すってだけの話では?」

オタクの主張を社会的な立場で聞けば「無価値」であるのと同様にギャルのそれも「無価値」。

ギャルに価値をつけてくれるのはギャルと同じ価値観をもつ者だけだ。

だが余所見をせず、真剣に向き合えば別の価値を見つける事は出来る。

何故ならこうやってエッセイで自分なりに自分が理解できるように、納得出来るように「自分の価値観」に「置き換える」という処理を挟む事で前回、そして今回のエッセイという風に「察する」事ができる。


その「察する能力」を行使したとしても完全に理解するのは不可解だ。

どこまで言っても価値観の異なる相手である以上、「置き換える」処理が必要であり、「変換しきれなかった事」がある筈だ。

そうした「察した結果」を言語化してやった際に「変換しきれなかった事」があると「レッテル貼り」と言って責め立てる。

ツイフェミや子供の頃のクラスの女子、そして自分の場合は子供の頃からそうした責め立てる行為を親がやってきた。

しかしその「変換しきれなかった事」について、それを理解してくれ、と思うならそう思った人間が自分の頭で考え、自分の言葉で「伝える必要性」がある。

「相手が理解していない」と「察する」事が出来れば補足するのは当たり前だ。

それが自分にとって「必要性」があるのだから、分かってもらわなければ困る。

それを「伝える事」が出来ないのは「察する能力」がない事と一緒、その証明だ。

自分は「伝える能力」と「察する能力」の根底にあるのは同じ物だと考えている。

だからこそ外から評価されているに「見かけ上の察する能力」に偏った日本人の特殊性は逆に言えば察する能力の低さを表しているのではないか、そう思う。

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